ハーンのバラッド論(2) ―地球志向の比較文学という視点から―

ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn, 1850-1904)は、東京帝国大学文科大学英文学講師として、1896年9月から1903年3月にかけて、英文学史・詩論・詩人論などを講じた。(1) 原一郎氏の『バラッド研究序説』によれば、1896年12月、ハーンが外山正一文化大学長に提出した報告書に、彼のバラッド講義の趣旨が以下のように記さ れている:“The ancient ballad was considered in its relation to Universal Literature―as the earliest form of poetry―and in its relation to its modern literature, chiefly as an earliest influence.  The modern ballad was considered as the offsprings of the old.  Some attention was given to the subject of art, as strength,―and to the value of “popular speech” in regard to directness and force of expression.” (2) ハーンはバラッドの一般民衆の間での口承性や、「簡明さ」(simplicity)(3) からくる力強さについて言及しているが、特に注目されるのは、彼が「世界文学」(Universal Literature)という観点からバラッドを考察した点である。原一郎氏は「ハーンのバラッド講義―比較文学より観たるー」の中で、「玆にいう「世界 文学」 (Universal Literature)とはドイツ文学およびフランス文学を指すのであって、彼は既に比較文学的考察に立ってバラッドを講じていたのである」(4)と述べている。

ハーンのバラッド講義に関しては、『詩論』(On Poetry, 1938)の中に、「英国バラッド」(“English Ballads”)と「秀逸な英国バラッドの物語について」(“On the Stories of the Best English Ballads”)の二編が収録されている。そして、「英国バラッド」の結びに、比較文学的視点から捉えたハーン独自のバラッド観を端的に示す一節が次の ように置かれている:“However, please bear in mind this fact, that for you the study of ballad-literature will be most useful when it is made comparative and reduced to the simplest arrangement.  I refer to the comparison between Japanese and European narrative poems of the simpler kind.  The limits of this kind will become tolerably well established in your memory by the simple reading of those English ballads whose titles I have recommended.”(5) ハーンは西欧文学の枠組みから一歩抜け出した、日本と西欧の間の比較文学的視点から、バラッド文学研究に取り組むことを学生たちに促している。そして、 “The limits of this kind”の表現は、西欧のバラッドと日本のそれに相当する文学との「境界線」を見据えたものであり、異文化の境界領域に焦点を合わせることの意義を彼は 指摘している。何よりも注目されるのは、「世界文学」の概念が文字通り、地球規模に拡大した点である。ハーンの学生たちへの提言は、「比較的単純な物語 詩」 (narrative poems of the simpler kind)という大きな枠組みの中で、「世界文学」という観点から、西洋と東洋の垣根を取り払おうとする壮大な試みであったと言っても言い過ぎではない。 西洋と東洋の差異を乗り越えたところに、大いなる文学的価値が見出されるのであろうか。

『心』(Kokoro, 1896)の最後に補遺として付け加えられた「三つの俗謡」(“Three Popular Ballads")の中に、“The Ballad of Shūntoku-Maru”、“The Ballad of Oguri-Hangwan”、そして “The Ballad of O-Shichi, the Daughter of the Yaoya”が収められている。遠田勝氏は『小泉八雲事典』の「『心』」の項で、「これは松江近郊の村で取材した「大黒舞」のうち、「俊徳丸」「小栗半 官」「八百屋お七」の歌を西田千太郎の助けを借りて筆記・翻訳し、日本アジア協会に発表したものである」と述べている。(6) ハーンはこれらの俗謡に加えて、日本に伝わる物語歌を何編か著作に収載している。(7) 先の一節の結びの「私がすでに推奨した題名のあの英国バラッド」(those English ballads whose titles I have recommended)は、ハーンが所有していたFrancis James Child (1825-1896)のEnglish and Scottish Ballads (1860)に収録されている。(8) ハーンは学生たちに比較文学的考察を求めるだけではなく、彼自身も、日本のバラッドを作品化する際に、こうした英国バラッドとの比較考察を試みたことは容 易に想像される。“Okichi-Seiza Kudoki:The Ditty of O-Kichi and Seiza” (「お吉清三口説」)は、『影』(Shadowings, 1900)所収の「日本の古い歌」(“Old Japanese Songs”)の中の一編である。「日本の古い歌」は、弟子の大谷正信が収集・翻訳した日本に古くから伝わる歌を基にしている。(9) 実際に「お吉清三口説」では、ハーンは二か所の場面で、チャイルド・バラッド77番(Sweet William’s Ghost)との類似点を注釈の中で指摘している。一つ目は、「清三墓所は二つに割れて、/ 其處へ清三が顕はれ出でて、」(10) の場面と、“William and Majorie” (チャイルド番号77C)の“And there the deep grave opened up, / And young William he lay down.”(11) の場面の、墓が開く点での一致である。二つ目は、「これさ待たしやれこれ待たさんせ、/ そなたばかりは一人はやらぬ、/ わしも一緒に行かねばならぬ、」(12) の 場面と、 “Sweet William’s Ghost” (チャイルド番号77A)の “O stay, my only true love, stay!”/ The constant Margaret cried:/ Wan grew her cheeks;/ she closed her een,/ Stretched her soft limbs, and died.”(13) の場面の、物語の結末の部分での一致である。

ハーンは「英国バラッド」の中で、バラッドの第一の特性として「リフレインすなわち折り返し句」(the refrain or burthen)を挙げている。(14) そこで、リフレインという観点から、日本とイギリスの「比較的単純な物語詩」を比較考察していく。まずは、そのバラッド講義の中での彼のリフレインの解説 を見ていく。リフレインは四行連句の第二行目と第四行目に置かれ各連で終始繰り返される。バラッドを印刷する際には通常リフレインをイタリック体にすると ハーンは私見を述べて、リフレインの一つの事例として、“So fair upriseth the rim of the sun,(第二行目)/ So grey is the sea when the day is done.(第四行目)”を挙げている。(15) そして、リフレインの内容が第一行目と第三行目に置かれるバラッドの内容とは無関係であることを彼は以下の理由で指摘している: “new ballads were generally composed to be sung to the tune of older ballads, and although the main part of the older ballad in such a case would be forgotten as it ceased to be popular, the old refrain would be preserved by the liking of the people for it―having been accustomed to sing it in a great chorus, they would persist in singing it even with the new ballad.  Then, again, popular song-writers, having observed this fact, would presently begin to compose new songs with old refrains, knowing that the old refrains would “catch the people.”(16) ただし、現代バラッドで見られる例外として、「二人の姉妹」(“The Two Sisters”)のリフレインがバラッドで描かれる悲劇の発生場所を扱っていることにもハーンは言及している。以下にその連を載せる:

There was twa sisters liv’d in a bower,
Binnorie, O Binnorie!
There came a knight to be their wooer,
By the bony mill-dams o’ Binnorie. (17)

「日 本の古い歌」の中の一編に、“Kané-Maki-Odori Uta : Bell-Wrapping-Dance Song”(「鐘巻踊り歌」)がある。ハーンはこの歌を紹介する際に、リフレインの面での比較文学的考察を以下のように試みる:“In some dance-songs the burthen is made by the mere repetition of the last line, or of part of the last line, of each stanza.  The following queer ballad exemplifies the practice, and is furthermore remarkable by reason of the curious onomatopoetic choruses introduced at certain passages of the recitative:―”(18) この物語歌を「奇妙なバラッド」(The following queer ballad)とハーンが評したのは、この歌のリフレインがバラッドのそれとは明らかに異なるからである。ハーンは「鐘巻踊り歌」のリフレインの特異性を 二点挙げている。一つ目は、リフレインが各連の最後の一文もしくはその一部の繰り返しから成っている点である。以下にこの歌の第一連とそれに続くリフレイ ンを載せる:

A Yambushi of Kyōto went to Kumano. There resting in the inn Chōjaya, by the beach of Shirotaka, he saw a little girl three years old, and he petted and hugged her, playfully promising to make her his wife,―
(Chorus)   Playfully promising(19)

こ の連の末尾の “playfully promising to make her his wife” の中のplayfully promisingがリフレインと成っている。二つ目は、さらに「奇妙な擬声語的合唱」(the curious onomatopoetic choruses)が付け加えられる点である。 擬声語的合唱は二か所あり、一つは早足で走る時の下駄の音で、「カッカラ、カッカラ、カッカラ、カッカ!」であり、もう一つは小舟を漕ぐ時の櫓の音で、 「デボク、デボク、デン、デン!」である。(20) この下駄の音や櫓を漕ぐ音の擬音語的合唱の効果は、男が娘からひたすら逃げ続ける展開をより助長する点にある。ハーンは「鐘巻踊り歌」を作品化する際に、 チャイルド番号63「チャイルド・ウォーターズ」 (“Child Waters”)を意識したのかもしれない。「チャイルド・ウォーターズ」は、ハーンが「秀逸な英国バラッドの物語について」の中で、西洋人の間で最も評 判の高い作品として第一番目に取り上げたバラッドである。(21) 周知の通り、このバラッドも「鐘巻踊り歌」と同じく、娘が愛する男の後を追い続ける展開を見せる。しかし、物語は全く正反対の結末を迎える。後者では身持 ちの娘はその男と結ばれるのに対して、前者では竜と化した娘は鐘に巻きつき、中に隠れる男を焼き殺す。以上比較考察の一端を示したが、異文化のはざまを見 据えることの意義は、まさに共通点と相違点が同時に浮かび上がる点にある。その境界部分をさらに突き詰めて考察していくことは、何か人間存在の根幹をなす ような普遍的なものに近づく可能性を秘めている。

ハーンは第一回目のバラッド講義「英国バラッド」を終えるに当たって、バラッドの定義を 以下のようにまとめている:“In conclusion, let us return again to the question of what is a ballad.  We cannot make any better definition than this:―“A ballad is a short narrative poem composed for singing or reciting.”  In spite of all exceptions, remember that this is the important part of the definition, and that especial emphasis must be placed upon the word “narrative.””(22) おそらく、ハーンは人類文化全体に当てはまる「世界文学」という概念を想定した上で、バラッドの定義を「歌謡や朗唱のために作られた短い物語詩」(a short narrative poem composed for singing or reciting)と定めたのであろう。「私たちはこれに優る定義を見出すことができない」(We cannot make any better definition than this)という表現は、そのような遠大な思想がその定義に込められているのを暗示するものである。さらに注目されるのは、ハーンのバラッドに対する定義 の力点が「物語」 (“narrative”)に置かれている点である。そして、彼の第二回目のバラッド講義「秀逸な英国バラッドの物語について」は、そのタイトルが明示し ているように、バラッドの物語に焦点を合わせたものである。これらの事実から、ハーンがバラッドに内在する物語の言葉の力にいかに重きを置いていたかが窺 い知れる。翻って、文筆家ハーン自身も、物語という観点から、日本の物語歌はもちろんのこと、バラッド形式の枠を跳び越え、日本を舞台とする様々な作品を 創作する上で、バラッドから霊感を得たことは想像に難くない。一例を挙げれば、『東の国から』(Out of the East, 1895)所収の「赤い婚礼」(“the Red Bridal”)では、幼なじみの若い男女が線路に身を横たえて心中したあとの、二人の墓前での場面が、まさにバラッドの“rose-and-briar-motif”(23) の場面を想起させる。双方の場面とも、描かれ方に大きな違いがあるものの、死後の世界で二人が結ばれるのを願う一般民衆の寛容の精神に包まれている。次回 の研究レポートでは、物語を中心に据えて、ハーンの日本時代の作品とバラッドの比較文学的考察を試み、西洋と東洋の境界領域の内奥に分け入りたい。

(注)
(1) 平川祐弘監修『小泉八雲事典』(恒文社、2000年)720.
(2) 原一郎『バラッド研究序説』(南雲堂、1975年)176.
(3) Lafcadio Hearn, ed. R. Tanabe, T. Ochiai & I. Nishizaki, On Poetry (Tokyo: the Hokuseido Press, 1973) 12. ハーンは東大講義「英国バラッド」(“English Ballads”)の中で、バラッドの第二の特性として“simplicity”を挙げ、 “A perfect ballad ought always to be so simple that everybody, no matter how ignorant, can understand it; and its emotion ought to be of such a nature as to appeal to the heart of a child just as well as to the imagination of a man.”(12)と述べている。
(4) 原一郎「ハーンのバラッド講義―比較文学より観たるー」『比較文学』第10巻(日本比較文学会、1967年)12.
(5) Lafcadio Hearn, On Poetry 22.
(6) 平川祐弘監修『小泉八雲事典』231.  ハーンはできる限り日本語の原典に近い英語の下訳から、美しい英語に直していった。その翻訳の経緯の内情は、B. H.チェンバレンを介してハーンから「小栗半官」の下訳を依頼された岡倉由三郎編注『OLD ENGLISH BALLADS』の序文「大黒舞」から窺い知ることができる。(岡倉由三郎編注、『OLD ENGLISH BALLADS』、研究社、1923.)
(7) ハーンが来日にして最初に英訳した物語歌は「地蔵和讃」(“a wasan of Jizo”)であった。この賽の河原の物語は、『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan, 1894)所収の「地蔵」(“Jizo”)の結びに添えられている。(Lafcadio Hearn, Glimpses of Unfamiliar Japan, Rutland, Vermont & Tokyo: Charles E. Tuttle Company, 1976, 59-61.)
(8) ハーンが「英国バラッド」の中で学生たちにすすめたバラッドの題名は以下の通りである。妖精バラッドとして、“Tam Lin”、“Thomas the Rhymer”、 “Kemp Owyne”、 “The Earl of Mar’s Daughter”が、また、愛のバラッドとして、“Child Waters”、 “The Gay Goss-Hawk”、“Lord Thomas and Fair Annet”が挙げられている。それ以外に、“Sir Patrick Spens”、“Glenkindie”、“Lady Maisry”、“The Douglas Tragedy”も挙げられている。(Lafcadio Hearn, On Poetry 21-22.)
(9) 『小泉八雲全集』第7巻のあとがきで、「日本の古い歌」の翻訳を担当した大谷正信は次のように述べている。「『日本の古い歌』は譯者が同三十一年十月十二 月及び三十二年三月四月に提供した材料に依って物されたものである。譯者は神楽歌と催馬楽とは全部飜譯して提供したのであつた。『地方の歌』は主として博 文館發行の『日本歌謠類聚』から採つた。文の初に『一青年詩人』とあるは譯者である。原英文では、引用の歌は発音通り羅馬字で書いて、一々散文譯してある のが多いが、そのまま逐字訳しては日本の読者には煩しからうから、羅馬字のところだけ普通の文字に書き更めるだけにした。然し注釈全て逐字訳にして置い た。なほ文末の『鐘巻踊歌』と『お吉清三くどき』とは、原文には散文譯だけ掲げているのであるが、これはそれを逐字訳とはせずに―殊にその後者の原歌を 知って居る者は多分譯者だけで、今後原歌をしらうにも知れまいから、―原歌を掲げることにした」。(657)
(10) 『小泉八雲全集』第7巻(第一書房、1936年)346.
(11) Lafcadio Hearn, Shadowings (Rutland, Vermont & Tokyo: Charles E. Tuttle Company, 1971) 190.
(12) 『小泉八雲全集』第7巻 348.
(13) Lafcadio Hearn, Shadowings 190.
(14) Lafcadio Hearn, On Poetry 12.
(15) Lafcadio Hearn, On Poetry 15.
(16) Lafcadio Hearn, On Poetry 16.
(17) Lafcadio Hearn, On Poetry 16.
(18) Lafcadio Hearn, Shadowings 182-183.
(19) Lafcadio Hearn, Shadowings 183.
(20)『小泉八雲全集』第7巻 336-337.
(21) Lafcadio Hearn, On Poetry 25. ハーンは “Child Waters”を次のように紹介している。“I believe that the ballad of “Childe Waters” is acknowledged by most great poets and critics to be the best of all the English ballads.  I do not myself like it so much as a Scotch ballad “Tam Lin” which I place next in order.  But I must submit my judgment now to the judgment of men much wiser; and therefore I shall put “Childe Waters” first.  I do not know whether it will please you; but it has pleased millions and millions of Western people, and it has been the subject of many paintings, and you should try to understand why it has been so much liked.  The reason that I cannot altogether like it is only that it seems to me too cruel; but it is the story of a cruel age, ―and the singer purposely made the cruelty as strong as possible in order to bring out more radiantly the contrast of the opposite qualities, gentleness and patience.” (25)
(22) Lafcadio Hearn, On Poetry 23.
(23) 原一郎『バラッド研究序説』59.