BALLADバラッドとは

BALLADバラッドとは

ようこそバラッドの世界へ

私たち日本バラッド協会に集う会員は、バラッドを西洋文化の地下水脈と考えています。

中世ヨーロッパの各地で、文字を持たない生活をしていた民衆によってうたい継がれてきた物語歌「バラッド」は、親から子へ、コミュニティの中で人から人へ、吟遊詩人の旅する先々の人々へと、口承によって保存継承されてきました。踊りに付随する歌だったとも言われます。人々の共同の娯楽だったと考えることができます。

物語の種類

民衆の生活と想像力がないまぜになったバラッドの物語のジャンルは非常に多種多様です。
プロポーズの成功、失恋、後追い自殺、母親の嫁への嫉妬と呪い、愛を誓った恋人の裏切り、嫉妬の果ての姉妹殺しや兄弟殺し、近親相姦。
他方で、犬もくわない夫婦喧嘩や浮気な女房にコロリと騙される間抜けな亭主の物語。
イングランドとスコットランドの戦い、ボーダー地域の部族の争い、妖精に拐われた王子、人間の古女房に辟易する悪魔、数々のロビン・フッド伝説、コミカルなアーサー王物語、人間くさいマリアとヨセフ。

これらの物語は、伝承されやすいように、また聴衆の想像力をかき立てるように、独特の技法や特有のモチーフで語られます。

ブロードサイドへの展開と
挿絵とのコラボ

15世紀の活版印刷術の発明により、口承伝承は書き留められて後世に読み継がれるようになりました。
同時に、社会の出来事をブロードシートと呼ばれる大判紙に印刷してバラッドの旋律でうたい売る「ブロードサイド・バラッド」が隆盛を極め、情報伝達の初期のメディアとなっていきました。
荒削りな版画やイラストが文字の飾りとして物語に添えられるようになり、バラッドと挿絵のコラボレーションが生まれてブロードサイド・バラッドの人気をますます高めてゆきました。
19世紀に挿絵は黄金時代を迎えますが、この流行をいち早くキャッチしたホール(S. C. Hall)やスミス(G. B. Smith)などのバラッド編集者たちは、たくさんの挿絵を入れた豪華なバラッド編纂集を次々と世に送り出し、文字と挿絵のコラボが最盛期を迎えます。

詩人たちへの影響

書き留められた口承伝承のバラッドは、詩人たちが集う文壇で強い影響力を放つようになりました。
18世紀、詩人で聖職者のトマス・パースィ(Thomas Percy)は、招かれた屋敷の暖炉の焚き物になる紙束に、見慣れない詩が書かれていることに気付きました。彼はそれらをまとめて、編纂集『英国古謡拾遺』を1765年に世に出しました。時はロマン派の黎明期。感情的、感傷的な作風が巷に溢れつつある時に、その見慣れない詩は、独自のスタイルとモチーフで淡々と出来事を描くだけ。しかし、その野蛮な魅力は当代の詩人たちが持ちえなかった迫力とアピール力を持っていました。
パースィ以降の大詩人たち、ワーズワース(William Wordsworth)やコールリッジ(S. T. Coleridge)はパースィの編纂集が詩壇に与えたインパクトを口を揃えて称えました。ロマン派文壇にバラッドは清風を吹き込みました。
18世紀から19世紀にかけて、バラッドの技法やテーマを模倣したバラッド詩は夥しい数で創作され、「バラッド詩の系譜」と呼べるほどの作品群を形成していきます。伝承バラッドの模倣は19世紀を最盛期として現代まで、キーツ(John Keats)、モリス(William Morris)、ハーディ(Thomas Hardy)、イェイツ(W. B. Yeats)、ベッチマン(John Betjeman)などの多くの詩人たちに引き継がれていきます。

バラッド音楽のフォークや
ロックへの展開

バラッドの音楽もバラッド文化の展開の大きな柱です。
バラッドの旋律は時経ても人々の中で命脈を保ちました。
ユアン・マッコール(Ewan MacColl)やジーン・レッドパス(Jean Redpath)は伝統バラッドの現代の代表的な歌い手でした。
フォークソング・リバイバルの時代には、ジョン・バエズ(Joan Baez)やボブ・ディラン(Bob Dylan)など歌手たちが伝承バラッドの技法やモチーフを歌詞に取り入れ、旋律はフォークやロックにアレンジし、戦争反対や社会的政治的なメッセージを託した歌をうたっています。
今、たくさんのバラッド・シンガーたちが、自分たちのバラッドを世界中でうたい、発信しています。

西洋文化の地下水脈

民衆の口承伝承は情報伝達のメディアへ、素朴なうたは職業詩人たちの作品へ、文字の飾りは黄金期の挿絵文化へ、バラッド旋律はフォークやロックへ。
バラッドは、表現の多様性と展開・拡大を核心に孕む、西洋文化の地下水脈です。

色々な切り口からアプローチできるバラッドの世界を、
どうぞ一緒に探求しましょう、楽しみましょう。