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連載エッセイ “We shall overcome” (19)

吟遊詩人のお話   Mu(井上妙子) 2021-03-04

小さい頃から現実が嫌いだった。
嘘や裏切りや暴力がある。
自分は非力で、優しくしてくれる人に頼るしか生きていく術がない。
いくら頭が良くなってもそれをうまく使えない。
学校の成績は良くなるけれど、だからといって何が変わるわけでもない。
世界はつまらない。
私が思っていることを話しても「話が難しい」と言われる。
どうしてわかってくれないんだろう。
別に、私にとっては当たり前のことなのに、なんで人にこんなにも話が通じないんだろう。
世界がガラスの向こうにある。
どうやってもわかりあえない。

そういう気持ちがゆっくり抜けてきたのが高校生のとき。
はじめて、話を聞いてくれる友人ができた。
私の話のことは相変わらずよくわからないらしいのだが、一生懸命聞こうとしてくれた。
ようやく、もしかしたら世界はきちんと繋がっているのかもしれない、と思えた。

社会人になって。
いろんな人と会話するようになって。
私以上に人とうまく話できない人もいること。
そもそも話にしたら嫌がられるようなことが好きな人。
いろんな。
いろんな人がいることを知った。
世界は広かった。

お話の仕方もわかってきた。
私は、相手が理解できる話し方をしていなかったのだ。
思ったことを思ったままに零れ落ちるように話をしても。
相手は私と同じ理解力を持っているわけではない。
仕事で、難しい事柄を人に説明することがよくあった。
わかってもらわなくてはならない。
だから、覚えられるだけの情報に絞って。
だから、同じことを何度も繰り返して。
だから、声のトーンを変えて。
そうして試みていると、わかりやすい、と褒めてくれる人が現れ出した。

一人一人と話すときは、相手の話を聞いて、相手の反応を見て。
相手にどれくらいの理解力があるのかを探りながら、それに合わせて話していく。
それで、話はどんどん伝わるようになっていった。

ただ仕事の話はひどくつまらなかった。
大事な話ではあるのだが、私のしたい話ではなかった。

私のしたい話は、物語だ。
心躍る物語だ。
めくるめく楽しい美しいうっとりする物語たちだ。

それをやっていると。
人がすごく喜んでくれた。

話が通じなかった私の話。
人に通じなかった私の話。
喜んでもらえる日がようやくやってきた。

物語のはじまりは、自分のことを自慢する歌を歌うこと。
人に聞いてもらって、認めてもらうことからだそうだ。

私がふだん話しているのは他人の物語。
ただ今回はちょっとだけ自分のお話をして。
はじまりに戻ることにした。

吟遊詩人みゅうのお話。