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Singing Session 2
歌のセッション その2 (木田直子連載エッセイ-13)
2008年、アラプール・フェッシュ。私は、午前中はジャニス・クラーク先生の相変わらず難しいスコットランド民謡のクラス、午後はアリソン・キナード先生のハープのクラスに参加した。
フェッシュ二日目の夜にセッションが用意されていた。私はひとり覚悟を決めてSinging Sessionの行われるパブに入っていった。パブの様子は以前と変わっていなかった。ジャニス先生はじめ歌の先生方も伴奏の演奏者たちも以前と変わらない。100人ほどが席につき、セッションが始まった。まずは常連の生徒さんたちが挙手し歌を披露した。司会の男の先生は、次は誰が歌うかをうかがいつつ順番を決めていた。彼は6年前に会った私のことを覚えていて、私の顔を見るなり、
「歌う?」
と、ひそひそ声で聞いた。もう、言うしかないだろう。
「Yes」
スコットランド人のおじさんが大きな声で歌い上げた後、私が手を挙げると司会の先生は待ってましたとばかり私を指名した。私は立ち上がった。
「出身は?」
司会の先生が聞いた。みんなと同じ質問だったが明らかに毛色の違う私の答えをみんなは興味深く待った。マイクを渡された私は、
「日本」
と答えた。緊張で足が震えるほどだった。
「日本の歌を歌うのですか?」
と司会の先生が聞いた。
「スコットランド民謡を歌います」
私は答えた。会場がざわついた。少し前にドイツ人が自国の歌を歌っていた。当然私も日本の歌を歌うと思われていたらしい。
「名前は?」
と聞かれたので、
「私は直子です」
と答えると、会場にドッと笑いが起こった。
「直子?!」
と再度笑われ、
「歌の名前を聞いたのですよ」
と言われた。緊張した場面での英会話はつらい。
「すいません。緊張しています」
と私は手で顔を覆った。こんな英語もままならない小娘(スコットランドでは私の外見は二十歳そこそこにしか見られない)にスコットランド民謡が歌えるのか?とみんな思っているに違いない。
「The sands o the shore」
と私は歌の題名を言い、ステージにいるジャニス先生の顔を見た。
「この歌をご存知ですか?」
ジャニス先生は頷いた。
「もし、この歌を知っていたらコーラスの部分をわたしと一緒に歌って欲しいのです。みなさん、助けてくださいますか?」
ジャニス先生は私に向かい「Yes」と口を動かした。
私は歌い始めた。心配そうにしていたジャニス先生が目を丸くしたのが見えた。
会場のみんなの空気が動いたのは1番の歌詞の「I got it back again」。主人公の女の子が一度好きになった恋人を諦めるシーン。ここから物語の意外な展開が始まる。おっ!私のスコットランド弁はみんなに伝わっているみたいだ。
一度目のコーラスはこの歌を知っている人たちが一緒に歌ってくれた。楽器演奏者たちが伴奏を試みたがジャニス先生がそれを制した。アジア人の声が捉えにくくてキーが合わなかったのか?それともジャニス先生がアカペラの方が良いと判断したのか?理由は分からないが、私はアカペラで歌うことになったようだった。
2番の歌詞の「But I wasnae sea foolish as he’s taen me tae be」で、会場から小さな笑いが起きた。主人公の女の子がダイヤの指輪につられることなく彼を袖にするシーン。私の語りで笑いが起きた。みんなが物語を楽しんでくれている。
二度目のコーラス、みんなの声は大きくなった。この歌を知らなかった人もその場で覚えて歌い始めたのだ。ジャニスはハモリのパートを歌ってくれた。
3番の歌詞にはスコットランド人の心をくすぐる言葉がちりばめられている。冒頭からあちこちでクスクス笑い声が聞こえた。駄目押しの「Sea let him drink his wine aye an’ I’ll drink my tea 」のフレーズでは大きな笑い声が上がった。「金持ちは勝手に贅沢すればいいさ。私のような貧乏人はお茶でもすすろう」といった自虐的なフレーズ。やはりスコットランド人のツボはここなのか。よし!彼らの心をつかんだぞ。
三度目の最後のコーラスはみんなが歌ってくれた。ハーモニーもついて大合唱になった。歌い終わると大きな拍手が私を包んで、口笛がヒューヒュー飛んだ。驚いたことにスタンディングオベーションが起こっていた。いつもクールなジャニス先生でさえ顔中くしゃくしゃにして笑って拍手をくれた。
セッションは午前1時過ぎにお開きとなった。帰り際、パブの戸口ですれ違いざまにみんなから声を掛けられた。遠くから「GOOD」のジェスチャーを貰った。シャイで頑固なスコットランド人たちに、今宵、初めて真の仲間として受け入れられたような気がした。スコットランド民謡を学んで良かったと、北の果ての空に輝く無数の星々を仰ぎながら思った。
翌朝、フェッシュ最終日、夫とふたり校門を入ると、
「おはよう!ジャパニーズ・シンガー!」
と元気なお兄さんに声をかけられた。昨夜、Singing Sessionに居た人に違いない。夫と別れ、ひとりスコットランド民謡のクラスに入ると、
「直子、昨夜はすごく良かったわ!」
とジャニス先生はじめクラスメートが騒ぎ立てた。
「直子のスコットランド弁は完璧だった」
というジャニス先生の一言がなによりも嬉しかった。ティータイムでも、
「あなたの歌、素晴らしかったわ」
と大勢のスコットランド人たちから声をかけられた。
「彼女、スコットランド民謡歌うんだよ」
と傍らの友人に説明するおじさんまでいた。
「一夜にして有名人だね」
と夫も、そして私も驚くばかりだった。
何も分からず悔し涙を流したフェッシュから8年、やっと私のスコットランド民謡はスコットランド人に認められたようだった。言葉の壁は高かったけど、高かった分、超えたときの喜びとご褒美は大きかった。異文化を理解して表現する。思った以上に楽しいことだ。これからも歌い続けたい。そう思わせてくれたスコットランドのみんなに感謝する。
最後に、13回にわたりお付き合い頂きましてどうもありがとうございました。