古都の伝承       水野 薫

 この夏、江戸時代創業の京都の老舗旅館でお食事をいただく機会を得た。コロナ禍にあっても、いつもと変わらぬ凛とした御姿で、女将が出迎えてくれた。
 あるご縁で、女将と何度かお話をさせて頂いているが、この老舗旅館は、江戸時代から現代にかけて京都を行き交った人々の機微、古の都を行き交う文字にもならない人々の吐息に耳を傾けてきた宿である。当然のことながら、そんな巡りゆく時を継承する女将は、お宿代々の記憶を、お会いするたびに語って聞かせてくださる。去年も、今年も、珠玉のエピソードをたくさんお聞かせていただいた。その上、今回は、今は亡き名物仲居が書かれたというご著書も頂くご厚意にあずかった。そこで、その仲居の書かれた記録も参考にしながら、昭和の文豪たちの人生のひとこまとそこに寄り添った仲居の「八重さん」に触れてみたい。
 チャップリンやアランドロンなど、世を轟かせた世界の名優たちも訪ねたこの宿には、勿論、日本の文化人たちも大勢行き交った歴史がある。お馴染みさんだった文豪のひとりに三島由紀夫がいた。姿勢の良い古武士のような立ち居振る舞いの彼は、一見とっつきにくい印象があったものの、実は子煩悩でよく話もする人だったと八重は記している。ただ、決して口にしないことが二つあり、自分の小説の話と人の噂をことさら嫌った。『金閣寺』に綴られるような人間の憧憬と呪詛の入り混じった深い心の綾について決して口にせず、自分の内面で対話を繰り返して小説にしていたのかもしれない。三島は乗馬が好きで、よく伴侶と連れ立って仲睦まじい姿が見られたという。往年文化の端正の極みを彷彿とさせる。昭和45年10月、当宿に泊まっていた三島の横で、妻がいつになく涙ぐんでいた。そんなふたりを、成す術なく、八重はただ見守ることになる。そして「(僕の事を)忘れないでいてくれる?」という謎の問いかけを仲居の八重に残して、三島は自らこの世を去った。「武士の面影のある先生が当時の社会のあり方、それに耐えかねて死に急ぐ心のご様子」を、八重は三島の詠んだ短歌の中に振り返る。
 次は、同じ昭和の時代に生きながら色合いの異なる作風で知られる川端康成についても触れておきたい。川端もこの宿の常連であった。彼は、昭和43年『古都』のノーベル賞受賞で知られる作家だが『古都』にも『雪国』にも、そして『伊豆の踊子』にもその地方ならではの悲しさと優しさが紡ぎだされる作風が特徴といえる。特に『古都』には「葵祭、祇園祭、大文字送り火...平安神宮、嵯峨、錦市場、北山杉、南禅寺、西陣が、春夏秋冬を背景にして描かれて」いるので、八重は、初めて来た客に京都の何処を観光すれば良いかと問われる度に、必ず川端の『古都』を読んでから行き先を決めるようにと手渡した。艶やかな中京の呉服屋で育つ千重子と北山の鄙びた山村で暮らす苗子、離れ離れで育った双子の姉妹が、縺れた糸を解くがごとくに睦あいながらも互いに手が届かないもどかしさ、そんな心のやり取りが、おのずと憐憫を誘い、古都の情緒をよく伝えるからであろう。そんな作風とは裏腹に、川端は鋭い眼光を持ち、無口で、一見恐ろしい面持ちの人であったと八重は記している。当然のことながら、その種の客には仲居は一層の配慮をしなければならない。当時の宿は練炭が主だったから、夜を徹して執筆する川端に、付かず離れず、一酸化炭素中毒を心配し、八重ははらはらと距離を保って寄り沿った。そんな程よい距離の優しさに、川端も次第に「お八重さん、お八重さん」と慕うようになる。「朝まで湯気の立っている鉄瓶。ほんのりとした香りの漂い。坪庭の風情。こうした日本の情緒風情」がそこはかとなく小説に注がれている様子を八重は思い起こす。そんなゆかしい人間関係もむなしく、川端も、昭和47年4月に自ら命を絶った。「知人友人は、すべてなくなり、自分だけが生き残っている。その生き残っている自分も、決して幸せではなく、苦しみの中に座しているのだ」と思われたのかと、これも川端の遺した短歌に併せて、八重は亡き文豪の最期を振り返る。
 今、コロナ禍にあって、敢えて自ら死を選んだ文豪たちの絶望を反芻してみようというのではない。そうではなくて、それら文豪の人生、突き抜けるような感性で人間を透視できる文壇の寵児が陥りがちな閉そく感ややるせ無さを、世話をしながら、ただ、おろおろと見守った仲居の姿の中に、成果を求める現代人が置き忘れがちな「成す術の無さ」のみが持つ慈しみの美徳を見出すのである。気を配り、身を粉にして献身する仲居の八重は美しいが、それ以上に、世を去ること以外に自分を伝える方法はなかったかと、終生、亡き文豪に問い続けた八重の無言の吐息が美しい。文豪たちの人生のひとこまに途中から寄り寄り沿った息の温もりに、歌い継がれていく古都の伝承を感じたひと夏であった。
 コロナ禍で人間の在り方まで問いただされる今、対面であろうが、画面越しであろうが、或いは掛ける言葉さえ失った時も、さらにこの世を去った後にも、ただ寄り添い続ける事、それが謡い継がれる文学や文化の原点になるという感覚に立ち返った痛烈な一冊となった。
(田口八重.『おこしやす』栄光出版社, 2000. より)