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対談「“Jack Orion”にみるA.・L.・ロイドのバラッド観〜 第二次フォークリヴァイヴァルの行方」
「第6回(2014)会合 対談報告」2014年3月22日(土)大阪大学 廣瀬絵美、石嶺麻紀
本対談は、廣瀬が2013年に提出した、フォークシンガーでバラッド研究者のA・L・ロイド(1908−1982)についての修士論文をもとに、石嶺と対話形式で研究報告するという試みだった。最初にA・L・ロイドの略歴を紹介し、次にフォークリヴァイバルの第一次と第二次の区分を明示した。第一次フォークリヴァイヴァルは、19世紀後半から20世紀前半に中産階級の音楽家や教育者を中心に起こり、第二次フォークリヴァイヴァルは、1950年代から1960年代にロイドを中心として始まったと説明した。
1. A・L・ロイドのポリティカルな立ち位置
研究対象としたバラッドはJack Orionで、ロイドが1966年にLPレコードFirst Personに収録した曲である。それは、Child balladの67番Glasgerionが元歌になっており、Thomas PercyとRobert Jamiesonが収集したバージョンから大幅に改作したものだ。この歌は才能のある音楽家、Jack Orionが貴婦人と密会の約束をするのだが従者のTomが彼になりすまし貴婦人を寝取り、それを知ったJack OrionがTomを縛り首にするといった暴力的な物語である。会場では、Lloydが歌うJack Orionを流した後、なぜロイドは改作してまでこのバラッドを発表したのか、話し合った。ロイドはライナーノーツの中で、自分の気に入るバラッドにはどんな内容のものであれ、何かしらa sense of victory(勝利の感覚)を感じると指摘している。そこには、社会的に支配される立場の者が、権力者に対して自分たちの欲望やimaginationを使って対抗しようとする意識がバラッドの根本にあるのではないかという、ロイドの階級に基づいた考え方が反映されている。Jack Orionの物語、すなわち従者のTomが貴婦人を寝取り主人を裏切るという構図に、ロイドは、自分のポリティカルなヴィジョンを投影しやすかったのでこの歌を発表したのではないか、という見解を示した。だが、結果的にTomが罰せられて物語が終わるという点を考えると、ロイドはworking classに観念的な勝利は与えても、現実では支配する者とされる者の立場は保存し、もとのバラッドの物語をできるだけ壊さない形で改作しているということも付け加えた。
2. スコットランド方言や古い英語を現代の英語に直す
ロイドは、バラッドを歌としての本質的な役割に戻すために、既存のバラッドを現代の人々が共感できる形、現代英語に変化させた。ここでは、Jack OrionのヴァージョンとRobert Jamiesonのヴァージョンを比較し、明らかにわかりやすい英語に直していることを説明した。ただし、部分的には、ロイドは古英語のままで歌っている箇所もあり、そこに方言や古英語がもつ良さも保存しようとするロイドなりの配慮が見られるのではないかという結論に至った。
3. 楽器とメロディーを変える
3.1. 楽器を変える
歌詞に登場する主人公は、Jack Orionの元歌のGlasgerionではハープの名手であったが、Jack Orionではフィドルの名手に変わっている。その理由の一つとしては、当時、民衆受けしていた楽器は、歌やダンスの中で使用されていたフィドルやギターであったことから、民衆により身近な楽器に変化させることで、このバラッドに人々が親近感を持ち易くしようとする狙いがあったと思われる。もう一つの可能性としては、ロイドは歌のイメージを変えたかったのではないかということが挙げられた。会場では、ハープヴァージョンの音源としてCarol WoodのGlenkindieを流した。それは、BronsonのTraditional Tunes of the Child Balladのメロディーと一致していることを説明し、実際、ハープを伴奏にして歌ったGlenkindieにはロマンティックで上品なイメージがあり、ロイドのフィドルを伴奏としたJack Orionとのイメージの違いを感じてもらった。その上で、18世紀は中世の文化を連想させるハープにナショナリズムを求める要素があり、そのような文化的背景に基づいてPercyやJamiesonもバラッドを捉えていたと述べた。一方で、労働者階級のロイドは、フィドルを用いることで、ハープの中世貴族的なイメージからの脱却を試み、バラッドを遠い過去の伝統として捉えるのではなく、現代に生きているものとして扱おうとしてストリート的な要素を強めたのではないかと議論した。
3.2. メロディーを変える
Jack Orionのメロディーは、Neil Grant作のDonald, Where’s your Trausers?のメロディーである。この歌は、BBC Scotlandのエンターテイメント番組で司会者と歌手をつとめたAndrew Stewartが歌って1960年にヒットした。会場ではDVDで映像を流した後、メロディー分析の結果を報告し、それがバラッドによくあるメロディーの枠組みの、完全なエオリア旋法でできていることを説明した。ロイドはもしかしたらDonald, Where’s your Trausers?がトラッド的なメロディーであることに気づいて、それをJack Orionのメロディーに採用したのかもしれないという可能性を示唆した。いずれにしても、その結果ロイドは、Jack Orionを民衆が馴染み易い曲に仕立てることに成功したと結論付けた。
4. Authenticityをめぐる議論
ロイドは伝統を歪ませたのではないか、という問いに対して、authenticity(本物であること)とは何かを議論した。まず、authenticityには確固とした定義はなく曖昧であり、学者対パフォーマーでは意見の相違が見られることを説明した。バラッド学者にとってのauthenticityは「古い歌」にあり、歴史的な素材をそのまま再生しようとすることを目指そうとする傾向があるが、パフォーマーにとってのauthenticityは、その時、その場の聴衆にとって受け入れやすい形に古いテクストを再生させることになるという見解を示した。しかし、学者でありパフォーマーでもあるロイドは葛藤し、authenticityとauthorshipの間に妥協を見出し、それは作品の中に表現されているのではないかと考えた。その箇所として、Jack Orionの歌詞の最後に現れるwillow treeという単語に着目した。これは、元歌のヴァージョンには見られない単語で、ロイドの創作箇所なのだが、このwillow treeは、イギリスの文学やフォークソングでも「破れた恋」のシンボルとして使われており、ロイドはそのシンボリックな意味をふまえてJack Orionにwillow treeを加えたと思われる。それは、Jack Orionと貴婦人の破れた恋を示す事ができるが、更には、ロイドのポリティカルな観点からは、Jack OrionとTomの信頼関係の崩壊という二重解釈ができるかもしれないとした。また、パフォーマーとしてのロイドは、willow treeという抽象表現を使うことで、民謡の性質でもある感情に訴えるような不気味さや曖昧性、神秘性を再現したとも言えないだろうか。学者でありパフォーマーでもあるロイドの葛藤を経て、authenticityの可能性は「生きたバラッド」という地平に広がったという結論に至った。
5. Lloyd後の“Jack Orion”
ロイドの後のミュージシャンたちがJack Orionをどう表現したのか音源を紹介した。一曲目は、英国のトラッドロックバンドTreesのGlasgerion。メロディーはJack Orionであるが、元歌のGlasgerionを見直しその歌詞で表現しようとしたもの。二曲目は、 Martin Carthy&Dave SwarbrickのJack Orion。三曲目は、創意工夫に富んだ凝った音作りをしていたHedgehog PieのJack Orion。表現は三者三様である。後のミュージシャンたちはロイドのポリティカルな思想はあまり気にせず、バラッドに音楽表現の新たな題材としての魅力を感じて、自分なりのアプローチを模索していったようである。今現在でも新しいミュージシャンがバラッド題材に音楽表現しており、第二次フォークリヴァイヴァルでロイドが目指した事、バラッドを本の中から引っぱり出して、歌われ、聴かれるものとして復興する、ということはある程度は成功したのではないか、という結論で対談を終わらせた。
質疑応答では、オウディエンスから貴重な経験談を聴く事ができた。
Q:現在フィールドワークをしながらバラッド研究をしている研究者から聞いたところ、実際のfolk traditionからバラッドを歌っている人たちが皆言う事には、その歌が本物であるかどうかというのはミュージシャンにとっては、その歌の中に語られているストーリーがtrue storyだとよく言うそうである。それが歴史的にtrue storyかということは重要ではなく、emotional true story、感情的な正しさがそこにあるかどうかが大切なのだと言うことだそうだ。ただバラッドを聴いていたり読んでいたりすると、バラッドの中には感情というものがなかなか見えにくく、むしろ排除されているかもしれないのだが、それだからこそ、シンガーが感情的に自由に味付けができて、いろいろな人に歌い継がれているのかなと思った。また、楽器を変えたというのは、興味深い点で楽器とハープの構造的なところを見た時に、ハープは実際に指で弦に触れるのに対してフィドルは弓を使う。ハープがバード、ミンストレルと呼ばれる人と密接に関わっていたのは、彼らの手が直接弦に触れて、そこから魔法のような音が鳴ると信じられていたからで、Glasgerionは、ハープで宮廷の人を眠らせて、そこで眠らなかった貴婦人と恋に落ちている。Glasgerionの神秘的な能力というのは、ハープという楽器を使うことで強調されていると思うのだが、それをJack Orionでフィドルに変えるということは、ロイドの時代では迷信とか超能力はどうでもよくなったのかという印象を受けた。
A:Emotional true storyとは、まさにその通りで、東京に2013年に来日したフォークシンガー、Sam Leeのコンサートで彼が話していた言葉を思い出した。Sam Leeは、トラディショナル・シンガーでスタンリー・ロバートソンに師事し、バラッドやフォークソングを自分なりにアレンジして表現している歌手であるが、彼が言うには、トラディショナル・シンガーは、自分たちの歌がいろいろな形でうたわれているのをむしろ楽しんでいるという。また、トラディショナル・シンガーは、自分たちの人生そのものも歌に反映させており、それは感情が見えないバラッドに味付けを加えている要素の一つかもしれない。そして、ハープとフィドルの楽器の構造の違いは、興味深い指摘で、身体の文化論的なことにもつながっていくと思う。ロイドのヴァージョンでも、フィドルで人を眠らせたとか、魔法の要素は残しているが、ハープと比べると世俗的になっている。そこは今後の研究の課題としたい。
ハープとフィドルの箇所の違いとして、次のオウディエンスから今後の参考になるようなご意見をいただいた。
Q:もとのチャイルドバラッドだとHe harped to the kingとなっていて、ハープは宮廷的な楽器ということもあり、ストリート的であったフィドルとはすごく大きな違があったと思われる。He harped to the kingとは貴族に取り入って、貴婦人との関係を許されるはずだったということだったと思う。一方でロイドの詩をよむと、彼のフィドルを聴いて街の女が夢中になるという歌詞だった。となると、フィドルが夢中にさせたのはもともとは街の女だった、しかし、そこに貴婦人が入り込んでいくような感じであり、貴婦人が宮廷の方から出て行って、彼のフィドルに惚れ込んでついて行ったという感じだと思う。対談で、楽器をフィドルに変えたことでストリート的要素を出したことを見て来たが、もう少し歌詞の内容を見ていくとそれをきちんと裏づけることができると思う。
A:今回の対談では、ロイドのバラッドに対する思想や改作の手法に重きを置き、歌詞の内容はあまり詳しく分析できなかったような気がする。今後は、歌詞分析はもちろん、ロイドの他のバラッドとも比較し、研究を深めたい。