モームとバラッド

(表題は、2007年2月17日に福岡女子大学でおこなった最終講義の題目であり、3年以上前のものをここに取り出すのはいささか気がひけるところであるが、今般ある方面からその内容に関する問い合わせがあり、文章の形で残しておく必要を感じ、その概要をまとめた。)

モーム(William Somerset Maugham, 1874-1965)の1908年執筆の短編に“The Happy Couple”がある。60歳過ぎのLandon 判事が休暇でイタリアに向かう途中、知人の「私」(語り手)の ところに立ち寄り、翌日の昼食に「私」の友人Miss Grayも招かれて歓待を受ける。その席にMiss Grayの隣人であるCraig 夫妻も招かれる。夫妻には、まだ1歳の誕生日も迎えていない赤ん坊があり、世にも稀な幸せカップルに見える。実は、Miss Gray自身まだ彼らのファースト・ネームを知っておらず、そこで二人を ‘Edwin’と ‘Angelina’と呼んで、彼らの人生を次のように空想しているのであった。

They had fallen in love with one another years before — perhaps twenty years — when Angelina, a young girl then, had the fresh grace of her teens and Edwin was a brave youth setting out joyously on the journey of life.  And since the gods, who are said to look upon young love with kindliness, nevertheless do not bother their heads with practical matters, neither Edwin nor Angelina had a penny.  It was impossible for them to marry, but they had courage, hope, and confidence.  Edwin made up his mind to go out to South America or Malaya or where you like, make his fortune and return to marry the girl who had patiently waited for him.  It couldn’t take more than two or three years, five at the utmost; and what is that, when you’re twenty and the whole of life is before you?  (Collected Short Stories 238)

10年が経ち、15年が経ち、20年が過ぎる。そして遂に二人は再会を果したのである、とMiss Grayは想像する。これを聞いたLandon 判事は、‘I’m afraid your friend Miss Gray is a sentimental donkey, my dear fellow.’ (Collected Short Stories 243; emphasis added)と言う。昼食会の途中で夫の気分が悪くなり、夫妻は退席する。翌日Miss Grayからの電話で、夫妻が昨晩の内に姿を消したことを知らされる。以上が物語の前半で、後半はLandon 判事が担当した「ウィングフォード殺人事件」の全容である。 

裕 福な独身の老婦人Miss Wingfordがある時、睡眠剤の飲み過ぎで死んでしまい、遺産のすべてが、長年婦人と一緒に暮らしていたMiss Starlingに与えられる。しかし女中が「Miss Wingfordは毒殺された」と騒ぎだし、ホームドクターのBrandonの指図でドクターの愛人Miss Starlingが睡眠剤を過量に投与したという嫌疑で裁判になる。結果は無罪の判決であったが、決め手はMiss Starlingが‘virgo intacta’ (法律用語で、触れられざる処女、完全な処女)であったことだった。次の引用は、この短編の最後、「私」とLandon 判事のやり取りである。

‘What do you think made the jury find them not guilty?’
‘I’ve asked myself that; and do you know the only explanation I can give?  The fact that it was conclusively proved that they had never been lovers.  And if you come to think of it, that’s one of the most curious features of the whole case.  That woman was prepared to commit murder to get the man she loved, but she wasn’t prepared to have an illicit love-affair with him.’
‘Human nature is very odd, isn’t it?’
‘Very,’ said Landon, helping himself to another glass of brandy.   (Collected Short Stories 246-47) 

Craig 夫妻とは、このDr BrandonとMiss Starlingであった。Miss Grayが名付けた‘Edwin’と ‘Angelina’という名前がゴールドスミス (Oliver Goldsmith, 1730?-74)のバラッド詩“Edwin and Angelina” (c. 1761)から来ていることについては、すでに拙論「Edwin and Angelinaの感傷性」 [『文藝と思想』(福岡女子大学)55 (1991): 1-20]で論じたところであるが、彼女が空想した再会のメロドラマには、ゴールドスミスの作品以外からも取込まれた点がある。貧しくて結婚できずに出稼ぎに行ったなどの点は“James Harris (The Daemon Lover)” (Child 243)などの伝承バラッドおはこの設定である。そして、重要な問題は、ゴールドスミスが元歌とした“Gentle Heardsman” (The Percy Folio)で は、男の身なりをしている旅人が実は女であるという告白を聞いた羊飼いは自らの身分を告白したりはせず、そのまま旅人を見送るのである。つまり、愛する二 人の再会という設定はゴールドスミス自身の創作であり、そのような変装と再会のメロドラマは“The Bailiff’s Daughter of Islington” (Child 105)など18世紀に大いに流行った類いのバラッドで、ゴールドスミスも一枚加担したというわけである。

“Edwin and Angelina”が収められているゴールドスミスの代表的小説The Vicar of Wakefield (written 1761-62, pub. 1766)の 第8章には、登場人物Mr Burchellの口を借りて当時の英詩の流行をめぐる作者の明快な見解が披瀝されている。すなわち、プロットも無く、ただ華美な形容詞句を連ねて読者の 感傷的お涙頂戴を目的とした詩の流行が誠に嘆かわしいと言うのである。それと対照的な好例として紹介されるのがゴールドスミスのアンソロジー・ピースとも 言える “An Elegy on the Death of a Mad Dog”である。善良で信心深い人間が犬に噛まれて死んでしまうと大騒ぎになるが、死んだのは犬の方であったと、人間どもの感傷を否定する。このバラッド 詩の最終行 “The dog it was that died.”は、モームの1925年の小説Painted Veilの終局に謎の言葉として利用されている。A William Somerset Maugham Encyclopedia (1997)は、“Maugham has dipped into Oliver Goldsmith’s ballad.”と解説しているが、 ‘dip into’ (「ちょっと覗いて参考にした」)で は済まないほどに、むしろ、女の元に戻ってきた男が実は悪魔で、乗った船を真っ二つに打ち砕いて海底に沈めたとうたう“James Harris (The Daemon Lover)”的結末を「ウィングフォード殺人事件」に重ねて読みたくなるような、巧みな物語構成になっているのである。モームの代表作Of Human Bondage (1915)で 主人公Philipに「人生に意味は無く、ただ審美的喜びを与えるペルシャ絨毯のごとし」と言わせたごとく、ストーリーテラー・モームはイギリスの物語 歌、伝承バラッドもバラッド詩もよく知っていて、自らの物語絨毯を織ってみせたのではないかと推測してみたくなるのである。

Works Cited:
Maugham, W. S.  Collected Short Stories.  Vol. 1.  Penguin Books, 1977.
Rogal, Samuel J.  A William Somerset Maugham Encyclopedia.  Harcourt Education, 1997.