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連載エッセイ “We shall overcome” (14)

 「定年になりました。さて、これから・・・」   高本 孝子 2021-01-14

 2020年は私にとって大きな変化の年でした。32年勤めた大学を定年で退職し、フリーの身となったのです。毎朝6時に起きなくてもよくなりました!何かやらかしてもクビになる心配はありません。上と下の間にはさまれて気をもむ必要もありません。入試作成で胃の痛くなるようなストレスにさらされることもなくなりました。実に気楽です。
もともと学校の先生になるつもりじゃなかったのです。大学進学の指導で、担任のS先生(英語)から関西のある女子大を勧められたときには、「でも、そこの英文科を卒業しても、高校の先生にしかなれませんよね?」と、今思うと冷や汗の出るようなことを言ったりしていたのです。(S先生は、「それはそうだな」とおっしゃいました・・・)
でも、気づいてみれば、なっていたのは英語教師でした。右に「ア、アイ・シンクゥ・・・」とやる学生がいれば、「thinkの発音はね、ベロの先の方を・・・」と教えてやり、左に「宿題をやっていません」という学生がいれば、「いい度胸だね」と返し、後ろに居眠りする学生がいれば、行ってたたき起こし、10点足りなかったけど合格させてくれと泣きつく学生がいれば、貫一お宮も顔負けの修羅場を繰り広げる、そんな生活を32年間続けてきました。
今般めでたく定年となり、教師はもういいかな、という心境ではあったのですが、老後破産の憂き目にあいたくはないので、気乗りはしなかったものの非常勤講師として教師稼業を続けることにしました。
しかし、定年後の生活は思い描いていたものとは大きく異なりました。4月から2つの大学で計7コマを教えることになったのですが、コロナのせいで従来のやり方での授業ができなくなり、やったこともないZoomを使ってのオンライン授業となったのです。なんてこった、やっぱりやめておけばよかったな・・・と後悔しつつ、いよいよ授業が始まるという1週間前のこと、受講学生に初回授業についての一斉連絡メールを出しました。返信を要求するとメールが200通余も来ることになるので、「質問がなければ返信不要」と書いていたのですが、ひとりだけ返事をくれた一年生がいたのです。
「元々英語は好きなので、先生のご指導を受けられるのを楽しみにしています。
パソコンに不慣れですし、喋ることが得意ではないのでたくさんご迷惑をおかけすると思いますが、精一杯頑張ります。よろしくお願いします」
「そうか・・・こんな風に思ってくれている子もいるんだ・・・」単純と思われそうだけど、素直に嬉しかった。自分が必要とされるということが人間にとっていかに大事なことなのかが初めて実感できたような気がしました。そのとき思い出したのは、以前に放映された『白い巨塔』の一場面です。大学病院を逐われた後に民間の病院に復帰した里見医師(江口洋介)が次のようなことを言っていたのです――「自分は患者さんを救っているつもりでいたけど、実は自分の方が患者さんから救われていたのだということに気づいたよ」。そのときの私はまさにそんな心境でした。考えてみると、精神的にしんどかった時期に私を支えてくれたのは、つまらない冗談にも笑いこける学生たちの元気で屈託のない笑顔だったのです。
結局、自分は教えることが結構好きなのかなと思います。英語アレルギーの学生相手でモチベーションが下がることもありますが、ひとりでも多くの学生に「英語がわかるようになった!わかるようになると、おもしろい!」と思ってもらえるよう、これからも頑張ろうと思います。そんな私を見て、S先生は天国で笑っておられるかもしれません。