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John Keatsの “Robin Hood”(1818)における ‘the Spirit of Outlawry’  鎌田明子-(2008/5)

 キーツはJ.H.レノルズから送られた二つのロビ ン・フッドのソネットの返歌として、1818年2月3日の手紙で“Robin Hood”と題した作品を送った。その際キーツは“they are at least written in the Spirit of Outlawry”と述べているが、この「アウトローの精神」とは何を示すのか。レノルズ、ハント、キーツによるロビン・フッド作品を比較し考察する。
 ロビン・フッド は伝承バラッドから誕生したヒーローで、初期のロビン・フッド・バラッドは15世紀前後に成立したとされる。これらのバラッドの中でロビンは信仰心に篤く、弱者への思いやりや礼節を忘れず、かつ勇猛果敢なヒーローとして描かれている。ところが16世紀になるとロビンの描写からは力強さが消え、さらに18 世紀には礼節や騎士道精神、同士愛からはかけ離れたアンチ・ヒーローとしてのロビン像があらわれる。しかしレノルズ、ハント、キーツのロマン派詩人たちはこの新しいロビン像を退け、最初期に表れる輝けるヒーローとしてのロビンを理想像としている。
 レノルズのソネットでは、現在の森が舞台となる。レノルズは、作品の冒頭で“Are they deserted all? Is no young mien,/ With loose slung bugle, met within the wood?”(1) と問い、最後で “thou shalt far amid the Forest know/ The archer men in green … / …/ With Robin at their head, and Marian.”(2) と答える。彼はロビンを“high man”(3) と呼び、人間の高潔さを体現させ、それが今でも森の中には存在すると書いた。急速に都市化が進むロマン派の時代にあって、レノルズが都市から離れた森の中に人間の理想像があると信じたことは自然な流れであったといえる。
 キーツはこのレノルズ作品を古代の詩人に並ぶものとして高く評価しているが、他の同時代の詩を「押し付けがましい」として非難し、特にリー・ハントについては「欺瞞に満ちている」と述べる。(4)  この「欺瞞」とは何か。ハントのロビン・フッド作品にはそのヒントが見える。1820年に雑誌Indicatorに掲載されたハントの作品における彼の視点は過去にある。ハントは自らの理想を反映させながら、ロビンの生涯、理想的な友情、信頼関係を描いている。彼はロビンの世界に身をおき、過去のアウトローのロビンに自らの心を代弁させることによって過去の中に現在を描く。(5)  詩を書くことは現実世界にしっかりと根ざすことだと考えていたキーツにとって、思想信条を過去の人物の中に刷り込み、現実の社会生活からかけ離れた世界に理想を描くハントの姿は「欺瞞」とうつったに違いない。
 キーツの“Robin Hood”もまた過去へのノスタルジーに満ちている。レノルズの作品と同様にキーツの作品も現在形で描かれるが、キーツは舞台を現在におく。同じく舞台が現在であるレノルズの作品とは異なり、キーツの書く現在は過去と切り離されている。キーツは“No! those days are gone away,/ And their hours are old and gray”(6) と過去が失われたと言う宣言でこの作品をはじめ、以下ロビンの不在が繰り返し強調される。ハント作品では過去に生きるロビンの姿が描かれ、レノルズ作品では現在に生きるロビンが描かれたのに対して、キーツは現在におけるロビンの不在を描いている。キーツが描くのは過去の輝きや明るさが失われてしまった現在と、失われた過去への憧憬である。
 しかしキーツは過去にとらわれ、その思い出の中に生きているわけではない。この作品の第4スタンザでは以下のように描かれる。

… if Robin should be cast
Sudden from his turfed grave,
And if Marian should have
Once again her forest days,
She would weep, and he would craze:
He would swear, for all his oaks,
Fall’n beneath the dockyard strokes,
Have rotted on the briny seas;
She would weep that her wild bees
Sang not to her―strange! that honey
Can’t be got without hard money!  (7)

造船場建設の為の森林伐採への言及、蜜が金で買われなければならないという描写、honeyとmoneyの皮肉をこめた脚韻の中に、キーツの生々しい現実感覚がうかがえる。古きロビンの時代を歌い、近代よりも古典の作品を読むと宣言しながらも、キーツの意識は、なお彼が生きた現在にその重心がおかれている。全編現在形で描かれるこの作品はロビン・フッドではなく、ロビン・フッドが去ってしまった「今」に主題がおかれる。「大地の歌は決して滅びることがない」という信条を持っていたキーツにとって、現実の世界を見据えて描かれた詩が理想だった。だから彼の足は彼が生きた時代から浮き立つことはなく、その目が現実から乖離してさまようこともない。彼にとって詩は決して観念的な出来事ではない。書簡で彼は詩をハシバミやどんぐりに、読者をりすや豚にたとえている。(8)   彼にとって詩を読むこと、詩を書くことは豚がどんぐりを食べて肥え太るように具体的で身体的な出来事だった。だからこそキーツはロビン・フッド作品に過去 の出来事や歴史ではなく、激しい郷愁を感じている現代人の姿を描いた。ここに観念的で押し付けがましいとして同年代の詩人の手による作品を退け、古典へ傾 倒しながらも、依然としてその時代を見つめるキーツの姿をうかがうことができる。
 キーツはハントをはじめとする同時代の詩人の詩を、自分の理想からは遠く離れていると感じ、その関心を一度古典へとむけた。そうすることによって理想の詩 の姿に近づこうとしたのだろう。しかし、キーツはただ古典の模倣に終わることはない。ロビン・フッドとその仲間たちの活躍を描いてきた15世紀から続くロ ビン・フッド作品の伝統から考えると、ロビンの不在を主題としたキーツの作品は、この伝統からは大きく外れる。この点では思想の上で急進的だったハントの作品のほうがむしろ伝統的といえる。キーツは“Robin Hood”の中で「ロビンは死んだ、ロビンの生きた時代は終わった」と宣言する。キーツは現実を見据え、過去を断ち切ることによって自らの信条「大地の歌は決して滅びることはない」に忠実に現実世界にしっかりと根をはろうとした。ちょうどロビン・フッドが法の保護から離れて為政者に敵対し、理想の社会を追い求めたように、キーツもこの作品において同時代の詩人から、そして古典の詩人からも離れることによって、すなわち孤高のアウトローとして自分の理想とする詩の完成を追い求めたのではないか。

(1) J. H. Reynolds, “To a Friend, on Robin Hood”, John Keats, A Longman Cultural Edition, ed. Susan J. Wolfson (New York: Pearson Longman, 2007) 1-2.
(2) Ibid., 11-12,14.
(3) J. H. Reynolds, “To the Same”, 12.
(4) Letter to J. H. Reynolds, 3 February 1818, The Letters of John Keats, 1814-1821, ed. Hyder E. Rollins, 2 vols (Harvard UP, 1958) 1:223.
(5) Leigh Hunt, “Robin Hood, A Child”, “Robin Hood, An Outlaw”, “Robin Hood’s Flight”, “How Robin and His Outlaws Lived in the Woods”, The Robin Hood Project at the University of Rochester, 1 December 2006,
<http://www.lib.rochester.edu/camelot/rh/rhhome.stm>.
(6) John Keats, “Robin Hood”, Complete Poems, ed. Jack Stillinger (Harvard UP, 1978) 1-2.
(7) Ibid., st.4, 6-16.
(8) Letter to J. H. Reynolds, 3 February 1818, Letters 1:223.