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『やまなか・みつよしのバラッド・トーク:魅惑の物語世界』

2024.04.24研究 書評

『やまなか・みつよしのバラッド・トーク:魅惑の物語世界』
 山中光義著;陣内敦挿絵 (Kindle版, 2018年3月, 推定ページ数374ページ, 1,817円(税込))

 『やまなか・みつよしのバラッド・トーク:魅惑の物語世界』(以下『バラッド・トーク』)は、ホームページ上で展開された山中光義氏の同タイトルの第一部をまとめたものである。チャイルド(Francis James Child, 1825-96)が出版したバラッドのキャノンと言われる『英蘇バラッド集』(The English and Scottish Popular Ballads, 1882-98)の305篇から、ひと月に一話(篇)ずつアップし全100話でまとめられている。バラッド研究ですでにいくつもの著作があり『全訳チャイルド・バラッド』(全3巻、2005-06)を薮下卓郎氏、中島久代氏と監修し出版した山中氏が、8年の歳月をかけてバラッドに馴染みのない一般の人々にバラッドを広げようと試みた一大プロジェクトと言えそうである。
 各話はすべて同じスタイルで構成されている。バラッドのタイトルの下に概要と背景、史実、山中氏の見解などが語られる本文があり、続いて「ひとくちアカデミック情報」「原詩(英詩)の箱」「訳詩の箱」「歌の箱」と題した窓がある。「原詩の箱」をクリックすると英詩が、「訳詩の箱」では『全訳チャイルド・バラッド』からの日本語訳が現れる。「歌の箱」はYou Tubeへと飛び、ジーン・レッドパス(Jean Redpath, 1937-2014)をはじめとする世界的なバラッドシンガーや現代の歌手などが歌うバラッドを聞くことができる。
 「ひとくちアカデミック情報」にはバラッドを読むときに必要な、あるいはプラスアルファの豆知識が記されている。たとえば先に挙げたチャイルドなどのバラッド研究者やバラッドシンガー、パースィ(Thomas Percy, 1729-1811)やワーズワース(William Wordsworth, 1770-1850)、トマス・ハーディ(Thomas Hardy, 1840-1928)などの詩人や小説家、その回のバラッドに関連する歴史や歴史上の人物、「臨終口頭遺言」(第15話)や「バセティック」(第31話)などのバラッド特有の技法や「白いプディングと黒いプディング」(第9話)のような料理にいたるまで、多くの分野にまたがっている。100の情報をすべて集めれば平明でありながら精確なバラッド事典が出来上がるだろう。一般読者だけでなく私のように多少バラッドをかじった者にも非常に有益なコラムである。
 視覚的に読者をバラッド世界に誘うのは、各話に付けられた陣内敦氏の挿絵である。繊細なタッチで描きこまれた人物は、大半は背景と切り離され物語の場面から抜け出たように描かれる。背景は描かれても一部のことが多く、そこに黒のシルエットが多用される。それゆえに人物が立体的で生き生きと感じられる。(陣内氏はチャイルド・バラッド全篇に挿絵をつけており、それらは日本バラッド協会のホームページ内で鑑賞できる。)陣内氏の挿絵のほかにラッカム(Arthur Rackham, 1867-1939)やクック(William Cubitt Cooke, 1866-1951)など、バラッド集ではお馴染みの挿絵も随所に置かれている。
 忘れてならないのはタイトルに添えられたキャッチコピーともいうべき一言である。たとえば『タム・リン』(第4話)には「お転婆娘の恋と勇気」、『ロード・ランダル』(第15話)には「鰻のフライで恋人毒殺」の一言が添えてある。訳詩からの一文を使用している話もある。「『ぶつぶつ地虫がこぼしている』」は『アッシャーズ・ウェルの女』(第19話)、「『わたしの夫は女でしょうか』」は『ブラックレイの男爵』(第66話)の一文である。これらのキャッチコピー、実は他にも重要な役割を果たしている。キンドルの左上のアイコンをクリックすると目次が現れるが、目次にはタイトルではなくキャッチコピーが使われているのである。思わず「え、これ何の話?」と興味をそそられ読みたくなるではないか。もちろん、目次上のキャッチコピーをクリックすれば即座にその話のページへ飛んでいくのは電子書籍ならでは、である。
 以上のように本作品は電子書籍の利点を使い、目で耳で、読者をバラッドの世界へと連れていく。中島氏はまえがきで「著者山中氏が総合芸術の舞台監督のように様々なツールを使って演出し、現代の私たちに向けて発信している」のが本作品の意義だと述べている。逆も然りで、電子書籍の意義もまさにこのような使い方にあると言える。
 次に構成を離れ内容を概観してみたい。山中氏は『全訳チャイルド・バラッド』のあとがきで、バラッドの物語は男女の恋愛と戦いの世界であると述べているが、『バラッド・トーク』に戦いのバラッドはあまり多くない。山中氏はバラッドに読み込まれた地名とバラッドの土着性の関係を指摘しているが(『ヤロー川の土手』(第27話))、戦いのバラッドには進撃で通る地名が読み込まれることが多く、日本の読者向けにはどうかという配慮があったのかもしれない。だが重要だと考えられる戦いのバラッドはもちろん言及されている。たとえば『チェヴィオットの鹿狩り』(第48話)では、シドニー(Sir Philip Sidney, 1554-86)やアディソン(Joseph Addison, 1672-1719)を引き合いに、このバラッドに登場する武将の高潔さが紹介される。野卑で庶民のものだったバラッドが文学へ昇格(?)するきっかけとなったバラッドである。
 100話には男女の恋愛のほかに、あるいはそれに絡めて、謎かけやコメディ要素の強いバラッド、アンソロジー・ピースと呼ばれ人気があるバラッド12篇、ロビンフッド・バラッド9篇などが並ぶ。『全訳チャイルド・バラッド』のあとがきで述べているように、モチーフとして「求愛の成功と失敗、殺害、復讐、後追い自殺、嫉妬と呪い、忠誠と裏切り、近親相姦、アーサー王伝説、キリスト教物語、海戦譚等々」などがあり、そこに登場するのは人間以外に「妖精、悪魔、人魚、亡霊」など異界の住人たちである(3:505)。
 バラエティに富んだモチーフの中で、言及が多いと感じたのは近親相姦についてである。「近親相姦」と検索すると実に11話もヒットする。この頻出について山中氏は、以前は「厳しく長い冬の間に娯楽の無い貧しい生活の中で必然的に起こりうる出来事」だと考えていたが、それより「想像のるつぼの中での一つの確立した様式」(第55話)と捉える方が良いと考えるようになった、とリアルの描写でなく様式だとする見解を示した。『バラッド・トーク』にはこのように、一般読者対象の書籍でありながら山中氏の考えるバラッドの特徴や研究者としてのバラッドに対する姿勢が表れている。その中から「想像のるつぼ」と「モチーフの混在」を紹介したい。
 『バラッド・トーク』では通常、チャイルドの一つの版のみを1話として取り上げるが『イザベルと妖精の騎士』(第54話)でのアプローチはそれとは異なる。この話ではAからFまでの6種の異版すべてを要約して紹介し、バラッドは人間の「想像のるつぼ(melting pot)」で発生したもので、異版や類話はるつぼで行われた物質(=素材)の融解・合成の仕方で変化したものだと述べている。また『うぬぼれマーガレット』(第59話)では「モチーフの混在」に触れている。この話(Child47A。チャイルドが分類した47番のB版)は『謎解き』(第25話)での謎解き、『妖精の騎士』(第26話)の頓智合戦、『美しい雌鹿』(第50話)での求愛者が兄であるというモチーフ、さらに『ウィリアムの亡霊』(第61話)の各部分が合成されて一つの作品になっていると「モチーフの混在」を指摘し、これが「口承なるがゆえのバラッドの特徴」だとしている。「想像のるつぼ」と「モチーフの混在」から、山中氏がバラッドの変化を許容していることが見えてくる。
 このような山中氏の姿勢はスコット(Walter Scott, 1771-1832)の編集方法に関する見解に顕著である。スコットの編集方法とは、バラッドを書き写すだけでなくバラッドを最良のものにしようと加筆修正したことである。だがこの編集方法は、たとえ断片でも口承そのままのバラッドを集めたいとするチャイルドに極めて不評で、スコットの版の頭注に付けられるのは「(スコットが付け加えた11行で)改悪された(“corrupted”)」(「タム・リン」Child39頭注)、「(スコット版は)最良だった元の版に伝承から取り入れたどうでもいいような変更(“some trivial alterations”)を加えて作られた」(「ヤング・ハンティング」Child68頭注)のような手厳しいものであった。一方、山中氏はスコットの加筆修正について「長い年月を経て伝承されてきた過程で、スコットのような名のある詩人の場合もあるが、多くの場合、無名の者たちの手が多かれ少なかれ加わりつつ変化してきたことは、伝承の宿命だったのである」と「伝承の宿命」という言葉を用いて変化を受け止め、「清濁合わせ飲む器量がバラッド鑑賞には求められるのである」(第46話)と、バラッドと向き合う際の極意を披露してくれる。チャイルドの作品評価についても「(断片的であることが詩的想像力を喚起するという考え方が)バラッドの捉え方を歪めてきたことは否めない」と軽く意見をしながらも「時折このような主観的な意見が垣間見える時、個人的には、チャイルドの人間性に触れる思いがして、ある種の感慨を覚える」(第98話)と寛容に受け流す。チャイルドの辛らつなスコット評価に辟易していた私ならもっと攻撃的に批判しそうだ。パースィやスコットの編纂方法は、伝承を残すという面では逸脱したものかもしれないが、伝承バラッドから模倣バラッドへの道を示した功績はもっと評価されてもよかったのだ。(山中氏の著作The Twilight of the British Literary Ballad in the Eighteenth Century (2001)は多くのバラッドを例にこの流れを検証している。)山中氏は先達の研究者に尊敬の念を忘れない。氏の達観した姿勢とバラッドへの愛が遍く感じられるからこそ、『バラッド・トーク』は山中氏の研究に裏打ちされた知識と見解の宝庫でありながら温かさがあって楽しい読み物になっている。
 さて、現在『バラッド・トーク』のホームページ上では第二部の「バラッド詩」(模倣バラッド)が展開中である。構成は第一部の伝承バラッドとほぼ変わらないが、より専門的な情報にあふれている。書評を読んで興味を持たれた方、どうぞのぞいてみてください。
  [佐藤貴美子;CALEDONIA (2020) 48: 23-26; 日本カレドニア学会より転載許可(30/03/2021)]