information情報広場

Feis in Ullapool – 2

アラプールでのワークショップ体験 – その2      (木田直子連載エッセイ-2)

 2曲目の歌詞のプリントが配られた。テンポの早い曲で、私には手も足も出なかった。心が折れてきた頃、
「ティータイム!」
と、ジャニスが言った。全員教室を出て行く。午前のクラスは正午までだったはず。何故、午前10時過ぎに教室を移動するのか不思議に思ったが、みんなに倣って階下に向かった。私にとって突然始まった英国のティータイムは、未知の時間。そこには、ボランティアのスタッフが数人待っていて、
「コーヒー?ティー?」
と、にこやかに聞いてきた。
「ティー プリーズ」
と答えてみると、大きな陶器のマグカップに紅茶を入れて渡してくれた。サイドテーブルにはドンブリのような陶器の砂糖壺。その横に「ミルク?」と疑いたくなるようなプラスチック製の巨大なミルクピッチャーが置かれていた。日本の安居酒屋でビールピッチャーとして使われているものだ。ティールームと呼ばれたそこは、給湯室のある広めの教室。中央に置かれた机の上の陶器の皿には、ビスケットが並んでいた。マクビティーのチョコレートビスケットや、小麦粉をミルクで練ったリッチティーと呼ばれる薄甘いビスケット。先生も生徒も手にしたマグカップに砂糖をザブンザブンと入れ、ミルクを注いでスプーンでかき回すと、ビスケットをつまんで外に出て行った。外はアスファルトの駐車場。多くのフェッシュ参加者が、
「ハーイ!元気だった?」
と再会を喜びつつ、おしゃべりしていた。食間に軽いものをつまみながらマグ片手15~30分ほどのおしゃべり。これぞ一般的に英国で「ティー」と呼ばれる習慣なのであった。

学校の裏 Gorse(ハリエニシダ)の咲く丘

 広い駐車場に車は数台しか置かれていない。対面には丘が広がる。その上に五月晴れの空。北の田舎の空気は冷たく澄んでいた。しかし、私にとってティータイムは辛かった。もう、英会話はしたくなかった。早朝からの英語漬け。私の頭の中の貧弱な翻訳機はオーバーヒート寸前。とうとう、夫を見つけ出したときは、ほっとした。やっと日本語が話せる。
 「スコティッシュソングは、どう?」
憧れのフェッシュに参加できて幸せこの上ない表情の、夫が聞いた。私は、しかめっ面で答えた。
「もう、だめ!ぜんぜんわからないよ!」
夫は、私をアリソン・キナードに紹介した。クラルサッハクラスのアリソン先生は、品の良いおばさまだった。
「妻は一週間前に渡英しました。英語も出来ないのにスコティッシュソングに挑戦して苦戦してますよ。はっはっはっ! 彼女には、二重の言葉の壁です」
上機嫌の夫が笑いながらそう話すと、アリソンは青い目を丸くした。そして、
「私たちにも難しいのだから、あなたにはとても難しいわ」
と私に慰めの言葉をかけてくれた。スコティッシュソングに使われているスコットランド弁は、現代のスコットランド人にさえわからない代物だということを、このとき、私は知った。
 ティータイムが終わり、クラスが再開された。後半の展開は早かった。次々と歌詞のプリントが配られる。ジャニスの説明は聞き取れない。リズムが早く譜割りがわからない。私は、ほぼ口パクだった。そんな私に気付いた隣の席のおばさんが、ジャニスの言ったことを私に再度説明してくれたが、彼女の英語も訛りが強く難解で、あまり助けにはならなかった。

 午前中のクラスが終った。暗い気分で教室を出ようとしたそのとき、遠巻きにしていたクラスメートが、ポツリ、ポツリ、と声をかけてきた。
「大丈夫?」
「楽しんだ?」
私ったら、そんなに落ち込んで見えるのかな?と、気恥ずかしかったが、
「難しかった。でも、大丈夫」
と答えると、
「また後で」
と、みんなが笑顔で言ってくれた。スコットランド人の優しさをズシンと感じた。スコットランド人は知らない人にすぐに声を掛けない。初めは、そっとこちらをうかがっている。それは、冷たいからじゃない。彼らはとてもシャイなのだ。

 夫と二人、ランチを食べようとパブへ向った。道すがら、私は半泣きで訴えた。
「わかんない!ぜんぜん楽しくない。帰りたい。もう、いやだ!」