第14(2023)回会合 閉会後の質疑応答

リレー・トーク3 三木菜緒美「バラッド文化の芸術表現―John Masefield と Jack B. Yeats」
Q [Y. K. さん]
 最近のシェイクスピア研究で、初期近代の演劇界と路上のバラッド売りはビジネスとして密接に繋がっていたのではないか、という説があります。例えば、シェイクスピア作品の劇中歌のいくつかは劇場前で販売されていたブロードサイドバラッドの宣伝のためのもの、或いはその逆に、例えば公演中の『ハムレット』の物語をバラッドにしてもらう、といった形で、互いを広告メディアとして使っていた可能性が指摘されています。
 ジャック・イェイツが出版していたブローサイドバラッドは労働歌を挿絵付きで掲載したり、謡う人に焦点を当てたり古くからのバラッド文化に対する敬意と、それを芸術表現に高めようという意識が強いようですが、現実的な問題として、当時の労働者階級と何か"Win-win"の関係になるようなビジネス的な繋がりはなかったのでしょうか?ジャックと労働者の関係は、芸術家と芸術表現の対象というもの以外はなかったのでしょうか。

A [三木さん]
 「初期近代の演劇界と路上のバラッド売りはビジネスとして密接に繋がっていたのではないか」という点についてはミュージックホールについての研究書を読んでいた時にそのような記述があったことを覚えています。ジャックはミュージックホールのような大衆演劇にも関心を持っており、Punch にも Cartoonist として長年にわたり寄稿してもいました。芸術家と労働者階級の間の Win-Win関係がジャックの場合にあったかどうか。ビジネス関係についてですが、1908年からの復刻版ブロードサイドバラッドについては姉が Dun Emer という共同出版社をしていたのですが、喧嘩して独立することになり、その最初の目玉企画の一つとして出版を始めたことはわかっています。またこれらの出版社の背景には Arts and Crafts 運動が関わっており、それがジャックのブロードサイドバラッドにも影響していると思われます。出版形態は定期購読による販売で、アメリカ人の購読者が多くいたようです。当時、アメリカではアイルランドの演劇が上演されたりしてアイルランドの地方に関心のある人が多かったようです。姉の出版社以外に労働者階級とのつながりがあったかどうかは今のところ不明です。ジャックは生前に書簡等、個人にまつわるものは焼却処分していてあまり個人の考えを知る資料がありません。そこがわかる資料が何かあると私の研究もすごく進むのですが。しかし、バラッド・歌収集癖があったのはイェイツアーカイブにある膨大なバラッドの数ではっきりしています。

 
研究発表 喜多野裕子 「バラッドから謡への変容--『アッシャーズ・ウェルの女』と原一郎による「閼沙井」:母を/が 求める墓からの帰還者たち--」 

Q [H. N. さん]  
 リレー・トーク5で言及したテニスンの“The Charge of the Light Brigade”は、明治期に日本に紹介されて、外山正一の軍歌「抜刀隊」を生んだと言われています。下のような歌詞はテニスンの翻訳だろうと思います。

死ぬる覺悟で進むべし (リフレインになっている)

前を望めば劔なり
右も左りも皆劔

 外国文化が日本に受容される時には、この軍歌のように、受容側にわかる手段や機会によってなされることもあると思われます。そうすると、ハーンがバラッドを日本に紹介した後、能、狂言の形で受容するという流行りのようなこともあったのでは、とふと思ったのですが、いかがでしょうか。

A [喜多野さん]
 ハーンの東大での講義を聴いた学生たちやそのまた弟子たちが、英語教育の一端としてでも何かバラッドと謡曲をつなぐ動きがあったかもしれないです。検索してみたら、The Lady of the Lake の「今様長唄」なる翻訳はあるようです。
https://dl.ndl.go.jp/pid/896871/1/94
Hymn to the Virginの箇所、"Ave Maria"が「南無マリイ」になっていて興味深いです。また、大変な美文です、謡曲にもなりそうです。しかし、長唄と謡曲の詞章としての違いもはっきり分からないところですが。訳者の塩井雨江(正男)は東大国文科1895年卒で96年赴任のハーンとはすれ違いでしょうか。発表でも少し言及した平川祐弘先生は『オセロー』を能に翻案されているしハーンの研究者でもあります。
 そもそも気になっている点なのですが、浄瑠璃(長唄もおそらく)の歌い手は"Ballad singer"と英訳されるようです。謡曲も物語歌なのに、なぜかNoh-play, utai, yokyokuです。世界からも能、謡曲はハイカルチャーとして特別扱いされているのかと思います。能はともかく、謡曲は庶民に浸透していたのに、です。