吟遊詩人のお話   Mu(井上妙子)


小さい頃から現実が嫌いだった。
嘘や裏切りや暴力がある。
自分は非力で、優しくしてくれる人に頼るしか生きていく術がない。
いくら頭が良くなってもそれをうまく使えない。
学校の成績は良くなるけれど、だからといって何が変わるわけでもない。
世界はつまらない。
私が思っていることを話しても「話が難しい」と言われる。
どうしてわかってくれないんだろう。
別に、私にとっては当たり前のことなのに、なんで人にこんなにも話が通じないんだろう。
世界がガラスの向こうにある。
どうやってもわかりあえない。

そういう気持ちがゆっくり抜けてきたのが高校生のとき。
はじめて、話を聞いてくれる友人ができた。
私の話のことは相変わらずよくわからないらしいのだが、一生懸命聞こうとしてくれた。
ようやく、もしかしたら世界はきちんと繋がっているのかもしれない、と思えた。

社会人になって。
いろんな人と会話するようになって。
私以上に人とうまく話できない人もいること。
そもそも話にしたら嫌がられるようなことが好きな人。
いろんな。
いろんな人がいることを知った。
世界は広かった。

お話の仕方もわかってきた。
私は、相手が理解できる話し方をしていなかったのだ。
思ったことを思ったままに零れ落ちるように話をしても。
相手は私と同じ理解力を持っているわけではない。

仕事で、難しい事柄を人に説明することがよくあった。
わかってもらわなくてはならない。
だから、覚えられるだけの情報に絞って。
だから、同じことを何度も繰り返して。
だから、声のトーンを変えて。
そうして試みていると、わかりやすい、と褒めてくれる人が現れ出した。

一人一人と話すときは、相手の話を聞いて、相手の反応を見て。
相手にどれくらいの理解力があるのかを探りながら、それに合わせて話していく。
それで、話はどんどん伝わるようになっていった。

ただ仕事の話はひどくつまらなかった。
大事な話ではあるのだが、私のしたい話ではなかった。

私のしたい話は、物語だ。
心躍る物語だ。
めくるめく楽しい美しいうっとりする物語たちだ。

それをやっていると。
人がすごく喜んでくれた。

話が通じなかった私の話。
人に通じなかった私の話。
喜んでもらえる日がようやくやってきた。

物語のはじまりは、自分のことを自慢する歌を歌うこと。
人に聞いてもらって、認めてもらうことからだそうだ。

私がふだん話しているのは他人の物語。
ただ今回はちょっとだけ自分のお話をして。
はじまりに戻ることにした。

吟遊詩人みゅうのお話。