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初めての長距離ドライブ

初めての長距離ドライブ   木田直子連載エッセイ-3

 2000年11月のある夜、
「天国にいるようだ」
と、一足先にスコットランドに赴任した夫から、日本で引越準備中の私に電話があった。師と仰いできたアリソン・キナード先生のクラルサックのワークショップを受けた感想だ。彼女はスコットランド伝統の奏法と楽曲解釈、教育活動において、最も尊敬されるハープ奏者。この次に夫が彼女のレッスンを受けられる機会こそが、アラプールフェスだった。そもそも、私がフェスに誘われたのは、夫ひとりでアラプールまでドライブする自信がなかったから。夫は英国赴任のために日本で運転免許を取得したばかり。私も右に同じ。彼は運転嫌いなうえに方向音痴。人生初、片道6時間余の長距離ドライブだ。助手席にナビは必須!
 我が家からアラプールへは、エジンバラの北にかかるフォース・ロード橋(Forth Road Bridge)を渡り、M90 → A9 → A835と舗装された広い道を北上するのみ。M90とA9の合流地点にあるパース(Perth)は古い街。かつてスコットランド王の戴冠式に使われた「運命の石(スクーン・ストーン)」があった「スクーン・パレス」が有

      Scone Palace

名。ティーのお供「スコーン」が生まれたのもこの宮殿。
 A9に入るといよいよハイランド。両側に低い丘が広がる。澄んだ小川が流れる。灰色の石造りの家がポツンポツンと建つ。緑の中に白いドットのように見えるのが羊たち。イングランドと違い、石垣がないのがスコットランド。だから、迷い羊や牛に注意!実際、道端には車に轢かれた羊が転がっている。
 A9をしばし北上すると、ピトロッホリー(Pitlochly)。清らかな水を湛えた川や湖を有する避暑地。留学中の夏目漱石はここで病を癒した。

 更に北上すると両側に国立公園の丘や山が迫る。その広大さに思わず、アヴィモア(Aviemore)の小さなパーキングエリアに車を停め、撮影タイム。
 トマティン(Tomatin)の蒸留所が左手に見え、しばらく行くと、古都インヴァネス(Inverness)。左折すればネッシーで有名な「ネス湖」が、右折すればジャコバイトソングに歌われる「カローデンの古戦場」や、「マクベス」の舞台「コーダー城」が近い。この辺りまで来ると、人々の話す言葉から訛りが消える。もともとゲール語を用いていた彼らは、英語を学校などで学んだので訛りがないのだと、インヴァネス近隣の村に住む年老いたハープ製作者が教えてくれた。
 A9を直進しビューリー湾(Beauly Firth)とモレイ湾(Moray Firth)の間の絶景な橋を渡ったらランドアバウト(円形交差点)でA835に入る。湖が点在した後、広大なダムが右手に広がる。湖面の向こうに雪を残した山々を望む。その後、道標すらない寂しい道を進むと、針葉樹林の間から劇的にブルーム湖(Loch Broom)が広がり、白い石造りの家の並ぶ港町が現れる。アラプールだ!町の西には、さざ波煌く静かな海が広がる・・・などという情報を、当時、私は一切持ち合わせていなかった。
 私に与えられたのは「ROAD ATLAS GREAT BRITAIN」と表紙に書かれた英国の地図。夫がピンクのマーカーで記したコースを、助手席の私は必死に追った。激しい横ぶれ運転に緊張を強いられつつ、寄り道もせずひたすら北上。ハンドルさばきに精一杯の夫に、標識を読む余裕はない。
「ここどこ? 次はなんて街?」
距離感を持ち合わせない彼は、標識を見つけるたびに問う。私は地図が読め、方向感覚にも優れ、おまけに、視力2.0。しかしながら瞬時に地名が読めなかった。
「ぴ、ぴ、T・L・O・・C・・読めない」
と、私。見えても音読できなきゃ役立たず。イラつく夫。
 大体、スコットランドの地名はおかしなスペルが多い。日本の航空会社のスタッフでさえEdinburghを「エディンバーグ」と読むと夫から聞いた。CHを「ッホ」と発音するなどと誰が想像できよう。
 地名に翻弄されながらも、私たちはアラプールに辿りついた。しかし、悩ましい地名は難解な言葉のほんの入り口。それから3日間、私は、発音できない上に意味もわからないスコットランド弁の渦に巻き込まれてゆくのだった。