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連載エッセイ “We shall overcome” (13)
野外音楽会の魅力 小路 滋 2021-01-03
高校時代のほとんどを音楽と映画と山歩きと科学実験に入れ上げて過ごした1960年代の終盤、当たり前のように大学には入ったものの高校時代とあまり代わり映えしない教養課程の授業にサッパリ興味が湧かず、四畳半一間の安アパートを借りて海外留学を夢見ながら今で言うフリーター生活のようなことをしていた真夏のある日、たまたま新聞広告が目に止まって聴きに行った “サンケイバレイ(現在のびわ湖バレイ)・ジャズ・フェスティバル”が文字通り生きた(ライブ)音楽とは何かを知った初めての体験だったと思う。
それまでにも屋内の演奏会なら小中学校時代に校外授業の一環としてクラシックや邦楽などをいくつか聴きに行った覚えはある。しかしじっとおとなしく(大半を眠りながら)客席に座って聴く演奏会と違って、ジャズという熱い音楽、それをほんの10メートルほどの距離で全身に浴びる音圧がこんなにも強烈だとはその時初めて経験したのだ。
真夏とはいえ山麓でも上着が要るほど気温の下がる夜9時から翌早朝まで間断なく演奏が続き、暗闇に沈んだような山中のそこだけがジャズの生演奏で別世界のように盛り上がっていた。聴衆の誰もが演奏者の高揚感に波長を合わせて圧倒的な音の波に身を任せているという特別な経験を共有した。
出演者は当時の(今も)ジャズ界を代表する渡辺貞夫、日野皓正、白木秀雄(故人)、古谷充らのバンドで、いずれ劣らぬ腕達者なメンバーが次々につないで行く鬼気迫るようなアドリブの応酬にまるで金縛りにあったようにただ聴き入っていたのだった。
ジャズはそれまで特に好きでも嫌いでもなく、その頃街のあちこちに存在したジャズ喫茶(生演奏ではなくレコードを聴かせるところ)で読書のBGM的に聴き流していたのだが、このライブをきっかけにジャズのレコードも購入するようになった(もちろんライブ公演にも行った)。
その後フリーター生活も2年を過ぎる頃にはもう日々がマンネリとなって当初の留学費用を貯める目的などどこへ行ったか、夢の実現は遠いと思わざるを得ない中、ある日突如として天啓を受けたかのように2年次からの復学を決意。当時の大学は前半2年間の教養課程と以後の専門課程がはっきり分かれていて、夏季休暇中の臨海実習(臨海実験所に1週間泊まりこんで実験をしたり海洋生物の採集をしたりする)は3年次の単位なのだが、教授に掛け合って参加メンバーに加えてもらい、専門課程に入るとその教授の研究室で大学院生がやるようなテーマの実験に明け暮れる毎日となった。
二十歳過ぎのちょっとした人生街道の寄り道が結果的に功を奏したのか、復学後の3年間は実に充実した学生生活だったのだが、ちょうどその頃に始まった野外音楽イベント“宵々山コンサート”も忘れられない。
それは1973年から毎年、京都の夏の一大行事祇園祭(の山鉾巡行)の直前の日曜日に祇園の八坂神社に隣接する円山公園野外音楽堂で午後から夜半にかけて開催された音楽会で、フォーク歌手の高石ともやと司会の永六輔の軽妙なトークと毎回多彩なゲスト(音楽に限らず落語、朗読、踊りなど何でもあり)を交えて常に2千人余りを集めるイベントであった。途中二度の中断を挟み、その都度再開したが2011年についに幕を閉じた。
このコンサートの魅力は進行役である永六輔の聴衆を惹きつけてやまない当意即妙の話術、高石ともやのギター1本の弾き語りで瞬時に歌の物語の世界に誘い込む(明治時代に発生したオリジナルの意味での)演歌師としての才能によるところが大きかったと思う。そしてこのコンサートに行かなければ直に見る機会はおそらくなかったであろう歴代のゲストたちも記憶に残る。渥美清、小沢昭一、桂米朝、白石かずこ、高橋竹山、岡本文弥、喜納昌永、三波春夫その他それぞれの分野で一時代を築いた方々・・・。
もう一つ毎年夏に通い続けているのは8月初めの週末4日間にわたって開催される“宝塚ブルーグラス・フェスティバル”。最初の開催地が宝塚だったためその名が使い続けられているが、会場は幾度かの変更を経て現在は同じ兵庫県の三田市の山中にあるアスレチック場に落ち着いている。
ブルーグラスは英国やアイルランドのバラッドともそのルーツの部分で縁の深い音楽ジャンルで、同じアメリカンミュージックの主流の一つとも言えるカントリー音楽とは異なり、ギター、5弦バンジョー、フラットマンドリン、フィドル、ウッドベースなど基本的にアコースティック楽器(例外あり)を演奏しながら古民謡や伝承音楽をコーラスで歌い演じられる(もちろんオリジナルソングも多数)。
1972年から連続して開催され、大学生や社会人のバンドが多数集まる日本最古のブルーグラス・フェスティバルである(この音楽の本場アメリカで一番歴史のあるものが1967年に始まっているが、それに次ぐものである)。
ひと頃は北海道から九州まで多数の大学生のバンドがキャンプをしながら参加していたが、学期が前後期制に変わって8月第1週は期末テストの時期と重なるため遠来の大学生バンドは参加が難しくなったようだ。それでも参加バンド数は百を超えるため一番エントリーの多い土曜日には朝9時前から日付が変わるまで全く休憩なしで1バンドの持ち時間が9分という超過密スケジュールになっている。
最初に行ったのがいつのことだったか記憶にないが、次女が大学のバンドで参加していた20年くらい前には4日間続けて通ったこともあった。さすがに今はそんな元気も体力もないので土曜日の午後(から終演まで)だけ見に行っている。
昨年(2020年)は主催者も野外イベントだからなんとか開催できるとギリギリまで考えていたようだが、新型コロナウイルスの感染拡大状況を考慮して1週間前に中止が決定した。
本来であれば今年は記念すべき50回目の開催となるはずだったのだが、数百人規模の合宿みたいなところで万一にも感染が広まっては取り返しのつかないことになるので賢明な決断だったと思う。
以上、自分の記憶に残る野外音楽会の思い出話を取り止めもなく書き連ねましたが、今年は(新型コロナウイルスがきれいさっぱり消え去るとは到底思えないものの)ワクチン接種も始まって屋内、野外を問わず音楽会などの文化芸術イベントが徐々に再開されることを心から期待しています。