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Ballad Operaとしての”The Beggar’s Opera”の成立

[上岡サト子_(2009/7)]

 音楽界の巨匠G. F. Handelの名声は、The Beggar’s Operaの出現で陰りを見せた。1728年の 1月29日にLincoln’s Inn Fieldsで初演されたこのオペラは、初演時には62夜上演が続いた。作品が大成功を収めたことを物語る。“バラッド・オペラ”と称され、イタリア・オ ペラのパロデイー化に成功したオリジナルな形式をもつ優れた作品として認められた。英米文化圏での「ミュージカルの誕生」とも位置付けられている。(1)
 詩人John Gay(1685~1732)が台本を書き、Dr. J. C. Pepushが音楽部門を担当し、Gayの友人であったAlexander Popeを始め当時の文人たちが支援した。
 このオペラを原作にしてB. Brecht (1898~1956)が、1929年に『三文オペラ』を発表し注目された。(2) 日本での上演はなぜか遅れたとGayのオペラの脚色、演出した John Cairdが指摘している。初演は、2006年東宝劇場で行われた。(3)
 本研究ノートでは、資料や紙面の都合などで概略述べるに留まることをお許し願いたい。

 作者Gayは、Popeの知遇を得るきっかけとなったThe Rural Sports (1713)や、The Shepherd’s Week (1714)に代表される風刺的牧歌詩を書き、その援助もあり詩人、劇作家としての地位を築いていった。彼の創作に影響を与えた作家は、Jonathan Swift (1667~1745)で、The Beggar’s Opera はSwiftの風刺(satire)からモチーフを得、その風刺は、Sir Robert Walpoleや他の政治家達の腐敗、堕落、社会にはびこる不正義を対象とし、イタリア・オペラにもその鉾先が向けられるなど、多岐に及ぶ。
 対比的に見て、イタリア・オペラの特徴は、声楽に重点が置かれ、舞台装置は豪華、主人公は聖書や神話に由来する英雄や美女が登場するオペラであり、王侯、貴族の娯楽であった。上流階級の観客を対象とした輸入オペラのスタイルに、当時の文人たちは冷ややかだった。その理由は、イタリア語の「歌詞」 の意味が皆目分からないことで、言葉によって媒介されない音の世界のみの鑑賞は観衆を愚鈍にするとさえ言われた。(4) 第1幕の頭で、Beggarが語る。

I hope I may be forgiven that I have not made my opera throughout unnatural, like those in vogue; for I have no recitative. Excepting this, as I have consented to have neither prologue nor epilogue, it must be allowed in all its forms. (5)(お赦しいただければ幸いに存じますが、私はこのオペラを、近頃はやりの作品のような初めから終わりまでわざとらしいものにはしませ んでした。要するにレチタテイ―ボはないのです。納得のうえで、プロローグもエピローグもはずしました。この点を除けは、あらゆる形式においてオペラとお 認めいただけましょう。)

イタリア・オペラの鉄則を破り、叙唱部、レチタティーボがわざとらしいと省いたことは大きな違いである。更に、イタリア・オペラの非現実なプロットでなく、The Beggar’s Operaの舞台は貧民街と監獄で、登場人物は犯罪者ぞろいという破天荒な構成による国産のオペラとして確立された。
 The Beggar’s Operaの音楽は69曲と歌詞を含み、Henry Purcell, G.F. Handel他の作曲家から22曲、当時の流行の歌やバラッドから47曲採用された。音楽監督のDr.Pepushが、テーマにふさわしい庶民の歌バラッ ドの利用を勧めた。broadside balladの「替え歌」である。既にオペラ制作の経験のあるGayにとって、台本に合わせての「替え歌」の作詞はさして困難な作業ではなかったはずだ。 この過程でバラッドの原詩の部分が失われ、バラッドの換骨奪胎と言えなくもない。しかし、broadside balladには、しばしば to the tune of xxxと指示が書かれ、「替え歌」は日常的なものだった。
 採用の歌の内、AIRXLIX ,Oh Bessy Bell, AIRLXI, Chevy Chase, AIRLXVII, Greensleevesの3曲が確認できた。 Pepysが収集したA. Pepysian Garland(1595~1639)には該当のものはない。(6)
 さて、物語は、街頭強盗団の頭目のマクヒース、盗品回収業者で犯罪社会のボスのピーチャム、内縁の妻ピーチャム夫人、マクヒースを愛する娘のポ リー、Newgate監獄の看守長のロキットと、同じくマクヒースを愛する娘のルーシー。ポリーとルーシー以外はすべて犯罪者で、追剥、泥棒、娼婦など社会の底辺で生きる寄る辺なき人々である。1720年代をピークに、センセーショナルな犯罪物が出版されていたが、そうした犯罪文学の流行への批判が作品の背景にあると言われている。(7) 犯罪者の処刑の見物が娯楽という当時の風潮をGayは逆手に取り、風刺という文学的手法で犯罪者を舞台に上せた。
 「支配階級は自分が名誉革命によって手に入れた権力の上にあぐらをかき」、「利権分配に血道をあげる以外何もしない」時代にうってつけの指導者 がWalpoleであった。(8) 最近のアメリカ発の金融危機を彷彿とさせる南海泡沫事件にも関与し大儲けしたが、(9) Gayをはじめ株暴落で財産を失った投資家は多かった。この南海会社の経営責任者には政府のお咎めなし。他の犯罪者にも手心を加えていた。
 こうした経緯から、ピーチャムはWalpoleの風刺であることは容易に察せられる。彼は語る。

A lawyer is an honest employment; so is mine. Like me too he acts in double capacity, both against rogues and for ‘em; tis but fitting that we should protect and encourage cheats, since we live by them.10
(法律家が正直一点張りの仕事だというなら、俺だって同じさ。俺のように、奴らも二役を演じるんだ。法律家も俺も悪党どもを告発したり、弁護したりする。しかし、奴らのお陰でおまんまが食えるんだから、いかさま野郎たちを保護したり、励ましたりするのはあたりまえだぜ。)

問題はマクヒースで、女に縛られるのはごめんと嘯き貴族気取りで周囲からはキャプテンと呼ばれている。犯罪をそそのかすが、彼が犯罪に手を染めている場面はない。と言ってこの人物への過度な感情移入は禁物で、大物政治家は表だって悪事は働かないという風刺を見逃すことになる。
 第3幕でマクヒースの絞首刑が決まり、AIRLXVII, Greensleeves (11)のメロディーで彼が歌う。

Since laws were made for ev’ry degree
To curb vice in others, as well as me,
I wonder we han’t better company
Upon Tyburn tree!
But gold from law can take out the sting;
And if rich men , like me, were to swing,
‘T’ would thin the land, such numbers to string
Upon Tyburn tree!  (12)
(俺と同様に他の奴らの中にある悪をやめさせるために/いろんな法律が作られたので、/タイバーンの絞首台で(処刑されるのに)/もっとましな仲間がいるかどうかと思う、だが、 金貨があれば法律を骨抜きに出来る。/それで俺たちと同様に金持ちも (絞首台で)ぶら下がることになると、/タイバーンの絞首台で/そのような連中を 処刑すれば国は貧しくなることだろうぜ!)

Swift作詞説を納得させるこのひねりの効いた歌から、マクヒースもWalpoleという政治家の風刺と分かる。
 Caridは、上記の場面を元歌の雰囲気を加味して演出している。18世紀前半の作品の再現で、Walpoleは歴史上の人物となり、当時のことも理解の外である上演で、風刺の対象と含意は曖昧にならざるをえない。マクヒースは、ピーチャムと妻、ロキットの策略の被害者で法の不平等を嘆くヒーロ となる。
 良質の文芸を創出した時代の作品の重みを今に伝え、舞台芸術の分野でミュージカルの元祖となり、モーツアルトのシュピーゲル、サヴォイ・オペラ(13)、ロジャー・ハマースタインの合作などへと継承されて来た。


(1)   貴志哲雄著『ミュージカルが《最高》であった頃』(晶文社、2006), P.29.
(2)  日本での最初の刊行は、千田是也訳(岩波文庫、1961)最新の刊行は、ブレヒト作、岩淵達治訳、『三文オペラ』(岩波文庫、2006)である。
(3)  主な主演者は内野聖陽(マクヒース)、高嶋政宏(ピーチャム)、村井国夫(ロキット)、森公美子(ピーチャム夫人)、笹本怜奈(ポリー)島田歌穂(ルーシー)。
(4)  福本宰之著「文学と音楽の境界線」日本ジョンソン協会編『18世紀イギリス文学の研究』(開拓社, 2006 ), p.62~67.
(5)  Edgar V. Robert, ed., The Beggar’s Opera (Edward Arnold, 1967), p. 6. the second authorized editionが今回使用のテクストである。
(6)  Hyder E. Robins, ed., A Pepysian Garland, (Harvard University Press, 1971)
(7)  ピーチャムのモデルは、Jonathan Wildであり、マクヒースのモデルは監獄から脱獄を計ったJack Sheppardでいずれも実在の犯罪者。
(8)  Edgar V. Robert, ed., The Beggar’s Opera (Edward Arnold, 1967) , p. 6.
(9)  L.スティーヴン著、中野好之訳、『十八世紀イギリス思想史』下(筑摩叢書、1985), p.43~85.
(10) 今井宏編、『イギリス史 2』(山川出版社、1996), p.287~289.
)11) 400年以上の命脈を保つ逸話の多いbroadside balladで、1580年にballadの印刷出版業組合、the Stationers’s Companyが、Richard JonesにANew Northern Dittye of the Lady Green Sleevesの版権を与えたと記録されている。Leslie Shepard, The Broadside Ballad, (Ep Publishers Ltd, 1978) 参照
(12) Greensleevesの美しいメロディーで歌われるこの歌は、Edgar V. Roberts ed., The Beggar’s Opera,(Edward Arnold, 1969)のp.79にある。この版ではすべての曲について番号とタイトルを表示した楽譜が添付され、作曲者の分かるものについては、右上に表示されている。
(13) W.S.ギルバート著, 上村盛人、上岡サト子、山本薫共訳、『ペイシエンス』(渓水社、2007)バラッド・オペラのジャンルに入るサヴォイ・オペラの演目の邦訳。

参考文献
ジョン・ゲイ、海保眞夫訳、『乞食オペラ』(法政大学出版会、1993)