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「バラッド詩とは?」第二部「リレー・トーク」3
宮原牧子:「深化するバラッド詩―Alfred Noyesの場合」 _(2023/3)
Alfred Noyes(1880-1958)の代表作と言えば、イギリスに実在した追剥Dick Turpin (1705-39)とその愛馬Black Bessをモデルに創作されたバラッド詩“The Highwayman”(1906)であろう。ノイズはこの作品を書くにあたり、William Harrison Ainsworth(1805-82)の小説Rookwood(1834)の影響を受けたと語っている。この小説は荘厳なゴシック建築、地下の納骨堂、骸骨の手といったゴシック的道具立てが揃う中、主人公が一族の秘密を暴いていくという物語であるが、エインズワースはHorace Walpole (1717-97)のThe Castle of Otranto(1764)にはじまるゴシック小説の流れに影響を受けながらも、作品にターピンという追剥を登場させることで、物語に冒険や喜劇的な要素を加えている。この小説の影響を大きく受けたノイズは、「追剥」の他にも“The Ballad of Dick Turpin”(1928)というアウトロー・バラッド詩を書いている。
アウトロー・バラッドは中世の時代から多くうたわれてきた。中でもロビン・フッドとその仲間たちの活躍をうたうバラッドは伝承バラッドの中に一大ジャンルを成しているが、そのうたわれ方は社会的文化的背景の変化に伴い変化し続けてきた。中世のバラッドにうたわれるロビンは、陽気な緑の森の中に暮らす礼節深き義賊であった。ただ、その絶対的な強さのため彼の残酷さに歯止めをかけるものはなかった。16世紀半ば頃にブロードサイド・バラッドが多くつくられるようになると、ロビン像が大きく変化していく。五月祭の芝居の演目として人気を博していたロビンであったが、16世紀に入り風紀的・宗教的に不適切であると言う理由で芝居が禁止されるようになる。この風潮がバラッドにも影響を及ぼし、ロビン・フッド・バラッドの中から不道徳さや残酷さが次第に薄れていったと考えられている。さらに、ブロードサイド・バラッドにおけるロビン像の変化として興味深いのは、ロビンが数々の犯罪のつぐないのため救貧院を8つも建てるという、きわめて道徳的な行動がうたわれているということである。このように、中世の野蛮さを脱却し、道徳的なロビン像ができあがっていった。
19世紀以降、アウトローを主人公やモチーフとした多くのバラッド詩が書かれているが、ロビンをはじめとするアウトローたちの描かれ方は、伝承バラッドやブロードサイド・バラッドを踏まえながらも、そこからさらに大きく逸脱していった。Walter Scott(1771-1832)の小説Ivanhoe (1819)、Thomas Love Peacock(1785-1866)のバラッド詩“Bold Robin Hood”や“Robin Hood and the Two Grey Friars”が収録されている小説Maid Marian(1822)が書かれ始め、John Keats(1795-1821)のバラッド詩“Robin Hood”が書かれたのは1818年であり、これはJoseph Ritson(1752-1803)のRobin Hood: a Collection of All the Ancient Poems, Songs, and Ballads, Now Extant, Relative to that Celebrated English Outlaw(1795)が1817年に再販されたことに因ると言われている。フランス革命支持者であったリトスンは、ロビンが革命の時代にこの上なく相応しい愛国者であるというイメージを定着させた。そして愛国者たるロビンからは、犯罪者としての側面がますます薄れていった。一方、この時期に書かれたアウトロー・バラッド詩の特徴として見落とすことができないのは、かつての伝承やブロードサイドのアウトロー・バラッドには見られなかったゴシック的要素が作品に加わったということである。この特徴を生み出したのは、アウトローを題材としながらゴシック的要素を持つ、スコットやエインズワースの小説であったと考えられる。
ノイズの「ディック・ターピンのバラッド」の舞台は夜である。賞金首であるターピンとその相棒Tom King (c. 1712-37)は待ち伏せしていた役人たちと闘うが、暗闇の中で発砲を躊躇うターピンにキングが叫ぶ。
But “Shoot, Dick, shoot!” gasped out Tom King.
“Shoot, or damn it, we both shall swing!
Shoot and chance it!” Dick leapt back.
He drew. He fired. At the pistol’s crack
The wrestlers whirled. They scattered apart,
And the bullet drilled through Tom King’s heart. (ll. 41-46)
ターピンがキングを誤射した後逃亡したという話は当時の新聞にも載っており、史実であると考えられている。史実ではターピンはこの後一旦逃げ切り、ヨークシャーで名前を変えて潜伏するも、やがて捕まって絞首刑となる。
だがノイズのバラッド詩では、この後ターピンは愛馬ベスに乗りロンドンから200マイル離れたヨークまでひと晩で駈け抜ける。このエピソードは、エインズワースの『ルークウッド』の第4巻“The Ride to Yoke”に描かれているフィクションを元にしている。小説ではキングがもう助からないと判断したターピンは、躊躇うこと無く現場を後にする。意気揚々とヨークを目指すターピンであったが、深い霧が立ち込める川に差し掛かった時、突然馬に乗った男の気配を感じる。ターピンはキングの亡霊が現れたのだと恐怖するが、後にこの気配の正体は、小説の主人公Lukeであることが分かる。
ノイズは、このエピソードを元にしながらも、別の種類の恐怖をバラッド詩に描いている。この詩の後半部分でも、ディックと思われる男が馬に乗った人物に付き纏われる様が描かれる。しかしヨークにたどり着いた時、その正体は人間ではなく、もう一人の自己、つまりドッペルゲンガーであることが明らかになる。古いバラッドにはうたわれることが無かった、アウトローの罪悪感が生み出したもう一人の自己である。ドッペルゲンガーはターピンに“thou’st ridden well; and outstript all but me”(l. 114)と告げる。
ドッペルゲンガーという言葉は、ドイツの作家Johann Paul Friedrich Richter (1763-1825)の造語である。19世紀にはドッペルゲンガーをモチーフとする作品がいくつも書かれているが、ノイズはこのモチーフが気に入っていたようで、1935年にはドッペルゲンガーに囚われる主人公の物語である短編小説“The Midnight Express”を発表している。19世紀以降、文学は人間の心理のより深い層を描くようになり、20世紀にはその傾向がより強くなっていったが、ノイズはドッペルゲンガーというモチーフを使って、ここまで深い人間の心理、個人の苦悩を描く、新しいアウトロー・バラッド詩を生み出したのであった。