Sir Walter Scott と19 世紀アウトロー・バラッド詩の系譜 宮原牧子

 19世紀に作られたバラッド詩のうちアウトローを題材としたものは数多いが、その特徴の一つは、伝統的アウトロー・バラッドの世界観とゴシック的要素の融合である。そして、この流れの起点となったのは、Sir Walter Scottのバラッド詩“Alice Brand”であったと考えられる。長編詩The Lady of the Lake (1810)の中に挿入されたこのバラッド詩は、恋人の兄を殺してしまった男が、その恋人と駆け落ちし、アウトローとして生きていく覚悟をして森に入るという物語である。しかし、その森には恐ろしい妖精王が住んでおり、二人はこの王の怒りを買ってしまう。古いバラッドの時代とは異なり、自然をありのままに受け入れることができなくなり、時に自然を破壊するようになった人間は、もはや森の中に住み妖精たちと共存することは許されない。緑の衣を身に纏った人間を‘who may dare on wold to wear / The fairies’ fatal green?’ (st. 11)と罵る妖精王の言葉には、かつて同じ森をアウトローたちと住み分けていた妖精たちの鷹揚さは無い。伝承バラッドの世界で緑の色は、アウトローの代表格ロビン・フッドの衣の色でもあったはずである。
 その後、19世紀後半のアウトロー・バラッド詩は、その舞台を森の外へと移していく。主な題材となったのは、Claude Duval (1643-70)やDick Turpin (1705-39)ら、実在のアウトローたちであった。その流れを受け、20世紀初頭にはAlfred Noyesによる名作バラッド詩“The Highwayman” (1906)が発表されるが、ノイズがこの「追剥」を書くにあたり影響を受けたのは、少年時代に読んだWilliam Harrison Ainsworthによる小説Rookwood (1834)であった。荘厳なゴシック建築の描写からはじまる小説『ルークウッド』は、ゴシック建築を舞台に怪奇現象が起こる中、主人公の報われない恋が描かれるというゴシック・ロマンスであるが、その中に愛馬Black Bessに跨るディック・ターピンが登場し、小説の陰鬱な雰囲気にアクションの要素を加えている。エインズワースは自身の少年時代の思い出を、小説の前書きに次のような言葉で残している。

When a boy, I have often lingered by the side of the deep old road where this robbery [ Dick Turpin] was committed, to cast wistful glances into its mysterious windings; and when night deepened the shadows of the trees, have urged my horse on his journey, from a vague apprehension of a visit from the ghostly highwayman.

ノイズの「追剥」は紛れもなくこの小説の世界観を受け継いだものである。そして、このエインズワースが影響を受けたのは、他でもないスコットの小説であった。
 エインズワースの小説は当時熱狂をもって受け入れられた一方で、スコットの義理の息子John Gibson Lockhartをはじめとする批評家たちによって、スコットの二番煎じであると酷評された。しかし、新進気鋭の小説家に対するスコットの評価は幾分温かいものであったようだ。1826年にエインズワースが出版したSir John Chiverton(学友J. P. Astonとの共著)がスコットの興味をひき、1828年の二人の対面はスコットの希望によるものであったという。スコットは1828年にエインズワースが編集を務めるThe Christmas Box にバラッド詩“The Bonnets of Bonnie Dundee”を、またThe Keepsake (1829)にゴースト・ストーリー“The Tapestried Chamber”を寄稿している。(ちなみに、エインズワースは“The Bonnets of Bonnie Dundee”寄稿の謝礼として20 ギニーをスコットに手渡したが、スコットは笑いながらその場でそれを孫娘のCharlotte Lockhartに渡したのだという。)後に、エインズワースは“The Bonnets of Bonnie Dundee”はスコットの最高傑作の一つであると高く評価しており、エインズワースのバラッド詩制作に及ぼしたスコットの影響も無視することはできない。そして何より、19 世紀のイングランドにおけるアウトロー・バラッド詩の発達は、スコットの影響を抜きにして語ることはできないのである。

[日本カレドニア学会 Newsletter (May 2018) 62: 日本カレドニア学会より転載許可(2020/7/1) 投稿者により一部文言を修正]