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「生きている伝統:トラベラーズのスコティッシュ・バラッド —アバディーン州の歌い手たち 」
第7回 (2015) 会合特別講演要旨 Dr. Thomas McKean_2015-04-01
(2015年3月28日:関東学院大学関内メディアセンター)
(本要旨は講演資料[日本語版]から協会事務局が字数の制限内で抜粋したものであり、写真や音楽はすべて省略されています。)
スコットランドの伝統においてバラッドは「物語を語る歌」であり、完璧に形式化されたストーリーテリングの完成品として、人間の感情や体験や歴史を伝えている。フランシス・ジェイムズ・チャイルドの『英蘇バラッド集』の一次資料のうち、三分の二がアバディーン州から集められている。本講演では、アバディーンのトラベラー家族と彼らのうたうバラッドを紹介し、彼らの社会、歌の様式、口承と文字の関係について語る。
トラベラーとは半漂泊生活を送る、スコットランドの先住民と考えられている人々で、今日でもなお偏見が持たれている。最近まで、トラベラーは社会の外縁に住む半漂泊民だったが、同時にスコットランドの田舎では季節労働の担い手でもあり、1950年代以降は民俗学者たちにとっての非常に貴重な協力者となり、伝承の物語や歌や風習の資料化と保存に貢献した。スコットランド研究所のヘンダスン教授は彼らの歌を記録することを「まるでナイアガラの滝の下でブリキの缶を持って立っているかのようだ」と語ったほどだ。
1906年生まれのベル・スチュアートは「ヒースに囲まれた女王」という歌でフォークソング・サークルの女王となった。ベルと夫は後に定住の起業家となり、1960年代に大英帝国勲章を授与された。娘のシーラは1935年生まれ、バラッド・シンガーの大御所となり、「私にとって、人生で初めての恋人はバラッドでした」と言ったが、この言葉はトラベラー一家にとっての伝承歌の重要性を示唆している。
ジニー・ロバートソン(1908-75)はフォークソング界の記念碑的存在と言われた。特に「我が息子デイビッド」[チャイルド・バラッドでは「エドワード」]という、殺人と兄弟殺しのバラッドで有名だった。ジニーの娘、リジー・ヒギンズの歌い方は母親とは大きく異なっており、権威としての母親の影響を受けながらも、父親という権威外の人物から学んだ歌の例となっている。
ジェーン・タリフことジェーン・スチュアートは1915年生まれ。素晴らしいバラッド・シンガーであり、ジミー・ロジャースのようなカントリー・ウェスタンや、グレイシー・フィールズのようなポピュラー音楽も熱心に聴いた。カントリー・ウェスタンと伝承歌の共通点は、フィルターを通さない剥き出しの感情を表現することだ。「バーバラ・アレン」を彼女といとこのスタンリー・ロバートが歌っているが、親戚でも歌は全く違うバージョンとなり、聴衆を全く違った結末へと導く。
フェタランガス・スチュワート家は1950年代から収集家たちに数百の歌を提供した。ルーシー・スチュアート(1901-82)はバラッドの優れたパフォーマーだったが、公衆の面前で歌ったことは一度もなく、家の伝承を外に出さないことを選んだ。対照的に、ルーシーの妹ジーンと姪のエリザベスは人前で歌うパフォーマーとして成功した。ルーシーは文字社会に生きながら伝統的な口承のシンガーであり続けた。ルーシーの妹ジーン・スチュアート(1911-62)はロンドンの国立音楽学校で学位を取得し、演奏活動を行った。ジーンの長女、エリザベスは1939年生まれ、ルーシーの内向性と、母親の外向性を併せ持っていた。ジーンとエリザベスは家族の伝統を家庭内から持ち出したのだが、そのことが生きた伝承を不滅のものにした。文字と口承は相互に排他的な間柄で、口承のシンガーは文字を書いたりできないし、すべきではないと言われる。しかし、ルーシーは文字を読むことはできた。ジーンとエリザベスは、文字についても音楽についても高度に読み書きができ、スコッツ語を書くこともできた。つまり、歌はエリザベスという人間の、家族の、そして共同体のアイデンティティであるが、彼女の手書きの歌詞はそのような歌の文化的価値をいっそう高めることに貢献するのである。この考え方は初期の収集家のそれとは対照的で、彼らは元の口承こそが完成版で、書き留められた歌詞はその劣化版と見なした。エリザベスは歌詞の一語一句を書き留めることはせず、略記法を用いるが、それは書かれた作品が重要なのではなく、書くという行為そのものが重要なためである。エリザベスにとって、歌を文字に起こすことは歌が歌われた状況や場面をそこに込めることであり、歌を頭で再生しながら書くという静かなパフォーマンスの間、エリザベスは文字と口承を繋ぐパイプとなり、歌うことと同じく、書くという行為自体がパフォーマンスとなっている。エリザベスの書き留めた歌詞は、彼女とルーシーの口承の世界を繋ぐ文字の架け橋である。
最後にバラッドをもう一つ紹介して締めくくる。「ジプシーの若者」は南西スコットランドで渡り労働者が高貴な女性を誘拐するという歌だが、過酷で難解な歌だ。幸せな結婚生活を送っている女がジプシーの一団と駆け落ちする。ジプシーたちがかけた「魔法」とは彼らのカリスマ的魅力なのか、もっと邪悪なものなのか曖昧であり、聴き手の一人一人がバラッドの歌詞と自分の願望から歌の意味を見出すことになり、こうしてバラッドは時や場所を越えて生き残る。バラッドは普遍的な物事や関心事を歌い、感情や考えを喚起し、何を考え、どう判断するかを私たちに告げることはしない。スコットランドのバラッドによく見られる映画的ジャンプカット[次のシーンへと即座に移行する映画の編集技法]で、我々は全く違った場面に予告なく放り込まれる。伯爵夫人は美しいまでに簡素なフレーズを用いながら、自身が置かれた(むしろ選び取った)物理的状況のみならず、自身の境遇の劇的なまでの変化を物語る。「つい昨夜は」私は召使いに囲まれた貴族だった、「だが今夜は」ジプシーの後に続いて道を往くと。そして歌は物語の核心に触れる。伯爵夫人は財産にはなびかず、家や土地は、夫人の結婚生活を価値あるものにするには不十分であり、夫人の結婚が幸せでなく、彼女が夫との生活に満足していないことが示唆される。さらに衝撃的に「私は自分の幼子も見捨てます」と夫人は言う。ジプシーとの生活がどれほど落ちぶれているとしても、それは今の結婚生活よりも彼女にとっては望ましいことなのだ。さて、最後の連まで来ると聴き手はジプシーの視点に入ってゆく。「我らは全部で7人兄弟。みんな素晴らしく美しい」「だが今宵我らは吊るし首。伯爵夫人と駆け落ちしたために」平易な言葉を使い、教訓を説くことも、聴き手がどう感じるべきかという示唆もなく、歌い手は私たちが知るべきこと全てを教えてくれる。歴史は勝者によって書かれるということを。この歌はトラベラーたちの今日の苦境を要約している。トラベラーの文化、神秘性、半漂泊の自由、彼らのバラッド、歌、物語、そして人を引き付ける魅力は、定住社会の好奇心を引くが、私たちは同時に彼らの魅力、物珍しさ、不思議さに恐れも感じる。他者(=よそ者)に対する恐れは、イギリスをはじめとする世界中のトラベラーやジプシーに対する偏見や不当な扱いを助長している。この一曲の中だけでも、好奇と依存、拒絶と孤立といった、トラベラーの直面する困難な関係性が、美しく効果的な言葉で描かれている。それこそが数世紀も前に作られたバラッドが今日の世界において成し得ることなのである。