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アイルランドのレパートリーを探る(その1) 三木菜緒美
チャイルド (F. J. Child) 編纂の『英蘇バラッド集』(The English and Scottish Popular Ballads) いわゆる「チャイルド・バラッド」には、イングランドやスコットランドのみならず、アイルランド出身者から得られたもの、あるいはアイルランドの出版物から蒐集されたものがいくつか収められている。ざっと挙げると、次のようになる。
Child No. | Title | Version | Vol., page |
4 | ‘Lady Isabel and the Elf-Knight’ | G | II, 497 |
10 | ‘The Twa Sisters’ | J, T | I, 132, 137 |
11 | ‘The Cruel Brother’ | D, J | I, 147, 150 |
12 | ‘Lord Randal’ | H | I, 162 |
20 | ‘The Cruel Mother’ | D, J | I, 147, 150 |
62 | ‘Fair Annie’ | G | II, 77 |
73 | ‘Lord Thomas and Fair Annet’ | D, g. h. i. | II, 197-198 |
74 | ‘Fair Margaret and Sweet William’ | B | II, 201 |
76 | ‘The Lass of Roch Royal’ | H | II, 224 |
81 | ‘Little Musgrave and Lady Barnard’ | N | II, 259 |
88 | ‘Young Johnstone’ | D | II, 292 |
93 | ‘Lamkin’ | T, U | II, 338, 339, 341 |
96 | ‘The Gay Goshawk’ | F | II, 365 |
151 | ‘Robin Hood and the Scotchman’ | B | III, 151 |
155 | ‘Sir Hugh, or, the Jew’s Daughter’ | F, N | III, 247, 251 |
170 | ‘The Death of Queen Jane’ | A | III, 373 |
200 | ‘The Gypsy Laddie’ | I | IV, 71 |
250 | ‘Henry Martyn’ | C | IV, 394 |
全305編のうち、 アイルランドから得られたテキストは18編、異版を含めると24編 存在する。数は少ないが、バラッドはアイルランドでも確かに歌われていたということだ。とはいえ、もともとゲール文化であるアイルランドにとって、英語で 歌われ伝承されてきたバラッドは「輸入物」である。バラッドは、アングロ・スコティッシュの入植者たちとともに、特に北部のアルスター地方を経て17世紀 ごろアイルランドへ入ってきたと考えられている。また、イングランドやスコットランドでしばしば ‘traditional ballads’ や ‘Child ballads’ と呼ばれるものは、アイルランドでは ‘old ballads’ と呼ばれることのほうが多いというのも、その影響があるのかもしれない。
これらold ballads のうちアイルランドで作られたものはほとんどないとされているが、この島で比較的長い歴史をもち、広く歌われるようになったものは少なくないと思われる。 とりわけ、‘The Lass of Roch Royal’ (Child 76) は、アイルランドでは ‘Lass of Aughrim’ あるいは ‘Lord Gregory’ として知られており、James Joyceの小説Dublinersの中の ‘The Dead’ でも一部引用されている。(1) この ‘The Dead’ は1987年にはJohn Huston監督最後の作品として映画化され、‘Lass of Aughrim’ はその中でも歌われる美しく印象的なバラッドだ。(2) Joyceの妻であるNoraの母親がこの歌をJoyceにうたって聞かせたらしいが、彼女は、 恋人たちの愛のしるしの交換のくだりは好きではなかったようである。Joyceは「この美しい歌をうたうと目には涙があふれ、声が震える」と記している。 (3)
歌の内容はというと、版によって違うが大体こんな風である。赤ん坊を産んだと思われる娘が家族や親戚から追放され、恋人であるグレゴリーを探しに(馬で、 船で?)出かける。グレゴリーの城で入れてくれと頼むと、グレゴリーの母親が本人のふりをして、交換した愛のしるしを言うよう彼女に言う。娘はそれに答え るが、母親は、グレゴリーはいないと言い、娘を追い払う。娘は途方に暮れ、悲嘆し、そのままどこかへ行ってしまう。寝ていたグレゴリーは娘の夢を見て目が 覚め、母親からさっき娘が来たが帰ったと伝えら れる。グレゴリーはなぜ起こさなかったのかと母親を責め、娘を探しに出かけ、娘(と子供)の死を目の当たりにし、自分も死んでしまう。
このバラッドは18世紀前半(1730?)の写 本が残っていて、それをチャイルドはA版として採用している。(4) 一方、ブロードサイド・シートについては、Hugh Shieldsの興味深い研究がある。(5) 彼によると、このバラッドの最古のブロードサイド・シートは3つ残っていて、2つはロンドンで印刷されたものとわかっている。3つともおそらく18世紀後半のもので、その1つがチャイルドの『英蘇バラッド集』第3巻の「追加と訂正 (Additions and Corrections)」(pp. 510-511) に‘The Lass of Ocram’ というタイトルで収められている。そして、これらのブロードサイド・シート3つとも ‘Ocram’ という語を使っている。Shieldsによると、‘Ocram’ とはアイルランドの西部ゴールウェイ (Galway) 地方にある小さな村 ‘Aughrim’ のアングリサイズされたスペリング。つまり、このスコッツ起源とされるバラッドの最も古いブロードサイド版として現存しているのがアイルランド版の口承伝承から得られたものなのである。Shieldsは17、18世紀に口承でこのバラッドがスコットランドからアルスターを経てアイルランドの南部まで広く伝 わっていき、それがイングランドへと渡っていったのだろうと分析している。
これほどアイルランドへ浸透していったold balladsはもしかすると例外的なのかもしれない。この国で英語のバラッドが歌われていたという事実は、Bronsonがチャイルド・バラッドの音楽を蒐集していた1950年代、60年代においてもあまり知られていかったようだ。「アイルランドのレパートリーを探る(その1)」としたものの、直接アイ ルランドで蒐集されたものを探し出すのは難しいかもしれない。が、中にはアイルランドを経て、大西洋を渡り、カナダやアメリカへと渡っていき、そこで積極的に蒐集されたものもあるようだ。少しずつではあるがそのあたりもまとめてみたいと思っている。 (2007)
註:
(1) 引用されているのは次の一節:
‘O, the rain falls on my heavy locks
And the dew wets my skin,
My babe lies cold . . .’
[James Joyce, Dubliners, Hertfordshire: Wordsworth Classics, 1993, 151.]
(2) ちなみにOnline Broadcast ‘YouTube’ で検索すると、映画 ‘The Dead’(『ザ・デッド「ダブリン市民」より』)からFrank Pattersonの、映画 ‘Nora’ (『ノーラ・ジョイス 或る小説家の妻』)からEwan McGregor & Susan Lynchの ‘Lass of Aughrim’ を聞くことができる。
(3) Richard Ellmann, ed., Selected Letters of James Joyce, London, 1975, 164-165.
(4) F. J. Child, The English and Scottish Popular Ballads, 5 vols, New York, 1965; 2003, 2: 215-217, 5:397.
(5) Hugh Shields, ‘A history of the “Lass of Aughrim”’, in Musicology in Ireland: Irish Musical Studies 1, ed. Gerard Gillen & Harry White, Dublin: Irish Academic Press, 1990, 58-73. 及び、Hugh Shields, Narrative Singing in Ireland: Lays, Ballads, Come-All-Yes and Other Songs, Dublin: Irish Academic Press, 1993, 47-48.