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リニューアルサイトのトップページ動画
(山中光義_21/05/2024)
日本バラッド協会においては、このたびサイトをリニューアルしてイメージを一新いたしました。つきましては、トップページの動画三点について、それらが語りかける物語をご紹介します (いずれも筆者が以前彼の地に滞在していた時に撮影したものです)。
1. 最初に現れますゴツゴツした岩山は、イングランドとの国境、ハイランド南西部の谷、ゲール語で嘆きの峡谷を意味する「グレンコー」と呼ばれるところで、小さな村があり、美しい景観で知られる観光地のひとつになっています。しかしそこは、スコットランド人たちには忘れる事が出来ない「グレンコーの虐殺」(The Massacre of Glencoe)が行われた場所でした。1692年、イギリ ス国王ウィリアム3世 (1650-1702)は、服従しないその地のクランの党首Alexander MacDonald とその一味30名を虐殺、その他多くの仲間・子供たちがこの岩山に逃れるという事件でした。これがきっかけとなり、ハイランドのジャコバイト軍が密かに結成されましたが、最終的には「カロー デンの戦い」(Battle of Culloden, 1746年4月16日)でジャコバイト側は完敗、以後スコットランドはイングランドの軍門に降り、連合王国(GB)の一員に組み込まれることになりました。ブ ロードサイド・バラッド “The ballad of glencoe” 参照:
https://youtu.be/UmFLECJ_xYQ?si=v_po1Nq0L68T1F5J
2. 次に現れる動画は、ダンファームリン修道院の廃墟です。エディンバラが14世紀に首都となるまでは、東岸のフォース湾を隔てて北西へ約26 kmに位置するダンファームリン (Dunfermline) こそ、かつてのスコットランド王国の首都でした。イングランド王国に対する独立戦争の国民的英雄として記憶されているロバート・ブルースことロバート1世 (Robert I, 1274-1329)は写真のダンファームリン修道院に埋葬されています。1070年にスコットランド王マルカム3世 (Malcolm III, 1031-93)と王妃マーガレットがこの地で挙式しましたが、有名な伝承バラッド “SIr Patrick Spens” (Child 58A)はこの王の世継ぎにまつわる海難事故をうたったと言われています。
ダンファリンの町でのことです
王様が血のような酒を飲みながらたずねました
「わしの船をあやつれる
腕ききの船乗りはどこにいる」 (st. 1)
https://www.youtube.com/watch?v=joBivzQyXTc
3. 3番目の動画は、アイルドンヒルズ (‘Eildon Hills’) と呼ばれる三つの丘から成るものの一部で、メルローズのすぐ南、スコティッシュボーダーズにあり、 町を見下ろすように連なっています。同じく有名な伝承バラッド “Thomas Rymer” (Child 37)で、トマスが女王に出会った丘の麓には ‘Eildon Tree Stone’と呼ばれる大きな石碑が建っていて、物語が13世紀の実在の詩人・予言者アースルドゥーンのトマス・レアモント (Thomas Learmond of Erceldoune, 1210?-97?) の実話であると主張しています。
正直ものトマスがハントリーの土手に寝ころんでいると
世にも稀な女がみえました
光り輝く貴婦人が馬に乗り
アイルドンの樹のそばを降ってきました (st. 1)
「あのきれいな道がみえるかい
羊歯の丘をめぐる道
あれはおまえとわたしが今宵行く
妖精の国へいたる道 (st. 14)
紫色に見えるのはヘザー、北ヨーロッパではヒースとして知られる常緑低木で、夏から秋にかけて甘い香りのピンク色の花で全山が覆われますが、丘を登る途中で突然深い霧に包まれて視界が消え、自分も今、トマスの後を追って妖精の国に向かっているのかという不思議な錯覚に襲われたことが忘れられません。
https://youtu.be/mYyJ8pRdfYs?si=yJuym6MwBmdiJ9SI