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「バラッド詩とは?」第二部「リレー・トーク」4
中島久代: “A Shropshire Lad”(1939)に見るバラッド詩人John Betjeman (1906-84) _ (2023/3)
“A Shropshire Lad”というタイトルはA. E. Houseman(1859-1936)の詩集A Shropshire Lad (1896)のパロディである。というのは、ベッチマンは1875年に21時間40分でドーバー海峡66kmの遠泳横断に成功した主人公キャプテン ウェブことMatthew Webb (1848-1883) を揶揄うような調子で、サブタイトル「イングランド中部のアクセントで朗読されるべし、主人公Captain Webbはシュロプシャーの有名人でロマンス作家Mary Webbの親戚、生まれた町はDawleyだ」を付しているからだ。
この物語は20世紀のシュロプシャーが舞台。第1スタンザ12行目でキャプテン・ウェブが泳いでいる古い運河はダウリーの岸を経て天国へと続くとうたわれ、物語がキャプテン・ウェブの亡霊譚だとわかる。“swimming along” がリフレインのように7・9・10・11・12行目で繰り返され、亡霊がどこまでも規則正しく水を掻く姿を読者に想起させる。また、3行目running、4行目singing、12行目payingと〜ingの音が繰り返され、鐘の音が幾重にも木霊するような余韻をスタンザ全体に残し、亡霊譚に相反する軽やかさと荘厳さが演出されている。第2スタンザではキャプテン・ウェブの亡霊は教会の土曜礼拝へ水滴る姿で現れ消えてゆく。dripping alongのリフレインが19・21・22・24行目で繰り返され、加えて、18行目sheeting、19行目bating、20行目evening、meetingと、〜ingの響きも続き、亡霊にどこかユーモラスな印象を与えている。第3スタンザではこの地方のいくつかの町が押韻してうたい込まれ、知らぬものない名士の遺体は天国へみまかったと結ばれる。ここでは〜ingの繰り返しはなく、強弱強のRigid and deadの硬い響きのリフレインが31・33・34行目に置かれて、亡霊の遠泳が終わりに近いことが暗示される。また、30行目が第1スタンザ6行目の繰り返し、32行目が第1スタンザ8行目の繰り返し、36行目のon his way to his destinationが第1スタンザ12行目のwhile swimming along to Heavenへと変化したincremental repetitionとなっており、第1スタンザと第3スタンザが繋がりを持って完結する、リフレインの技巧とその効果が十分に発揮された作品となっている。
バラッドのリフレイン、繰り返し、incremental repetitionは聴衆が歌い手と唱和した合いの手の名残とも言われ、そこにはうたい手と聞き手の共同創作の精神を見ることができる。特にTennysonを初め多くの19世紀の詩人たちはリフレインに魅了され、優れて独自性のある技巧を発揮した。実はベッチマンはテニスンの大ファンで、“The Charge of the Light Brigade”は歴代の桂冠詩人による国家のための詩の中でベストな作品の一つだと語っている。このテニスン作品からリフレインの技巧を参照してみると、 第1から第3スタンザのリフレイン‘Rode the six hundred’は第4スタンザから ‘Not the six hundred’、‘Left of six hundred’、‘Noble six hundred!’のincremental repetitionとなり、漸増的に兵士の誉を高める仕掛けとなっている。加えて、第2スタンザの ‘Their’s not to make reply’、第3・5スタンザの‘Canon to the right of them’など、多くの繰り返しによって、きびきびとしたリズムが一貫して保たれている。この作品は多くのリフレイン(=合いの手)をうたい込むことによって、桂冠詩人が読者の声をもうたい込んで国民全体でイギリス兵士の誉の大合唱をしているような構造を作り上げ、戦場の兵士たちの士気を高めるのに貢献した。
ベッチマンは詩作の手順を「まずは、場所や人のワクワクする回想が生まれる。するとそれは頭の中でいけいけ、それについての詩を作れとハンマーで叩かれるような気分になり、行やフレーズが浮かぶ。それから韻律の選択にかかる。テニスンやクラブやホーカーなどのリズムが頭の中で唸りを上げ、テーマに合うものを選ぶのだ」と述べているが、シュロプシャーの著名人へのオマージュを示すには、テニスン流の高揚感あふれるリフレインは格好の手法と判断したのではないか。結果、パロディのようなタイトルとサブタイトルを裏切り、一人のシュロプシャーの若者が、鉄道網が発達した時代に古い輸送手段として顧みられることのなくなった運河を、まるで彼のための水泳コースのように、一人悠々と延々と泳いで天国へ至る追悼の物語となっている。亡霊が泳ぐだけの素朴な物語なのだが、読者には、詩人が郷愁や種々の感情を喚起する、その土地の原風景の代弁者とも映るだろう。
ベッチマンのlight verseは大方このような傾向を持っているため評価は割れていた。Donald Davieは、同じムーブメント詩人Philip Larkinのベッチマン贔屓もろとも「ラーキンのベッチマニアとは、ベッチマンの詩をよしとする地方主義の悪質な兆候」と批判した。他方、ラーキンはベッチマンの詩をモダニズムの危機感と対峙させ、「ベッチマンは現代的な詩人ではない。彼の絶大な人気はこの時代遅れのためなのだ。というのは、今世紀のイギリスの詩は一般読者からは切り離された、環状線道路の上を疾走したからだ。その原因はモダニズムという脱線であり、イギリス文学がアカデミックなものとなったことであり、その結果として解説を必要とするような詩が好まれたためなのだ。ベッチマンはこの新しい潮流が掲げた『現実生活との遮断』という看板を取り払った詩人であり、詩との解り易い対話を復活させた詩人なのだ」と、読者不在の現代詩においてベッチマンが果たした役割を評価した。ラーキンの主張は、詩は誰のためにつくられるのかの根源的な問いである。また、現代詩における詩人と読者の乖離を指摘したEdwin Muirは、伝承バラッドの聴衆が果たした批判的で創造的な役割を指摘して、聞き手=読者の存在の重要性を訴えた。「聴衆は詩作という作業の重要な一部であるが、今はその役割は小さくなっていると判断して、聴衆を無視する傾向にある。詩作に聴衆が直接参加することは、印刷技術の発明以来印刷された詩に欠けてしまった何かを取り戻すことなのだ。」現代の詩がこのような傾向にあったとすれば、ベッチマンは、20世紀に入って物語を読者と共有するバラッドの原点を作品に具現し、ロマン派の黎明期から職業詩人たちが伝承バラッドの技巧に取り憑かれながら、模倣から逸脱へと向かわざるを得なかったバラッド詩の系譜において、バラッドの原点回帰をなしえた詩人である、と位置付けることができるのではないか。