伝承バラッドの録音文化における展開 ―《酷き母》50異本の言葉と音楽 その1 歌詞について

これまで時空間的に大きな移動と変容を続けてきたバラッドは、現在いかなる姿でそこにあるのだろうか。口頭で伝承されるジャンルが、書かれたものや録音と いう伝承媒体を獲得する過程で、伝承の主体と演奏の場を変えながらどのような形に落ち着いてきているか、あるいは拡散していく傾向にあるのか、《酷き母 The cruel mother》(Child20)を用いて考察することが本稿の目的である。

従来のバラッド研究において、特に音楽 学の領域では、職業歌手による伝承が正面から論じられることが少なかった。その背景には、職業歌手によるパフォーマンスの多くが、フォーク、エレクトリッ ク・フォーク、フォーク・ロックといった、アカデミズムに馴染みにくいジャンルとして括られてしまうことがある。しかしながら、口頭伝承が明らかに衰退し ている一方で、ポピュラー音楽の担い手たちが毎年のようにバラッドの録音を手掛けている現実を見るならば、録音という方法がバラッド伝承のひとつの形とし て機能していることは否定できないだろう。録音が新たな伝承の源となっている現状では、録音版の実態を把握し、口頭伝承との接続性を探していく方が有益で はないだろうか。そこで本稿では、LPやCDなどの録音に現れた《酷き母》約50篇に向き合い、書記文化を参照しながら現在の伝承の姿を大きく捉えてみた い。

筆者はまず、リリースされたLPとCDを中心に録音資料を当たり、52種類の《The cruel mother》を入手した。録音資料はその性質上、研究者やコレクターのフィールドワーク中に録音された、職業歌手によらないパフォーマンスと、商業活動 を目的とした職業歌手によるパフォーマンスとに分けられる。今回は、商業歌手によらないパフォーマンスでも、LPやCDとして市場に出回り、一般にアクセ ス可能な録音は研究対象に含めることとした。なぜなら、録音され、不特定多数の聴き手を獲得した時点で、「伝統的」パフォーマンスは新しい文脈に入らざる を得なくなるからである。

本稿で参照点とするのは、チャイルドによる『イングランドとスコットランドの民衆バラッドEnglish and Scottish popular ballads』(Child 1882-1898)と、ブロンソンの『チャイルド・バラッドの伝承チューンについてThe traditional tunes of the Child ballad』(Bronson 1959-72)である。チャイルドは、《酷き母》の歌詞ヴァリアントを13種類掲げている。最も古いものが1776年の出版で、最も新しいヴァージョン が1860年の聞き取りであるから、チャイルド版に掲載された《酷き母》はどれも150年以上前のパフォーマンスあるいは書記情報ということになる。ま た、ブロンソンの著作は1792年に現れたチューンに始まるが、これは例外的に古く、18世紀のものがもう1つと19世紀のものが3つ、残りの51種類は 20世紀の前半に録音あるいは採譜、出版されたものである。つまり、チャイルドのヴァージョンが18世紀後半から19世紀前半あるいはそれ以前、ブロンソ ンのヴァージョンが20世紀前半あるいはそれ以前ということになる。いっぽう、今回集めた録音52点は、1950年代初頭のものが数点で、あとは2007 年のものまでほぼまんべんなく広がっている。

では、活字として残された《酷き母》の世界と、ここ50年の間に音として伝えられた世界と は、どこが同じでどこが違うのだろうか。準備として、録音版52種の歌詞を聞き取り、チューンの採譜を貼付したカードを作成した上で、次のような手順で考 察した。ここでは歌詞に関する内容について記す。チューンについては「その2 チューンについて」を、録音資料の詳細については「その3 資料編」を参照 されたい。

①録音版、ブロンソン版、チャイルド版の各々の資料を歌詞の連の多い順に並べ、通し番号を打つ。
②各連の主題(「ヴァース・トピック」)を短い言葉で示し、個々のヴァージョンについてそれらの有無を調べる。
③②をもとにチェックリストを作成する。
④「核情報」の抽出と「核」以外の情報を分析し、《酷き母》の語りの傾向を調べる。
⑤④をチャイルド版、ブロンソン版と比較する。

「ヴァース・トピック」とは、各ヴァースで表されている内容を短い言葉で表現したもので、すべてのヴァージョンのすべての連を説明できるように、冒頭部分から順に22種類(①舞台・事件の発端、②空間移動、③出産、④殺人準備、⑤母の独白、⑥殺人、⑦紋切り型表現1、⑧紋切り型表現2、⑨埋葬、⑩紋切り型表現3、⑪母の様子、⑫移動、⑬移動・亡霊登場、⑭亡霊の様子、⑮母の呼びかけ⑯子の応答、⑰紋切り型表現4、⑱回想、⑲母の問いかけ、⑳呪い、 ㉑回想、㉒母命乞い)を設定した。これらのヴァース・トピックは、物語の進行に不可欠な核となる情報(③⑥⑨⑫⑬⑮⑯⑳)、情景描写や状況説明 (①②④⑤⑪⑫⑭⑲㉒)、決まり文句や同じ言い回しの反復、既出事項の回想などの型にはまった表現(⑦⑧⑩⑰⑱㉑)の3種類に分類することができる。そし て、個々のヴァージョンについて、どのヴァース・トピックが歌われるかをチェックし、一覧表を作成した(ここでは省略)。

この作業を通し て、次のようなことが明らかになった。まず、チャイルド版の語りは、主に核情報と型にはまった表現の間を行き来することが特徴である。聞き手のために情報 を補足してくれないため、話のつじつまが合わなかったり説明不足だったりすることも多いが、これは歌い手が未熟であるというよりはむしろ伝統的なやりかた と言える。一方ブロンソン版は、英国よりも歌い手の移住先であるアメリカやカナダで採集されたヴァージョンが多く、歌詞の変容や脱落が進んでいるものが目 立つが、完全に近いものでは、核情報と紋切り型表現に加え、情景描写や状況説明が増えてくる。

一方、多くの録音版も、核情報、紋切り型表 現、描写・説明をバランスよく用いているように見える。連の多いものは特に、状況を説明したり女性の感情を述べたり古典的な紋切り型フレーズを混ぜたりし て工夫されており、展開もドラマチックである。歌い手は、聴き手にストーリーを理解してもらう必要があると考えているようだ。たとえば、舞台の場所を特定 したり、事件の発端となった出来事を語ったりしている連が、7割以上の版にあることから、物語を筋道立てて語ることに加え、物語を始める前の準備が必要と の意識が強いことがわかる。一方、古風なイメージをもたらす紋切り型表現が用いられているヴァージョンが13、バラッドによくある回想シーンがあるものが 21で、数としては半数以下ではあるが昔ながらの手法も健在であることがうかがえる。

こうしてみると、録音資料の特徴は、不特定多数の聞 き手に親切である、ということになろうか。話の一部をすっぽり省略したりせずに、核になる情報を順序良くつないでいる。主人公がいかなる人物で、なぜ子ど もを殺さなければならなかったかを説明してくれるものも多い。また、ヴァージョンによっては、伝承ものよりも表現が古風であるため、現代風でないものを聞 きたいと思っている聞き手の要求にこたえることができる。日本の落語や歌舞伎が、新しいオーディエンスに配慮して試みていることとよく似ていると言えよ う。

では、はじめの問いに戻ろう。録音文化における《酷き母》の歌詞には、単なる時間稼ぎの反復などは少なくなり、どのヴァージョンも断 片的な語りから秩序的、説明的な語りへ整えられてきている。これは、物語における余剰部分を廃し、内容を効率よく伝える方向への収斂傾向と言えるだろう。 録音版のチューンに関しては、「伝承バラッドの録音文化における展開―《酷き母》50異本の言葉と音楽 その2 チューンについて」を参照されたい。

参考文献
Bronson, Bertrand Harris
1959-1972 The traditional tunes of the Child ballads. 4 vols. Princeton: Princeton University Press.
Child, Francis J.
1882-1898  The English and Scottish popular ballads. 5 vols. Boston: Houghton Mifflin.

* 本稿および「その2」「その3」は、2009年10月25日に大阪大学で行われた日本音楽学会第60回全国大会における口頭発表に基づいている。図表や譜 例を含む論文のフォーマットでは、聖徳大学音楽学部紀要『音楽文化研究』第9号に掲載予定である(2010年3月発行予定)。