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『じゃじゃ馬ならし』とブロードサイド・バラッド 喜多野裕子_(2008/7)
路上と劇場という場の差はあるものの、歌やダンスを 盛り込んだパフォーマンスによって物語を伝えるという本質が共通しているストリート・バラッドと、初期近代イングランドの演劇との関連は小さくない。 1583年の女王一座の旗揚げにも参加した道化役者リチャード・タールトンが、バラッドの作者でありパフォーマーとしても活躍していた(1) ことが示すように、民衆に支持されたこの二つのメディアは互いに深く影響しあい、連動していたと考えられる。本稿では、シェイクスピアの初期の喜劇『じゃじゃ馬ならし』(The Taming of the Shrew:1590-94)(2) とブロードサイド・バラッドについて一考する。
ペトルーチオとキャテリーナのプロット材源として、「羊の毛皮にくるまれた女房」(“The Wife Wrapt in a Wether’s Skin”)(3) や、「塩漬けの馬の皮に包まれた口うるさい妻の陽気な話」(“A Merry Jeste of a Shrewde and Curste Wife Lapped in Morrelles Skin”)(4) が指摘されている。どちらのバラッドも、反抗的な妻に対して、夫が改心させるために妻を叩く行為と、動物の皮にくるむという行為によって従順にさせる、とい う物語である。こうしたバラッド、民話、戯曲においては、男性中心社会の定めた「貞節・寡黙・従順」という女性の美徳から逸脱した「じゃじゃ馬」は、共同体の厄介者であり、夫や父権制社会の規範に服従してはじめて共同体に受け入れられるという筋書きをたどるのが常である、(5) とされてきた。シェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし』も、長くそのような文脈に組み込まれてきた。夫から妻へのドメスティック・ヴァィオレンスと、その結果としての妻による夫への服従を誓った最終幕におけるスピーチを攻撃した批評も多い。(6) しかし不快なはずのこの芝居は、現在なおも大変な人気を博し上演され続けている。(7) こ こで見逃してはならないのは、シェイクスピアの喜劇は一般に若者が結婚に至るまでの過程を描くのに対し、この作品には若者の求愛から結婚式を経て結婚後の夫婦の様子までも描かれている点である。つまりシェイクスピアが結婚にまつわる諸相を劇化し、夫婦のあり方を扱った唯一の作品(8) なのである。「じゃじゃ馬」にばかり焦点を当てるのではなく、視野を広げて、臨機応変に力関係が微妙に変化する夫婦の関係性を劇化した芝居であることを鑑みる必要がある。
一方、ブロードサイド・バラッドの結婚を扱ったバラッド-marriage ballads-は、当時の民衆の結婚観がいかに多様で広範(9) であったかをおしえてくれる。また内容だけでなくその形式に注目した場合、結婚を扱ったブロードサイド・バラッドには、ダイアローグの形式(10) をとっているものも多い。ダイアローグ・バラッドは、当時のジッグと中世の対話詩(debat)に由来し、等しい長さの台詞を男女が交互に繰り返す対話形式になっている。Sandra Clarkは、このタイプのバラッドが路上で演じられる際、男性歌手の他にもう一人女性のパフォーマー(11) がいて、男女のペアが喜劇的に演じることによってテクストを問題視したり価値観を転倒させ観客を楽しませていた可能性を述べている。(12) 例えば夫と妻によるダイアローグ形式をとる “A Pleasant New Ballad, Both Merry and Witty, that Sheweth the Humours of the Wives in the City”(13) をみてみよう。このバラッドは二部構成になっており、前半は、妻に首ったけの夫が「こちらに来てそばにいておくれよ」([Husband.] / Wife, prethee come hither & sit thee down by me, / For I am best pleased when y are most nie me.)とねだるのに対し、妻はまっぴらごめんと拒絶する([Wife.] / I scorne to sit by such a blockheaded Clowne,)。そして夫の稼ぎや容姿、さらには愚鈍さ、野暮ったさへの不満をぶつけ、別のいい男と自分が乗った馬車を、走って追いかけてらっしゃい、 (…I will be supplied by a propperer man: / And wee’l haue our Coach and horse to ride at pleasure / And thou shalt run by on foot, and wait our leisure. )とあしらう。夫は慌てて、欲しいものは用意するからそばにいさせて欲しい(Thou shalt haue as good as they: come kisse & loue me.… Wife thou shalt haue horses and Coach, and a man / to driue for thy pleasure through Cheapside & Strane, / And I will goe with thee, and always attend thee,)と懇願する。しかし後半部では二人の立場は逆転する。家父長としての夫に食卓でもベッドでも服従せねば贅沢品をやらないぞ、(…And you shall be ready at board, or in bed, / To giue me content, or else be sure of this, / Both gowne and lace, horse & Coach all you shall misse.)と言われた妻が、これは大変とばかりに、妻が華やかにしていることが夫の評判を上げるのだと説得しようとする(For tis for your credit man, all this craue, / And you are esteemed for my going braue.)。だがうまくいかないので態度を軟化し、最後には夫に服従する(All this am I willing , and more I will doe, / To shew my respect, thus I stoope to your shooe.)。結末としては当時の規範に沿った幕切れであるが、欲しいもののために夫に服従を誓い、とりあえずその場をおさめる妻のしたたかさがうかが える。また明確な二部構成であることや、ほぼ等しい分量の言葉の応酬を男女のペアが演じながら歌った可能性を考えると、どちらか一方の優位性よりも双方の かけひきに基づく対等性が感じられるのではないだろうか。
初期近代イングランドの父権性イデオロギーは確固たるものであったにせよ、民衆はその規範の中で遊びを見いだし、たくましく笑いに変えていった。『じゃ じゃ馬ならし』という喜劇作品を、ブロードサイド・バラッド が提供する民衆の多様な結婚観の中に解き放し、さらに夫婦間の揺れ動く力関係の描き方を比較した場合、新たに照射される側面があるのではないか。物語の内 容のみならず、形式、構成さらにはパフォーマンス性も含めて、当時の民衆に愛され親しまれてきたバラッドは、シェイクスピア作品の単なる材源としては片づけられない重要な要素といえよう。
<註>
(1) Natascha Würzbach, The Rise of the English Street Ballad 1550-1650(Cambridge UP, 1990)214.
(2) 推定創作年代はリヴァ-サイド版第2版による。
(3) F. J. Child, The English and Scottish Popular Ballds, vol. V, Number 277. バラッド研究会編訳『全訳チャイルド・バラッド第一巻』(音羽書房鶴見書店、 2005)293-94.
(4) W. Carew Hazlitt ed., Remains of Early Poetry of England, vol.4 (London: John Russell Smith, 1866) 180-226.
(5) 小林かおり「ペトルーキオの物語」『ゴルディオスの絆』(松柏社、2002)69.
(6) 批評の流れに関しては、Ann Thompson, Introduction, The Taming of the Shrew (Cambridge UP,1995)参照。
(7) ロイヤル・シェイクスピア劇団(RSC)によるシェイクスピア作品公演の全統計において、『じゃじゃ馬ならし』は第3位の上演回数を記録している。河合祥 一郎『シェイクスピアの男と女』(中央公論新社、2006)29参照。なお本年2008年は、RSCによって9月25日まで公演中である。
(8) 丸橋良雄『英国喜劇論集』(あぽろん社、1999)4.
(9) Sandra Clark,“The Broadside Ballad and the Woman’s Voice”, Debating Gender in Early Modern England, 1500-1700(Palgrave Macmillan,2002)107.
(10) 種々のバラッドの形式分析についてはWürzbachを参照されたい。
(11) 当時商業演劇界には女優が存在しなかったが、市井における女性パフォーマーに関する研究が進んでいる。Pamella Allen Brown, Better a Shrew than a Sheep (Cornell UP, 2003)及びBrown and Peter Parolin eds., Women Players in England, 1500-1660 (Ashgate, 2005) 参照。
(12) Clark 104-07.
(13) Hyder E. Rollins, ed., A Pepysian Garland ( Harvard UP, 1971) 208-11.