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バラッド詩とは? 

日本バラッド協会第14回(2023)会合講演 25 March 2023  山中光義 
        

 詩人たちが伝承バラッドを模倣した作品を英語では‘literary ballad’と言うが、わたしはこれを「バラッド詩」と呼ぶことにした。従来、「文学的バラッド」という訳語が使われた例もあるが、「文学的」という言葉では非常に限定的になり、バラッドが内包している汎用性と言うか、多様性、多面性には不適格であると考えた。バラッド詩とは何かということについては、Malcolm Laws, Jr. の説明が一応の要点をついているので、これを紹介すると:「バラッド詩とは、田舎や都会の民衆が創作したものではなく、洗練された詩人たちが文学に通じた読者のために書いたものである。それはうたわれるものではなくて、印刷された詩歌であり、従って、伝承という伝わり方はしない。個々の作品は千差万別であるが、種類としてのバラッド詩とはフォーク・バラッドやブロードサイド・バラッドを意識的、意図的に模倣したものである。」[G. Malcolm Laws, Jr., The British Literary Ballad: A Study in Poetic Imitation(Southern Illinois UP, 1972) xi]  問題はその先にある。どういう点で千差万別なのか、各詩人たちの「意識的、意図的」な模倣の実態は何なのか、そのことを知るためには多様な作品群を実際に読んで、知らなくてはならない。
 
 さて、詩人たちが模倣した伝承バラッドには、一応キャノンと呼ぶべきテキスト(=正典)が存在した。アメリカの言語学者Francis James Childが編纂したThe English and Scottish Popular Ballads (1882-98)である。Child 版を補足する形で20世紀に入ってもバラッドの蒐集は続けられたが、今日一般的に伝承バラッドに言及する場合、Child編纂の305篇をキャノンとして利用するのが習わしになっている。それに対して、「バラッド詩」と呼びうるテキストのキャノンが実は存在しなかった。ここに、わたしたち「バラッド研究会」の『英国バラッド詩アーカイブ』(The British Literary Ballads Archivehttps://literaryballadarchive.com/ja/)をネット上に構築するという作業が始まった。現在、143名の詩人の作品749篇を収録しているが、一部は印刷本の形で『英国バラッド詩60撰』(山中光義・中島久代・宮原牧子・鎌田明子・David Taylor編著. 九州大学出版会, 2002)として出版している。
 検証作業を困難にした最大の原因には、そもそも或る作品が伝承バラッドを模倣したものであるかどうかの判断基準が難しいという根本的な問題があった。詩人が伝承バラッドの何を模倣したと指摘できるか。模倣から出発しながら、自立した作品として優れたものになっていればいるほど、ある意味で模倣の痕跡を明瞭な形では留めていない場合も多々ある。その点でわたしは、各詩人のバラッド詩を理解するためには、その詩人たちがそもそも「バラッド」なるものをどのように捉えていたか、各人はバラッドのどの側面に惹かれたか、ということを詩人自らの声として知る必要があると考えた。The Twilight of the British Literary Ballad in the Eighteenth Century (Kyushu UP)という本を2001年に出版した時、appendixとして”Poets on the Ballad”と題する資料集を添付した(2021年にその電子版を出版)。これはエリザベス朝時代の宮廷詩人Sir Philip Sidneyから20世紀のAudenに至る34名の詩人の第一次資料56点からまとめたものである。わたしはこの資料集を(1) ‘Heritage’, (2) ‘Definition’, (3) ‘Audience’, (4) ‘Anonymity’, (5) ‘Story’, (6) ‘Technique’, (7) ‘Style’, (8) ‘Lyric/Music’, (9) ‘Editorship’, (10) ‘Literary Balladry’ という10のカテゴリーに分類した。その一々をここに紹介することはできないが、例えば(1)の’Heritage’では、バラッドという遺産を詩人たちがどのように受け止めていたかが分かる。Hardyは、バラッドが豊かに伝えていた’folklore’ (民間伝承)が彼の時代に失われていったこと、人々が田舎を捨てて工場労働者などとして都会に出てゆくにつれて、もともと田舎のそれぞれの土地に伝わっていた妖精や亡霊伝説が失われてゆき、薬草のある場所も誰も知らなくなったと嘆く。(4)の’Anonymity’=匿名性は特に重要で、Yeats は「古いバラッドの中に新しい自己表現の手段を探るのだ」と公言しているが、詩人たちは自らの自意識とバラッドの匿名性の狭間で作品を書き続けたとわたしは考えている。(6)の ‘Technique’でJohnsonは、例えばGrayの詩の技法として高く評価されている ‘abrupt opening’ が決して詩人の特技ではなくて、もともと伝承バラッドに見られるものであると指摘する。他の技法についても類似の指摘をしている詩人は多数いる。伝承バラッドには、人間が何かを表現しようとする場合の本能的と言っても良い修辞表現が存在すると指摘しているわけである。伝承バラッドそのものに内在するこのような様々な ‘art’、個人の詩作上の技法とは異質の「修辞法」、わたしはそれを「バラッド詩学」(‘ballad poetics’)と称して、28項目に整理した。その際、各項目に関連するバラッド詩51作品からの用例を紹介した。( 『バラッド詩学』音羽書房鶴見書店. 2009 参照)
 最後にEliotの「伝統と個人の才能」というエッセイからの言葉を紹介して終わりとしたい。彼の処女評論集 The Sacred Wood (1920)からの一節でる:”Poetry is not a turning loose of emotion, but an escape from emotion; it is not the expression of personality, but an escape from personality. But, of course, only those who have personality and emotion know what it means to want to escape from these things.”
 ’But, of course’以下が重要である。「個性や情緖をもっているものだけが、これらのものから逃避したいということがどういう意味なのかを知っている」—これは、ロマン派以降の詩人たちが如何にパーソナルな自己に対するオブセッションが強かったか、そしてそれから逃れようとする時の一つの救済の手段が伝承バラッドの模倣であったということを示唆しているようにわたしには思われるのである。