Snyderの研究ノート考

Robert Burns(1759-96)のバラッド詩について資料を漁るうちに、協会HPのBibliographyを通して、研究ノートとはこういうものではない かと思う資料に出会った。Franklyn Bliss Snyder, ‘Notes on Burns and the Popular Ballads’, The Journal of English and Germanic Philology, vol. 17 (1918) 2: 281-88 である。Snyderの論法は、まず、18世紀の代表的なバラッドのアンソロジーを提示して、バーンズの生きた時代がバラッド蒐集熱の高まりの時期に一致 していることを示す。次にバーンズの書簡から、彼は伝承バラッドとバラッド詩とを区別せず、後世の研究的視点から見て伝承バラッドの捉え方が曖昧である点 を指摘する。これらを踏まえて、Snyderはバーンズの摸倣を3つのカテゴリーに分類する。分類Aでは、バーンズが伝承バラッドを語り直している作品と して、‘Lord Gregory’と‘Kellyburn Braes’の2作品を挙げる。‘Lord Gregory’は‘The Lass of Roch Royal’(Child 76)の、‘Kellyburn Braes’は‘The Farmer’s Curst Wife’(Child 278)の摸倣である。分類Bでは、リフレインや常套表現などのバラッドの様式が模倣されている作品として、‘The Five Carlins’、‘John Barleycorn’、‘Grim Grizzel’、‘Elegy on Willie Nicol’s Mare’、‘The Fete Champetre’の5作品を挙げる。分類Cではバラッドの特徴的な表現が1箇所でも使われているものとして12作品を挙げる。例えば ‘The Duchess of Gordon’s Reel Dancing’中の“She kiltit up her kirtle weel”という表現は、伝承バラッド‘Tam Lin’の“Janet has kilted her green kirtle”からの摸倣である。この3つの分類によってSnyderがバラッドの模倣詩と断定する作品は合計20を数える。90年も前の、わずか8ペー ジのノートながら、Snyderノートはバーンズのバラッド詩研究を可能とする基本情報を整理し、この研究にある程度の成果が上がることを確証している。 「バラッド詩の系譜」の確立にとって、このノートが非常に有用であることは言うまでもない。

ここでSnyderの分類Aから‘The Carl of Kellyburn Braes’(1794)を取り上げて、バーンズの摸倣の実態を分析したい。前述したように、この作品は伝承バラッド ‘The Farmer’s Curst Wife’のかなり忠実な模倣である。ケリバーンの農夫から悪妻を譲り受けた悪魔は、貧乏な行商人よろしく悪妻を家へと運んでいったが、悪妻は気が狂った 熊のように50人の悪魔の警護隊をひとり残らずやっつけてしまう。悪魔はこの悪妻に縛られていたケリバーンの農夫を哀れに思うが、自分の結婚生活も地獄の 生活だと気が付き、農夫に悪妻を返しに行く。第14スタンザの台詞は「おれは生涯悪魔だったが/ヘンルーダとタイムは青く茂っている/この悪妻に会って初 めて 地獄を見た/タイムは枯れても ヘンルーダは咲いている」というものである。悪魔が人間の女に降参するというストーリーは伝承とまったく同じだが、 第11、12スタンザで、悪魔はナイフの刃にかけてケリバーンの農夫に同情したり、教会と鐘にかけて農夫は地獄の生活をしていたのだと悟ったり、悪魔の軟 弱さと感傷性が一段と強調されている。

この作品では各スタンザの2行目と4行目のリフレインに注目したい。「ヘンルーダとタイムは青く茂っている」と「タイムは枯れても ヘンルーダは咲いてい る」の効果としては、一見すれば、ストーリーに直接関係しないリフレインの挿入によって、伝承バラッドのリフレインのような、存在するものの悲しみを自然 の中に包み込んで癒す役割を果たしているように 思われる。Snyderはリフレインの摸倣元として、‘The Cruel Brother’ (Child11) や‘Leesome Brand’(Child 15)を挙げているが、バーンズのこのリフレインと最も近いのは、‘The Elfin Knight’(Child 2)のG版、または同異版の ‘Scarborough Fair’の「パセリ セージ ローズマリーにタイム」であろう。しかし伝承バラッドにのみこだわらず、スコットランド格言‘Rue and thyme grow both in one garden’をバーンズのリフレインに並べてみると、バーンズのリフレインが単なる模倣ではなくて、彼の意図的な技巧ではないかと思われるのである。こ の格言はThe Oxford Dictionary of English Proverbsによれば、‘A persuasion to repent and give over an attempt before it be too late, alluding to the sound of the two herbs here named.’と解説されている。(1)  ‘Rue’ は「ヘンルーダ」と「後悔」の意味を持ち、‘thyme’はその音から‘time’をも連想することから、「後悔先にたたず」に相当する格言である。バー ンズは伝承のリフレインの模倣に見せかけつつ、格言を暗示するリフレインを創作して、悪魔とケリバーンの丘の農夫の哀れさに最初から最後まで教訓を垂れて いるのである。そして、この教訓的リフレインは作品全体を明らかに感傷的に変質している。こういった特色は、物語に徹する伝承バラッドではなく、職業詩人 のバラッド詩ないしはブロードサイド・バラッドのものである。Snyderはこの作品を伝承の語り直しと分類しているが、そうであっても、バーンズの摸倣 詩はバーンズの個性を露呈する結果となっている。

リフレインが感傷性を助長しているとすれば、悪魔の「ナイフの刃にかけて」や「教会と鐘にかけて」という行為も、バーンズの宗教に対する軟弱で感傷的な態 度を暗示するのではないか。ここでバーンズの宗教観というテーマを掘り下げることはできないが、Edwin MuirがScottish Journey(1935) の中で繰り返す、John Knoxによる宗教改革以降のスコットランド詩の質の変化とプロテスタントとしてのバーンズ批判は、ここからも見えるのではないか。ミュアは言う。" [the ballads] form the greatest body of Catholic poetry in Scottish literature, greater even than that of Henryson and Dunbar. . . .  In calling the ballads Catholic I am using that term very loosely, and mean by it nothing more than that the ballads possess a quality which the rest of Scottish poetry after the Reformation lacks. Burns is a very Protestant poet. Even in his remoulding of old folk songs he never goes back in sentiment past the Reformation.”(2)

Snyderの分類を出発点として、分析の結果は、おそらくSnyderは意図しなかった、バーンズの感傷性に行き着いた。しかし、摸倣元の作品を特定す るSnyderノートは、正確な摸倣元の特定のみをその目的とするのではないだろう。 Snyderの挙げた20作品からバーンズのバラッド詩について何が言えるのか、Snyderはこのノートからどのような論を構築するつもりだったのか、 興味の尽きないノートである。

<註>

(1) 薮下卓郎・山中光義編、Traditional and Literary Ballads(大坂教育図書、昭和55年)168参照。

(2) Edwin Muir, Scottish Journey (Edinburgh: Mainstream, 1935) 45-46.