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1. 講演(オンデマンド)三井徹「伝承バラッド “Pretty Polly"の旋律が沖縄音階に」

質疑応答
講演 三井 徹さん「伝承バラッド “Pretty Polly” の旋律が沖縄音階に」

Q1 [H. N. さん]
五音音階は印刷物での公表であったため「結局のところ、1930 年代半ばにヴァジニア州ラグビーで旋律変形した“Pretty Polly”の変形は、受け継がれることはなかったのでした。」と書かれています。Kristin Hershなどの後発のシンガーたちはどのようにしてこの音階に出会ったのでしょうか。何かムーブメントがあったのでしょうか。

A1 [三井さん]
Kristin Hershなどが接した “Pretty Polly”はOur Singing Countryを通してだと察しております。紙装版がやっと出たのは2000年ですが(Dover Publications)、それ以前に、1941年初版に図書館などで接していたのでしょう。それにしても何十年も後になってということですし、1966年生れの人ですので、米民謡に対する関心が生じたのは、ロック音楽に没頭してから年月が経ってからのことだと思います。もしムーヴメントがあったとしても、残念ながらそこまでは調べておりません。なお、そのHershの箇所で指摘していますように、沖縄音階に接したわけではありませんことは、七度の音を決してそのまま踏襲することなく、一貫して半音下げてしまっていることが示しています。

Q 2 [H. N. さん]
フィドルやバンジョーに替わってギターが普及したことで、バラッドに五音音階という変種が生まれたというご主張だと理解しました。資料中に言及された”Oh Molly Dear” の他にも、先生が主張される沖縄音階で歌われる、あるいはその音階で採譜されたバラッドが多くあるのでは、と思いました。あるとしましたら、どのような歌がありますか。

A2 [三井さん]
まず、「ギターが普及したことでバラッドに五音音階という変種が生まれた」ということではありません。私の説明が言葉足らずだったのかと思います。米国で20世紀初めから採集されてきたバラッドには五音音階は非常に多く、「五音音階という変種」はございません。言及しています ”Oh Molly Dear” は沖縄音階ではありません。この録音に言及したのは、主音がgであることを裏付けるためでした。これも私の説明が言葉足らずだったのかと思います。旋律の主な部分が偶然沖縄音階になっている曲は、私の知る限りE.C.Ballが歌う “Pretty Polly”だけです。

Q 3 [H. N. さん]
Q 2に関連して、五音音階は沖縄独自の音階でしょうか、または、世界の音楽で、五音音階を持っている地域があるのでしょうか。五音音階の採譜者は、沖縄音階に似ている、ということは知らなかったとして、どこかの地域の音楽にある音階、と思って採譜したということもありうるかな、などとと想像しました。

A3 [三井さん]
五音音階は世界中に存在しておりまして、その五音の構成はさまざまです。沖縄音階と同じ五音の構成につきましては、平凡社の『音楽大事典』第1巻(1981年)の中の「沖縄」(小島美子執筆、270-8頁)中の、「音楽的特徴」→「音階」の箇所に、沖縄音階は「インドネシアをはじめ、[…]この音階がかなり多く見られる」とあります。しかし、1941年には、Alan LomaxにもRuth Seegerにそこまでの知識があったとは到底思えません。

 
2. 研究発表資料(オンライン)奥山裕介「ヨーロッパ文学の中のデンマーク・バラッド 収集・翻訳・アダプテーション」

質疑応答
研究発表1 奥山裕介さん「ヨーロッパ文学の中のデンマーク・バラッド」
Q [M. M. さん]
私は最近アウトローが登場する19世紀のバラッド詩に興味を持っております。 資料5ページ目のウォルター・スコットの2行目にあがっています「アリス・ブランド」ですが、イギリスの伝承バラッドの中の伝統的なアウトロー(特にロビン・フッド)のうたわれ方とは大きく異なる、とても興味深い作品だと思います。
 奥山さんの資料の「ヴィーゼルとスュウからの着想」というご指摘に、もしかするとこの辺りに、この作品が伝統的なイギリスのアウトロー・バラッドと一線を画す理由があるのではと思いました。 詳しいお話をお伺いできれば幸いです。或いは、日本語か英語で読める資料で、この辺りの事情が書かれたものがあれば、ご紹介いただけないでしょうか。

A [奥山さん]
今回の発表の骨子は、文献一覧に記載しましたMøllerの論文に多くを負っていまして、スコットによるデンマーク・バラッドの受容についてもそちらで初めて知った次第です(いま気づきましたが、PDF版がウェブで読めるようです。Møller論文はpp. 31-51,  https://cdn.lbryplayer.xyz/api/v4/streams/free/60979/cb2cea3d00947cbc32e5898f93e4941d9278a899/13f820)。
口頭報告では「アリス・ブランド」にのみ言及しましたが、同じく『湖の麗人』に挿入されるThe Elfin Grayもデンマーク・バラッド「ヴィレンスコフの農夫の妻エリーネEline Bondens Hustru af Villenskof」(スュウ版に収録)に由来するようですね。

『湖の麗人』の初版本
https://books.google.co.jp/booksid=MLEWAAAAQAAJ&newbks=1&newbks_redir=0&printsec=frontcover&hl=ja#v=onepage&q&f=false)についているスコット自身の後注(p. 366f)では、ヴィーゼル版(1591年)とスュウ版(1695年)のバラッドの内容をジェイミソンの翻訳を通じて知った経緯が明らかにされています。それによると、北欧とスコットランドのバラッドを言語的に地続きで捉えるジェイミソンにスコットも基本的に同調しているらしく、「アリス・ブランド」の内容がthe Young Tamlaneの物語を扱ったthe Border Minstrelsyを連想させると述べています。
 自文化の特殊性を隣接領域に向けて強調するために異文化のイメージを参照するというのはさまざまな地域にみられる傾向で、この場合もデンマーク・バラッドとの言語的な近縁関係を根拠にスコットランドの特殊性が主張されていると読むこともできるかもしれません(19世紀デンマークでは逆にスヴェン・グロントヴィがイギリス、スコットランド、フェーロー諸島との関係を強調してドイツに対抗した経緯があります)。
 表現上の特徴としては、“Mr. Jamieson, to secure the power of literal translation, has adopted the old Scottish idiom, which approaches so near to that of the Danish, as almost to give word for word, as well as line for line, and indeed in many verses the orthography alone is altered. ”と記しているあたり、デンマーク語オリジナルの語感を翻訳に反映しようという試行錯誤の様子が窺われます。
 Møller論文の43ページ末尾から次ページにわたって述べられていることですが、デンマーク・バラッドの特徴は短い叙述で凝縮したイメージを喚起することにあるとジェイミソンらは理解していたらしく、そういった語数の省略を意識しながら換骨奪胎することで、ご指摘のようなイギリスの伝承バラッドとの相違を意図的に生み出したのかなとも思いました。
 こういった議論は、語圏ごとに縦割りになった人文学の制度に一石を投じる端緒にもなりそうで、ぜひこれからもご意見を伺えますと幸いです。


研究発表2 安保寛尚さん「植民地時代キューバの物語詩 −『キューバ人』の人種的・文化的主体の表象の変遷について−」
Q1 [Y. K. さん]
シボネイ主義のシボネイ族の章について、一部の詩人たちが反スペインを表明するキューバ詩の形成のために、シボネイ族を、主に検疫を逃れるために戦略的に使用・利用した、という理解でよろしいでしょうか。それでは、ご紹介下さったフォルナリスやルアセスはシボネイ族が独自に所有していたであろう「うた」「歌」「謡」、あるいは「物語」や文化を融合して新しいキューバ詩を形成しようとしたということは無いということでしょうか。彼らはシボネイ族の文化をどのように捉えていたのでしょうか。言葉は悪いのですが、道具とみなしただけで敬意をもっていたわけではない、という理解でよろしいでしょうか。

A1 [安保さん]
そうですね。インディオの歌が融合したキューバ詩が形成されていたら、シボネイ主義はもっと文学的に評価されていたでしょうね。けれども16世紀に始まった植民地化において、疫病や強制労働によってキューバのインディオは早い段階でほとんど絶滅しました。そのため、シボネイ主義が起こった19世紀後半には、もはや融合できるようなインディオの歌や文化はほぼ残っていない状態でした(アレイートという儀式・歌・踊りが存在していたことは記録に残っているのですが)。それゆえ、シボネイ主義の詩人たちがインディオに敬意を持っていたかどうかは判断が難しいですが、基本的には反スペイン表明のために利用されたという理解で良いかと思います。その結果、シボネイ主義は、嘘っぽい、趣味が悪い、人工的と批判されます。
 ただし、インディオの伝説、あるいは物語が詩の題材となっている作品もあります。そして「クカランベー(Cucalambé)」の筆名で知られた民衆詩人フアン・クリストバル・ナポレス・ファハルド(Juan Cristóbal Nápoles Fajardo)は、それがキューバの原初的自然と調和した詩を残しました。とはいえ彼の場合も、「新しいキューバ詩」を形成しようとしたというよりは、フォルナリスやルアセスと同様に政治的動機が基底にあったと思われます。

Q2 [K. S.さん]
非常に初歩的な質問ですが、韻についてです。英語の韻ですと、一般的に押韻の型は行末の脚韻でaabb . . . となりますが、資料の韻はその手前の音が押韻されていました。これは語尾変化があるためだと思いますが、スペイン語ではこのような韻が一般的なのでしょうか。

A2 [安保さん]
スペイン語の韻ですが、行末のアクセントのある音節が韻を踏みます。スペイン語のアクセントは、最後の音節から二つ目に置かれる語が多いため、「手前の音」が押韻されている印象を受けられたのだと思います。
 ただし、最後の音節、あるいは後ろから3番目の音節にアクセントが置かれる語もあります。その場合は、韻律としては前者はその後に一拍(1音節)をカウントし、後者では最後の音節をカウントしません。つまり、結論としてはどの行末もóoとなって、óの母音が韻の中心となります。

Q3 [K. S.さん]
(ご発表の)バラッド詩自体は今のスペイン語だったと思うのですが、英語のバラッドの場合には、特にスコットランドにおいて、自分たちのアイデンティティを誇示するためにスコッツ語をバラッドの中に入れる傾向がありました。キューバのバラッドにも、土着のキューバの言葉を入れ込むような、語源的なアイデンティティの誇示はあるのでしょうか。」

A3 [安保さん]
土着のキューバの言葉はインディオの言葉になりますが、それはキューバ原産の植物名や地名を除いてほぼ残っていません。19世紀後半のシボネイ主義の詩でも、伝説的なインディオの首長の名前や植物名以外には見当たりません。19世紀前半の「キューバのロマンセ」ではキューバ農村の風景や土着文化が詩の題材となりましたが、そこでも言葉そのものがアイデンティティの誇示として利用されたことはほとんどなかったようです。

 

3. パフォーマンス動画配信資料 サルミアッキ「Salmiakki performance for “Virtual Kaustinen 2021”」

   動画への直接リンク: https://youtu.be/Sin5oslH9yw