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第4回(2012)会合

日時: 2012年3月24日(土)
会合場所: 聖徳大学

・特別講演: 鎌田明子「キーツと音楽」(内容については、同名の独立した研究ノートを参照)

・シンポジウム: 「バラッドの音楽」(*高松晃子、寺本圭佑、石嶺麻紀)
伝承の過程でさまざまに姿を変えながら、ダイナミックに生き延びてきたバラッドの音楽について、伝承・移動・変化といったキーワードを軸に展開するシンポジウム。はじめに高松が、バラッド音楽の伝承について、時間的・空間的な広がりという観点から包括的な導入を試みる。続いて寺本圭佑氏が、歴史的な視点からアイルランドのハープ奏者に注目し、音楽伝承の仲介者としての位置づけを行う。さらに石嶺麻紀氏が、ひとつのバラッドが現代においてどのように伝承されているか、特に家庭内伝承に焦点を合わせて具体的に考察する。そのあと、フロアからの発言を交えながら、バラッド音楽の生命力に多方面から光を当ててみたい。(高松)
高松晃子「バラッドの伝承―空間の移動と変容する音楽について」
寺本圭佑「バラッドの作者および伝承媒体としてのハープ奏者――≪アイリーン・アルーン≫を例に」
石嶺麻紀「Child Ballad 012:Lord Rendalの40種の音源の分類とLord Rendalから派生した童謡、Billy Boyにおける現代家庭内伝承について」

報告と質疑(高松、寺本両氏については、独立した研究ノートの形で別個にまとめられている報告を参照)
石嶺麻紀
調査方法:日本バラッド協会のホームページのリンク集(www.j-ballad.com/link/154-2008-09-16-05-51-55.html) にあるリンク先 The Child Ballad Collectionをもとに、曲名がLord Rendalとほぼ同じもの(Lord Ronald/Lord Randal/Lord Randal, My Son/Lord Randolph/O Where Hae You Been, Lord Ranald, My Son?など含む)のみを抽出し、順に音源収集を試みる。173曲中収集できたものは40曲、それらのメロディをヴァージョンごとに区分する(今回、歌詞については調査の対象としない)。区分ごとに数の集計、曲の特徴、サウンドの変化(年代別の特徴)などを考察した。
1. 独立バージョン: ここで紹介する独立バージョンはそれぞれ全く違うメロディをもっており、録音音源として1曲ずつしか収集できなかったものである。即ち、収集不可能だった 録音音源の中にも、おそらく独立ヴァージョンは多数存在すると推測され、さらに、録音として現在に残っていないものにまで考えを及ぼすとき、Lord Rendalのイギリスでの伝承歌としてのヴァージョン数は計り知れないのではないだろうか。同じ物語に対し無数のメロディという構図は、歌としての生命力は物語(歌詞)の方にあると考えられる。
2.録音伝承バージョン: 第二次世界大戦中、空襲に苦しめられる都市部の人々とそれを支えようとする農村部の人々の「仲間意識を築くため」にBBCラジオで「カントリー・マガジ ン」という番組が始まる。このラジオ番組によるフィールド録音が、第2次フォークリヴァイヴァルの始まりである。伝承歌の卓越した歌い手たちは、やがてラ ジオ、テレビ、パブなどで活躍するようになり、職業歌手になってゆく。そしてレコード産業の強大化とともに、彼ら、バラッドシンガーの録音が増加してゆく のである。彼らによって歌われた迫力あるLord Rendalの録音が登場すると、それらはその後のミュージシャンに影響を与え、同 じメロディに異なるサウンドという形での録音伝承が始まる。ある意味で、ここからがバラッドのポピュラー音楽(ポップス)化の始まりではないだろうか。ポ ピュラー音楽においては、サウンドは時代性を帯びて変化してゆくもので、それはバラッドも決して例外ではないのである。ここでは、特にEwan MacCollヴァージョンとMartin Carthyヴァージョンについてまとめた。
3.「クラシック」ヴァージョン:クラシック歌手がLord Rendalを歌う場合、メロディヴァージョンはほぼ一つである。クラシック音楽であるゆえ、譜面による伝承と考える事が妥当だろう。クラシックヴァージョンのメロディは他のLord Rendalのメロディに比べ、音楽的物語性が最も明確であり、また劇的でもあり、クラシック音楽のために作曲されたのではないかとの推測もできる。メロディの特徴を分析するとともに、その楽曲起源をできるだけ辿ってみた。
4.Billy Boyにおける現代家庭内伝承:Martin Carthyと、同じくバラッドシンガーであるNorma Watersonの間に1975年に生まれた娘のEliza Carthy は、1990年にデビューし、精力的に活動を続ける若手バラッドシンガーであり、フィドラーである。現在イギリスでは、音楽大学でのバラッドの教育もあ り、音大出身の若いバラッドシンガーは増えていると聞く。そんな中で両親とも有名なバラッドシンガーで、その家庭内での伝承を受けて活躍しているのは Eliza Carthyのみかもしれない。ここでは、父であるMartin Carthyと娘のEliza Carthy双方が歌ったBilly Boyを比較して、バラッドの現代の家庭内伝承について考察した。

質疑応答
木村啓子: 私が専攻していた美術史のカテゴリーを思い出した。美術史では、様式をとらえるときに、時代様式、地域様式、個人様式の3つの観点を用いる。個人様式は、 近代に近づくほどクリアに現れる。バラッドの歌唱様式についても、美術史の観点を用いることが可能かと思い、興味深く聞いた。
高松晃子: 個人様式についてだが、同じ個人でも、誰がどのような場で、誰に対して歌ってみせるのか、という点でずいぶん操作が働くと思う。たとえば、イライザにしても、家で家族と一緒に歌っているときには違う歌い方をする可能性がある。パブリックな場で歌ったりレコーディングをしたりするときには、彼女がプロとして 聞いてほしいと思う要素を打ち出してくるだろう。
石嶺麻紀:私の発表の中で、マッコールに続く5人は無伴奏で歌っていたが、拍の取り方やリズムの感じ方などがみな違う。無伴奏で歌うと、より個人様式を出しやすいかもしれない。
かんのみすず: イライザがウォーターソンズ・ファミリーとして歌っているDVDを見ると、さきほどのCDと違ってとても古典的な歌い方をしている。それはファミリーで やっているからだろう。けれども、CD化するときにはそれだと作品として成り立たないという考えが、彼女にはあると思われる。また、無伴奏なら一定のリズムがないかというとそうでもなく、やはり、曲によって違うのではないだろうか。
石嶺麻紀:そのとおりだ。無拍の音楽と言われるものにも大きな拍感がある。私が今回の発表で「拍」という時には、狭い意味での拍を考えた。
高松晃子:テンポ感とか拍感といったものは、楽譜がある場合も気をつけなければいけない要素だ。演奏者はいつも「ここはゆらしてもよい」とか「ここはきっちり演奏する」といった判断をしている。
寺本圭佑: 今日は時間の関係でお見せできなかったが、バンティングというクラシックの音楽家が、ヘンプソンというハープ奏者の演奏を書き取った楽譜がある。それには、「拍が間違っている」という但し書きがたくさんあるのだが、ハープ奏者はそれをわかってやっている。今では古い様式を知っている人が少ないので、それ が彼の個人様式かどうかまではわからないが、いわゆる西洋音楽的な観点からは間違っていると言われそうな拍の揺らし方は、みなやっていたようだ。
三原 穂: 変奏曲を作るときに重視するのはオリジナリティかオリジンか、という選択肢がある。たとえば、パガニーニの主題による変奏曲は、ラフマニノフ、ブラーム ス、リストなどが書いているが、ラフマニノフは原型がわからないほど変奏している。18世紀のハープ奏者の場合はどちらだったのか。
寺本圭佑:18 世紀前半のライオンズの時代までは、新しい技法をどんどん取り入れてオリジナリティを誇示するような様式を用いていた。しかし、そのあとのオカハンやヘン プソンの時代になると、ハープ音楽自体が衰退していく。すると、古い音楽をとどめることが大事になってきて、自分は古いものを知っているとアピール[つまりオリジン重視]するようになった。
福吉瑛子:ユワン・マッコールの演奏などを聞くと、どうしても少し違和感を覚えてしまう。学生に聞かせると音痴だとか、退屈だとかいう反応も返ってくる。聞いていた現地の人たちは、自分にフィットするという感覚があったのだろうか。
石嶺麻紀: マッコールが《ロード・ランダル》を学んだのは母親からで、その母親は、ある地域グループで伝承され、一定の評価を得たものを学んだ。私たちにとっては ちょっと耳慣れない感じがしても、それが伝えられてきたところでは、この歌い方を皆で楽しみ、定着させてきたものだと思う。
福吉瑛子:今日の楽譜を見れば、マッコールのように、だれでもいつも同じように歌えるんでしょうか?
石嶺麻紀:それはわからない。この楽譜も、どこかにあるものではなく私が採譜したものだ。ただ、楽譜を見ればマッコールのように歌えるかというとそうではないと思う。ある程度内容を理解していないと、いくら表情をつけようと思ってもつけきれないので。
高松晃子: 今の問題は私がいつも直面していることだ。民族音楽学を教えていると、わからない音楽だらけなので学生は引く。でも、少し様式感を身につけることで、少し ずつわかってくる。いつも基準が西洋音楽のものさしだと、ずっと気持ちが悪いまま。様式感をまるごと変える練習をすると、新しいものに出会ったときにびっくりしなくなる。
全体に関して: 今回のシンポジウムでは、個人や地域、時代の様式の問題や、現在、そしてこれからもバラッドを歌い継いでいくときの、歌い手や聴き手のアイデンティティの問題などについて、議論を深めることができた。バラッドの音楽を考えるにはさまざまな切り口が考えられるので、また時と場所をあらためて議論を継続していきたい。

・アイルランド・スコットランドの伝統楽器による演奏 【Sylva Sylvarum シルヴァ・シルヴァルム】
【Sylva Sylvarum シルヴァ・シルヴァルム】
アイリッシュ・ハープ研究者寺本圭佑とスコットランド古楽を学んだ木田智之が、アイルランド、スコットランドの伝統楽器である金属弦ハープの普及と可能性を追求すべく立ち上げたユニット。哲学者ベーコンFrancis Bacon (1561-1626) が金属弦ハープの音色を絶賛した書物

 (1627) から命名。2010年3月には大倉山にて、他の2人の金属弦ハープ奏者及びスコティッシュソングの木田直子と共に、日本では初の試みである4台の金属弦 ハープと歌によるコンサート、「大倉山ハープフェスティヴァル」を開催、好評を博した。同年7月、白馬スコットランドフェスティヴァルに出演。
〈演奏予定曲目〉
①Lea-Rig (2ヴァージョン)
②Da mihi manum(2ヴァージョン)
③Katharine Oggle
④O Waly Waly (Irish Boy or The Water is Wide)
⑤Eibhlín a rún