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Maureen N. McLane, Balladeering, Minstrelsy, and the Making of British Romantic Poetry
Maureen N. McLane, Balladeering, Minstrelsy, and the Making of British Romantic Poetry (Cambridge University Press, 2008. 228mn×152mn. xiii + 295pp. hardcover, $104.00)
本書は口承文学であるバラッドを蒐集出版するに際して、社会状況や編者の意図や立場によって様々な要因がどのように作用し、後世に歌い継がれていったか、文学、音楽、歴史学、民俗学など多角的な視点から考察するものである。
バラッド批評の先行研究としては、バラッドの詩と音楽と舞踊について述べたT. F. HendersonのThe Ballad in Literature (1912)やGregory Nagyの“Song and Dance: Reflections on a Comparison of Faroese Ballad with Greek Choral Lyric” (1991)、フォーク・バラッドに対して評価が低かったブロードサイド・バラッドにも一定の評価を与え、後世に大きな影響を与えたものとしてトラディ ショナル・バラッドをイギリス詩の伝統の中でとらえたAlbert B. FriedmanのThe Ballad Revival: Studies in the Influence of Popular on Sophisticated Poetry (1961)、バラッドのスタイルについて考察したW. P. KerのForm and Style in Poetry: Lectures and Notes (1966)、イングランドとスコットランドの国境に残る両国の争いをテーマとしたボーダー・バラッドを特に考察したMichael BranderのScottish and Border Battles and Ballads (1975)、イングランド、スコットランドのバラッドが他国のバラッドに与えた影響について考えたWilliam B. McCarthyの “The Americanization of Scottish Ballads: Counterevidence from the Southwest of Scotland”(1991)、Nathascha Wurzbachの “Tradition and Innovation: The Influence of Child Ballads on the Anglo-American Literary Ballad” (1991)などがあげられる。マックレーンは先行研究の視点を受け継ぎながら、文学と社会背景、音楽、舞踊、ナショナリズムとの関連を個々に論ずる先行 研究から一歩進んで、考古学、歴史、文学、音楽など様々な研究分野が交わる場所として、また階級、ジェンダー、世代、国家、歴史、時代などの境界を越えるものとしてバラッドをとらえ考察している。
イギリスにおける伝承バラッド編纂の歴史をまとめると次のようになる。バラッド編纂は18、19世紀に盛んになり、Thomas PercyのReliques of Ancient English Poetry (1765)、Sir Walter ScottのMinstrelsy of the Scottish Border、3 vols. (1802-03), William MotherwellのMinstrelsy Ancient and Modern (1827)、Peter BuchanのAncient Ballads and Songs of the North of Scotland (1829)、Charles Gavan DuffyのThe Ballad Poetry of Ireland (1845)、F. J. Furnivall, and J. W. HalesのBishop Percy’s Folio Manuscript: Ballads and Romances, 3 vols.(1868)などが次々に出版されたが、これらのコレクションには後年の詩人によるバラッド詩も多く含まれている。19、20世紀には、徹底的なフィールドワークによって蒐集した資料を整理分類し口承文学を学問的研究対象にしようとするドイツの言語学者Theodor Benfeyやフィンランドの民俗学者Antti Amatus Aarneの動きがイギリス、アメリカにも影響を与えた。印字されたテキスト中に存在する編纂者による加筆あるいは修正を見極めること、採録した場所を明 らかにすること、蒐集を徹底的におこなうことが重要とする彼らの考え方をバラッド蒐集の上で実践したのがFrancis James Childである。彼は先行のバラッド・コレクションからバラッド詩を排除し、あらゆる版を集め整理分類してThe English and Scottish Popular Ballads (1882-98)を出版した。
著者はまずこのバラッド編纂の経緯に関して、Claude Levi Straussの「日付のない歴史は存在しない」という考え方にたち、18世紀のバラッド集の註に注目する。18世紀の編者は採録の日時、吟遊者の来歴について細かに註をつけている。この日付や出自の確定によって編者が伝承を歴史に変化させたと指摘する。シュトラウスは歴史が常に“history for…”であると述べるが、マックレーンはさらに詩もまた常に“poetry for …”だと指摘する。なぜならば歴史が文字として記録される以前には口承詩こそが歴史であり、後世に伝える中で語り手の主観が常に反映されてきたからであ る。マックレーンは、さらにオシアン詩の成立年を考えることが文化的なナショナリズムに大きく影響されていると考える。同様に18世紀のスコットランド人 にとって口承文学であるバラッドを印字することはイギリスの支配とロンドンに基を置くブリテンへの抵抗となり得た。都市から離れたスコットランドの田舎に 残り、当時も辺境で盛んに歌われていたバラッドに、由来の日付を付して歴史を与えたことで、バラッドの持つイメージは「田舎風、辺境風」 (“residual”)というものから「古風」(“archaic”)というものに変化した。こうしてスコットランドの文化に歴史の重みを与え、文化的、精神的に優位に立とうとする思惑がバラッド編纂の背景にはあったと著者は指摘する。
バラッド蒐集が文化的ナショナリズムを基とした動きであることに関連してマックレーンはバラッドの音楽についても言及する。彼はバラッドが詩人に失われた音楽のロマンスを与え、古物研究家と歴史家に概念的であると同時に実際に聞くことができる過去を与え、文化理論には内なる原始を与えたと述べ、バラッドの音楽が詩と同様に重要なものと考える。Dave Harkerは「音楽は単なる音楽ではなく、歌は単なる歌ではない」と述べるが、マックレーンはさらに18世紀後半においてはバラッドもまた単なるバラッ ドではなかったと考え、その理由を音楽のリズムがナショナリズムを表すものであったこと、バラッドが国家的調査の対象であり、文化的作品、歴史エッセイの根拠となったことにあるとする。
ヘンダーソンは舞踊と音楽と詩が深い関係にあることをデンマークやポルトガルに残るバラッドをイギリス、 スコットランドのものと比較しながら示しているが、マックレーンはさらに音声のデジタル記録についても考察する。印刷技術によって言葉が固定化したのと同 様に、レコーディングやデジタル化によってバラッドに付随する音楽も固定化した。このことによって、バラッドが新たなものとして手軽に受け入れられる一方 で、バラッド歌手、吟遊詩人、時代によって少しずつ変化していた流動性が失われることにもなった。
ロマン派の時代には伝承バラッドを蒐集し編纂して出版するという行為が、詩人たちに意識の変化をもたらし、自分自身の作品を編集するという目を与えた。すなわち詩人たちは創作者としての主観性と、編集者としての客観性を併せ持つようになった。このような口承と文学の相互作用について著者はスコット、ワーズワース、ブレイク、コウルリッジなどの 具体例を挙げながら七つのタイプに分けて整理している。
チャイルドのバラッド編纂が他国に与えた影響として、マッカーシーはアメリカ移民の多くがスコットランド南西部の出身であることを指摘し、チャイルドのバラッド集がアメリカでは喜んで受け入れられ、アメリカに残るバラッドの蒐集の契機を与えたとしている。マッカーシーなどのチャイルド・バラッド編纂の他国への影響を考察する先行研究では、ヨーロッパに残るもの、あるいはアメリカのようにヨーロッパにその祖先を持つ国での影響を論じたものが多いが、マックレーンはアフリカ系奴隷とその子孫が歌ったプランテーション・ソングについて考察す る。1800年代の口承文学編纂の一面を表す例としてJ. J. Truxのエッセイ “Negro Minstrelsy ― Ancient and Modern” [Putnam’s Monthly (January 1855)]をあげているが、著者はこの題名に注目する。ここでの ‘minstrelsy’は単なる「吟遊」ではなく、イングランドによるスコットランドへの支配やそれに対する抵抗、ナショナリズムの意識を含んでおり、 詩の歴史的、文化的状況を考える一形態になっていると指摘する。すなわち ‘minstrelsy’とは、いかに詩が歴史を含み、歴史が詩を含んだか、いかにして詩がその歴史性に対峙し、演じたかを聞くものに考えさせる働きをす るものである。また歴史が支配者層の系図であるならば、‘minstrelsy’は体制に組しないものの系図であり、学問分野のまたがる一群、更なる研究分野としての読みのモデルを与えるものと結論づけている。
本書ではイギリスの民衆文学の伝統であるバラッドが現在に至るまで大きな影響を 与えていることが、伝承バラッドのテキストや楽譜、詩人の作品や図版を数多くあげながら丁寧に論じられている。考察の視点は文学、音楽、歴史学、民俗学、 メディア論など多岐にわたるが、それぞれの研究分野が相互に影響しあっていることが図を用いてわかりやすく説明されている。特に3章でのバラッドの音楽に関してリズムや楽譜の採録についての、木版による楽譜の印刷から現代のデジタル技術までの採録状況の分析は大変興味深い。社会の変化によって一度は吟遊という形態が廃れたが、バラッドの音楽は楽譜という形で記録に残された。近年のデジタル技術の発達によって聴衆の耳に届きやすくなり、デジタルによる音楽配信は吟遊の新たな形となりつつあると著者は指摘する。近年の技術革新とネット社会の発達によって情報は新旧を問わず簡単に入手できるようになった。このような状況に吟遊詩人が様々な土地や時代の歌を記憶して歌って聞かせた伝承バラッドとの類似を見出す著者の視点は独創的である。
また結論として著者は“The Three Ravens”の系譜としてスコットランド、イングランド、アメリカの作品を伝承バラッド “The Three Ravens”からナースリーライム、宮廷風恋愛詩、バラッド詩、黒人歌を経て20世紀ポップミュージックであるビートルズの “Blackbird”までたどっている。ここでの例証や考察は伝承バラッドの多面性と影響の幅広さを再確認させるものであり、大変示唆に富んでいる。
[『イギリスロマン派研究』(2011年3月20日)35:121-24; イギリス・ロマン派学会より転載許可] (2011/5 鎌田明子)