日本バラッド協会第9回会合(東京工芸大学中野キャンパス 2017/03/18)
講演「『さよなら三角また来て四角』―しりとり唄にみる子どものコスモロジー」梗概

鵜野祐介(立命館大学)

 「さよなら三角 また来て四角/四角は豆腐 豆腐は白い/……/消えるは電気 電気は光る/光るはおやじのはげ頭」。日本人なら誰でも知っていると

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いっても過言ではないこのしりとり唄にみられる「子どものコスモロジー」――自分を取りまく時空間(宇宙)に対する子ども独特のとらえ方や意味づけの仕方、アニマシオン(たましいの活性化)に結びつく指向性――について探っていった。
 第1に、地域や時代によるこのしりとり唄の差異を追っていった。「高いは通天閣」「バナナは高い」のように地域性や時代性を反映する言葉が見られる反面、「光るはおやじのはげ頭」のように百年以上にわたって全国共通に唱えられてきたフレーズも見られる。
 第2に、宮沢賢治が幼い頃に聞いたしりとり形式の子守唄「道ばたの黒地蔵」を取り上げた。そこに見られる「すくみの原理」や「生生流転」の循環的世界観は鎌倉期の地蔵信仰に遡ることができるとともに、20世紀初頭L・ハーン(小泉八雲)によって「形而上的問答唄 metaphysical dialogue」として高く評価されて欧米に紹介されている。
 第3に、アイヌ、韓国朝鮮、中国、スコットランド、ロシアのしりとり唄を見ていった。「Aは何(どこへ行った)?」-「Bだよ(Bへ行った)」-「Bはどうなった(どこへ行った)?」-「Cだよ(Cへ行った)」という問答形式によるしりとり唄が、これらの国・地域に共通して見られる。一方、日本の植民地時代の朝鮮半島の子どもたちが「いろはにコンペイトウ」の最後を「えらいは天皇/天皇は人間 人間はわたし」と結び、「天皇もわたしも同じ人間だ」と「宣言」していたことは、アンデルセン童話「はだかの王様」を想起させる。
 第4に、昔話(folktales)研究の国際比較の指標とされるH-J・ウターの国際昔話話型カタログ(ATU)を取り上げた。「マザーグース」として知られる、しりとり唄を含む英語圏伝承童謡の多くが「累積譚」にジャンル分けされており、今後しりとり唄やバラッドを含む物語唄と、昔話を含む民間説話とを、総合的に比較考察していく必要性がある。
 第5に、子どものコスモロジーが端的に見られる、遊びにおける表現活動の様式性について考えた。<つなぐ><並べる><積み重ねる><こわす・ひっくり返す><繰り返す・元に戻す>といった様式性は、しりとり唄をはじめとする伝承童謡にも同様に見て取ることができ、子ども期の伝承文化としての遊び・伝承童謡・民間説話に共通するこうした様式性を踏まえた表現活動によって、子どものアニマシオンが喚起されてきたことが推察される。
 第6に、しりとり唄「さよなら三角~」におけるつなぎの技法へと考察を進めた。2つのものをつなぐ際、音・色・匂い・肌ざわりといった「身体感覚」や、自分の身の回りの存在や出来事を素材に取った「現実感覚」が重視される反面、現実世界の秩序や価値を逸脱し反転させる「脱構築」や、現実世界においては結びつかないはずのものをつなぎ合わせて新たな世界を創造しようとする「再構築」への指向性も窺える。
 最後に、しりとり唄が織り成す世界の背景にある思想として、T・モートンの “ambient ecology” が想起されることを指摘し、その紹介者である篠原雅武の文章を引いて話を結んだ。「……曖昧さ、首尾一貫しないものこそが、エコロジカルな目覚め、転換において大切である。つまり、「ありとあらゆる予定調和のひっくり返し」として、エコロジカルな転換は起こる」(篠原『複数性のエコロジー』以文社2016 p.29)。