日本バラッド協会第14回(2023)会合のご案内

開催日:2023年3月25日(土) 
開催方法:zoomによるオンライン発表とパフォーマンス映像配信の形で開催
Zoom入室へのURLを3月に入って後、全員にメールにてお送りします。
*途中電波の乱れなど不測の事態が起こりましても中断・時間延長はせずに、送信できなかった発表等は、後日に協会HP情報広場に、会合の報告として概要を掲載することで替える予定です。どうぞよろしくご了解ください。

<プログラム>*今後に変更もありますので、最新情報にご留意ください。

総合司会 島崎 寛子
12:50 ミーティングルーム入室開始
13:00 開会 事務局報告 中島 久代
13:10 講演  山中 光義 「バラッド詩とは?」
13:30-14:45 リレー・トーク
トーク1 山中 光義 「言葉の抽象化―Thomas Tickell, “Lucy and Colin” (1725)」
トーク2 鎌田 明子 「主体を表現するバラッド-John Keats, “Ah! ken ye what I met the day” (1818)」
トーク3 三木 菜緒美「バラッド文化の芸術表現―John Masefield と Jack B. Yeats」
トーク4 宮原 牧子 「深化するバラッド詩―Alfred Noyesの場合」
トーク5 中島 久代 「“A Shropshire Lad”(1935)に見るバラッド詩人John Betjeman」
14:45 質疑応答
15:00 [ブレイク]
15:15 研究発表 喜多野 裕子
15:45 質疑応答
16:00 [ブレイク]
16:15 パフォーマンス映像配信 greyish glow
16:45 閉会(予定)

 
<講演概要>

「バラッド詩とは?」 山中 光義

 作者不詳の「伝承バラッド」に対して、名前の明らかな詩人たちがそれを模倣して創った独自の作品を「バラッド詩」 と呼んでいる。PercyのReliques of Ancient English Poetry (1765)によって英詩は復活したとWordsworthが述べたように、18世紀後半から詩人たちによるバラッド詩は増え続け、数多くの模倣詩が書き残されてきた。しかしながら、独自のジャンルとさえ言えるバラッド詩の本格的な研究は、日英を問わずほとんどなされて来なかったというのが実情であった。彼らの模倣と逸脱は千差万別であり、私たち「バラッド研究会」は『全訳チャイル・バラッド』とインターネット上に構築してきた『英国バラッド詩アーカイブ』
を基礎資料として、バラッド詩の系譜の確立を展望している。本講演はその紹介であり、第二部は「リレー・トーク」の形で実例をご紹介するものである。

<リレー・トーク概要>
トーク 1 山中 光義:「言葉の抽象化―Thomas Tickell, “Lucy and Colin” (1725)」
 この作品は"Fair Margaret and Sweet William" (Child 74B)という当時人気のあった伝承バラッドを模倣したものだが、逸脱の好例を示す作品である。捨てられた恋人が自分を裏切った男の新婚の夜の寝床に現れるという場面で、伝承では女が死んだ亡霊であるとは微塵も感じさせない。これを伝承バラッドに固有の「肉体を持った亡霊」 (‘corporeal revenant’)と言う。他方Tickellにおいては、女は経帷子に包まれた死体として運ばれてゆく。捨てた女を伝承の男が再び愛すようになるのとは違って、「困惑 恥辱 後悔 絶望」が男の胸を張り裂いたとティッケルは表現する。このような抽象的な言葉こそいかにも詩人の言葉である。われわれ自身が普通に使って最早その意味をいちいち詮索しない抽象語であるが、伝承の言葉としては決して馴染まないものであった。18世紀「理性の時代」に失われゆくフォークロアの実例である。

トーク 2 鎌田 明子:「John Keats, “Ah! ken ye what I met the day”(1818)」
 1818年6月24日John Keats(1795-1821)はイングランド北部からスコットランド、アイルランドを巡る2か月間にわたる徒歩旅行に出かける。この旅行中の7月10日、弟トム宛の書簡に書かれた'Ah! ken ye what I met the day'で始まる作品は、ストランラーからエアシャーに入ったところで出会った結婚式の一団に着想を得て、地元に伝わるバラッドに似せる意図をもって作られた。F. J. Childはバラッドの根本的な特徴を ‘the absence of subjectivity and self-consciousness’(主体性と自意識の欠如)と述べているが、キーツの作品には多分に個人的事情が含まれ、彼自身の伝記的背景を知ることでこの作品の解釈は大きく変化する。バラッドという非個性の世界に詩人が主体性を持ち込んだ一例としてこの作品を考察する。

トーク 3 三木 菜緒美:「バラッド文化の芸術表現―John Masefield と Jack B. Yeats」
 John Masefield (1878-1967) の最初期の詩集 Salt-Water Ballads (1902) に収められたバラッド詩 “Sea-Fever” や、続く詩集Ballads (1903) 内の “Cargoes” は、商船の乗組員としての経験をもつこの詩人が、海洋バラッド詩の名手であることを印象付ける。これらの詩集で、メイスフィールドは水夫の言葉を使い、海上で暮らす船乗りの生活を歌い上げている。彼はまた、シー・シャンティーも含め、海や船乗りに関する詩を集め、アンソロジーA Sailor’s Garland (1906) を編纂した。これらの海洋バラッドやシー・シャンティーは、アイルランドの画家であるJack B. Yeats (1871-1957) が製作していた月間ブロードサイドA Broad Sheet (1902-03) や A Broadside (1906-1915) に材料を提供し、バラッド文化の芸術表現へと発展させた。

トーク 4 宮原 牧子:「深化するバラッド詩―Alfred Noyesの場合」
 Alfred Noyes(1880-1958)といえば、絵本や映画にもなった“The Highwayman” (1906)の作者として有名な詩人であるが、実は他にも“The Ballad of Dick Turpin”(1928)や“Will Shakespeare’s out like Robin Hood”(1928)といった独特なアウトロー・バラッド詩を書き残している。ノイズの作品はいずれも新しい時代のバラッドであり、かつて陽気なアウトローたちの活躍をうたった伝承バラッドからは遠くかけ離れたものとなっている。伝承バラッドを踏まえて19世紀につくられた数々のアウトロー・バラッド詩の系譜の先に、ノイズがどのような作品を生み出したのか、時代背景やノイズ自身の短編小説や詩を手掛かりに探りたい。

トーク 5 中島 久代:「“A Shropshire Lad”に見るバラッド詩人John Betjeman」
 John Betjeman (1906-1984) はリズミカルなlight verseを得意とし、20世紀のイギリスで最も人気のある詩人という評価を得た桂冠詩人である。ベッチマンはバラッドというタイトルを持つ作品やバラッド詩のジャンルに分類できる作品を多く書いた訳ではないが、代表的なバラッド詩にはパロディ精神の発揮やリフレイン・繰り返し・incremental repetitionなど巧みな技巧が見られ、17世紀に始まるバラッド詩の系譜を引き継ぐバラッド詩人と言うことができる。彼の “A Shropshire Lad”(1939)を題材としてバラッド詩としての特色を分析し、併せて、読者不在と言われた現代詩においてベッチマンのバラッド詩が果たした役割を考える。

 

<研究発表 概要>

バラッドから謡への変容ー「アッシャーズ・ウェルの女」と原一郎による「閼沙井」:母を/が 求める墓からの帰還者たちー   喜多野裕子

 原一郎は「バラッドと謡曲―その主題と結構(比較文学的考察の試み)―」(1970) において、謡曲とバラッドの比較考察を主に形式や主題の類似性を軸として試みている。しかしその論が学術研究としてその後さらに深化及び発展されることは、これまでほとんどなかったように思われる。原自身、単なる類似では論をなさないと認めているがこの論文には「バラッドのもつ謡曲性を伝える」(223)ために「アッシャーズ・ウェルの女」の「謡曲調試訳」(223)として「閼沙井」が記載されている。一つの試みとして、謡へのアダプテーションを自ら行っている点は評価されるべきである。おそらく伝承バラッドが謡の形式を模倣して発表されたのはこの試訳のみであろう。本発表では「アッシャーズ・ウェルの女」と同様に、息子を亡くした母の嘆きと亡霊の息子との別れを謡う謡曲『隅田川』との比較を “corporeal revenant” を中心に試みたい。さらにバラッドが時代や国を超えて再利用・再生産されてゆく特性を踏まえ、高安流能楽師 有松遼一氏のご協力のもと、「閼沙井」の一部に謡の節をつけて音声により披露することを予定している。
 有松遼一公式ウェブサイト  https://arimatsu-noh.com/

 

<パフォーマンス映像配信 案内>

バラッドを歌う greyish glow 2022-23

演奏 greyish glow (グレイッシュ・グロウ)
Vocal : Misuzu Kanno
Vocal : Sino Morita
Guitar : Sou Kanno

演奏曲
John Barleycorn (Traffic ver.)
Scarborough Fair
The blacksmith
My Johnny was a shoemaker (a cappella)
Silver Whistle (a cappella)
Four Loom Weaver (a cappella)
All things are quite silent
Old Miner

greyish glowはブリティッシュ・トラッド(と私たちは呼んでいます)を主に演奏するグループ。現在はボーカル2人、ギター1人の3人で札幌を中心に演奏活動をしています。結成から20年を過ぎました。
 「バラッドを歌う」は2010年と2011年に札幌の渡辺淳一文学館で開かれたコンサートの表題で、バラッド協会に出会ったきっかけでもあります。
今回の動画は2022年の夏から2023年の2月にかけて録画した演奏を編集したものです。「バラッドを歌う」の表題通り、伝承物語を語り歌っています。