日本バラッド協会第5回(2013)会合
<プログラムとシンポジウムの要旨>
日時:2013年3月23日(土) 会合:13:00~17:00 懇親会:17:10~19:00
会合場所: 同志社女子大学(今出川キャンパス「純正館」)
http://www.dwc.doshisha.ac.jp/access/imadegawa/
http://www.dwc.doshisha.ac.jp/access/imadegawa/campusmap.html
参加費: 1,000円
1. プログラム
司会・進行 中島久代
13:00 開催校挨拶 甲元洋子
13:10 事務局報告/初参加の会員紹介
13:30 特別講演: 宮原牧子 「英国バラッド詩、10分の1の魅力―The Nation's Favourite Poemsにおけるバラッド詩の位置づけ―」
14:10tea break
14:20 シンポジウム:「イギリス演劇とリサイクルされるバラッド」(*三原 穂、上岡サト子、喜多野裕子)
* 三原 穂「シェイクスピア編集とバラッド―トマス・パーシーのバラッド編集にみられる歴史的批評」
* 上岡サト子「オペラとバラッドの融合――John GayのThe Beggar’s Operaの場合」
* 喜多野裕子「シェイクスピア劇とバラッド―“Willow Song”を中心に」
♬木田智之氏と木田直子氏によるハープ演奏及び台詞つきの歌唱による上演あり。
16 : 20 tea break
16:30acoustic guitarist広岡祐一の世界(仮題)
1. La Rotta (John Renbourn) ~ The Earle Of Salisbury (John Renbourn)
2. Scarboroug Fair (trad.) ~ Pavane:Belle Qui Tiens Ma Vie (John Renbourn Group) ~ Let No Man Steal Your Thyme (Pentangle) ~ Bruton Town (Pentangle)
3. The Mist Covered Mountains of Home ~ The Orphan(John Renbourn)
4. The English Dance (John Renbourn)
5. Angie (Bert Jansch ver.)
6. Cherry Tree Carol (Pentangle)
17:00 閉会
17:10 懇親会 会費:5,000円程度
懇親会会場:「ボンボン・カフェ」京都市上京区河原町今出川東入加茂大橋西詰
電話(FAX):075-213-8686
http://www.madoi-co.com/food/bon-boncafe/
2. シンポジウム「イギリス演劇とリサイクルされるバラッド」の要旨
バラッドは、口伝えで伝承される口承歌謡である。歌人がその声を空中に漂わせることによって伝承されるものであるが、書き残されない限りすぐに消えてしまう。そのように儚いバラッドがそのまま捨て去られて消えていくのを避けるべく、それをリサイクルしようとする試みにこのシンポジウムは焦点を当てることになる。バラッドは、演劇というジャンルと結びついてリサイクルされると新たなものに生まれ変わる。バラッドは、オペラやシェイクスピア劇そしてシェイクスピア編集と結びつけられてリサイクルされると、どのような変容を遂げることになるのか、各パネリストが明らかにする。年代順とは逆に、まず18世紀後半のトマス・パーシー(三原担当)、次に18世紀前半のジョン・ゲイ(上岡担当)、最後に16~17世紀のウィリアム・シェイクスピア(喜多野担当) に焦点を当てて、彼らによるバラッドのリサイクルの過程を考察したい。そして、このシンポジウムの締めくくりとして、発表中取り上げられる「柳の歌」「グリーンスリーヴズ」に関する楽曲が、Sylva Sylvarum(シルヴァ・シルヴァルム)の木田智之氏、木田直子氏によるハープ演奏と歌唱によって披露される。
「シェイクスピア編集とバラッド―トマス・パーシーのバラッド編集にみられる歴史的批評」 三原 穂
本発表は、18世紀の文学編集にみられた歴史的批評を基にして、当時のバラッド編集とシェイクスピア編集が結びついていたことを明らかにする。トマス・パーシー(Thomas Percy, 1729-1811)が編集したバラッド集『古英詩拾遺集』(Reliques of Ancient English Poetry)は、過去の著作者を彼らの生きた時代の文脈に照らし合わせて歴史的に理解しようとする試み、すなわち歴史的批評の影響を受けたものである。シェイクスピアがその劇作の中で多くの古いバラッドを活用していることに注目したパーシーは、『拾遺集』の第1巻第2編においてシェイクスピア関係のバラッドを特集した。このようにパーシーがシェイクスピアとバラッドとの関係に注目しているのは、シェイクスピアが熟知していたかもしれないバラッドを調査し、シェイクスピアがそのバラッドからいかなる借用を行ったのかを明らかにするためであったと言えるだろう。シェイクスピア自身が参照した書物を調査することを重視した18世紀のシェイクスピア編集者と同じように、パーシーも、直接的にあるいは間接的にシェイクスピアが使用したと推定されるバラッドを調査して、シェイクスピアの歴史的理解を試みた。パーシーは、『拾遺集』の出版によって、バラッドがシェイクスピアに影響を及ぼしたことを証明しようとしたのであるが、これは、パーシーがバラッド編集の面で歴史的批評という18世紀的事業に貢献したことを意味している。
本発表では、『拾遺集』のシェイクスピア関係のバラッドとシェイクスピア作品の版本(クォート本、フォリオ本そして18世紀の校訂版)を比較照合することによって、パーシーがシェイクスピア編集者に歴史的批評の点で影響を与えた可能性を示したい。パーシーはバラッドをシェイクスピアの歴史的理解のために必要な歴史的資料として提示し、シェイクスピア編集者たちはこれに肯定的に反応した。18世紀には価値のないものとして蔑視されていたバラッドはシェイクスピア編集と結びつくことによって、貴重な歴史的資料としてリサイクルすることができることをパーシーは証明しようとしたのである。
「オペラとバラッドの融合――John GayのThe Beggar’s Operaの場合」 上岡サト子
John Dennis, Jonathan Swift, Samuel Johnson, Alexander Pope 他、当時の知識人は流行のイタリア・オペラに批判的であった。言葉が理解出来ないという点に始まって、王侯、貴族中心の物語設定にも違和感を持っていた。こうした批判の背後に自国文化の自立と社会階層の意識の変化があり、イギリス自前のオペラ制作という流れをもたらし、それは17世紀後半から始まっていた。1683年John BlowがVenus and Adonisを作曲し、この作品が最初の英語によるオペラとなった。
John Gayはイギリス自前のオペラ制作に際して、主に次の二点において従来のオペラ形式についての固定観念を打破した。
①レチタテイーヴォ(recitative(or song dialogue)を廃止した。歌曲と劇中セリフとが分離されることによって、演劇に劣らず台詞がかなりのウエートを占め、パロディー化されたキャラクターのセリフが決めてで、観客の理解と笑いを醸成している。オペラは歌曲よりもシナリオ重視の傾向があった。
②イタリア・オペラに見られる常識にとらわれず、王侯、貴族などの物語は非現実として排除され、登場人物は犯罪人や売春婦などが舞台で活躍する破天荒なプロットを採用した。
今日で言うクラシック音楽の伝統に欠けるイギリスで自前のオペラとなると、どのような音楽構成にするか、問題は音楽である。Gayが出した答えは、バラッドの採用、リサイクルである。歌曲は69曲、当時のポピュラーソングや伝承バラッド、ブロードサイド・バラッドから45曲採用された。バラッドは基本的には謡詩であるので、オペラには最適なものである。リフレーンや章句の反復が歌う詩であるオペラの歌曲にマッチしている。Greensleevesを例に説明すると、この曲は、to the tune of Greensleevesの旋律でという指示のもとリサイクルされ今日まで伝承されてきた。イタリア・オペラのアリアらしい歌曲はないが、第3幕で主人公マックヒースがこの旋律に乗せて歌う曲番67はそれにあたるものである。
こうした俗謡とHenry Purcell やG. F. Handelなど高名な音楽家の作品は相互補完している。Handel作曲のIt was When the Sea was Roaring(曲番28)のような作品は、イタリア・オペラの伝統を踏まえた歌曲で、旋律の繰り返しの多いバラッドのなかで、旋律,歌詞ともにオペラ通の観客の耳にも耐えうるものになっている点は見逃せない。異なったジャンルの音楽が自然な形で融合している。
Gayは文学と音楽の融合によるイギリス自前のオペラ制作に成功した。バラッド・オペラを通じて言えることは、19世紀末のサヴォイ・オペラに継承され、ミュ-ジカル文化の繁栄に寄与した。バラッドはイギリス音楽文化の基底をなしている。オペラが新しい可能性に富んだ娯楽として一般の人々に受け入れられた。
「シェイクスピア劇とバラッド―"Willow Song"を中心に」 喜多野裕子
本発表では初期近代イングランドにおける演劇とバラッドの相互関連性を素地とし、William Shakespeare (1564-1616)のOthello (1603-04)4幕3場においてデズデモーナが"Willow Song"を歌うシーンの劇的機能を考察する。まず導入として以下の二点を概観する必要があるだろう。
①当時のバラッドの流通と社会への浸透状況について―"oral culture"と"written text"の両側面から―
②劇作品とバラッド―シェイクスピアはバラッドを劇作にあたってどのように織り込んでいるのか―
本論においては、"Willow Song"とその材源であるブロードサイド・バラッド"A Louers complaint being forsaken of his Loue."を比較する。このバラッドは、もともとはリュート用歌曲"Willow, willow"の歌詞であり、創作年代は不詳であるが、少なくともヘンリー八世の治世には既に流布していたと考えられている。その手書きの楽譜は1570年代初頭から1616年頃の間に三種類のリュート集に記録されている。メロディーに関しては各々異なり、その他種々のヴァリエーションも認められる一方、歌詞はほぼ一致しており上記のタイトルで、ブロードサイド・バラッドとしても流通するようになった。
不実な恋人に背かれた嘆きを"All a green willow"のリフレインにのせる歌は、このバラッド以外にもルネサンス期の散文や詩集に散見する。その歌を歌う行為が報われない恋の象徴であることは、当時の人々にとって階級を越えた共通理解であり、劇作品の中でもしばしば言及される。しかしOthelloのように登場人物が"willow "にまつわる歌を実際に歌う場面が挿入されている劇は稀である。しかもシェイクスピアは、夫に絞殺される直前に妻が口ずさむ歌としてこのバラッドを採択するにあたり、いくつかの改変を加えている。嘆く人物の性別や歌詞の変更により、バラッドの歌唱は単に悲劇を彩る劇的効果にとどまらず、主題と密接に関連した機能として再生産される。その過程を検証したい。
*なお今回は木田智之氏と木田直子氏に、上記シーンをハープ演奏及び台詞つきの歌唱により上演して頂きます。どうぞお楽しみに。