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連載エッセイ “We shall overcome” (10)

スコットとボーダー    佐藤貴美子 2020-11-23

 ヘリ好きで知られるのはタモリさんだ。噴火による土地の隆起や侵食崖など、土地の高低差が好きだと言う。「周縁部にドラマがある」は我が母校を退任されたT教授の言葉。境界をはさんでの不和や襲撃、時には恋愛など、物語が生まれるのは周縁部だとおっしゃる。講義でこの言葉を聞くたび心のなかで同意したものだ。なぜなら、研究しているウォルター・スコット(Walter Scott, 1771-1832)がまさにヘリ、境界やその一帯の扱いに長けた、現代で言うボーダー地方を愛した作家だからである。
 たとえばスコットの『ウェイバリー』(Waverley, 1814)は、ハイランドに憧れを抱くイングランド人将校のエドワード・ウェイバリーが当地を訪れ、クラン(氏族)長の娘への恋やジャコバイト軍への加担などを経て、自らの過ちに気づく物語である。主人公が旅をして成長する教養小説(Bildungsroman)と言える。『好古家』(The Antiquary, 1816)に登場するラヴェルもイングランドからスコットランドへやってきた青年であるし、『ガイ・マナリング』(GuyMannering, 1815)でもスコットランドを旅していたイングランドの青年ガイ・マナリングが、ある館の赤ん坊の将来を予言するところから物語が始まる。このようにスコットの小説群の特に初期において、イングランドからスコットランドへやってきた青年が主人公やキーパーソンとなる話が多い。
 忘れてならないのが『スコットランド辺境歌謡集』(Minstrelsy of the Scottish Border, 1802-03、以降『ボーダー集』)である。スコットはボーダー地方で名を馳せたクランの子孫である。祖先が英雄として登場するバラッドもあり、国境地帯の吟遊詩人 (Border Minstrel) として悪くない家柄だと自負してもいる*1  世が世ならスコット一門を治めたであろう縁戚のバックルー公爵に、ボーダー地方に伝わるバラッドを残したいのでと、祖先の偉業に触れることの了承を出版前に求めているし、『ボーダー集』の序文に書かれたボーダー地方の歴史は「ジェームズがイングランド王を兼ねることで末端の地は[地理的に]王国の中心になったためここで終わる」と同君連合で終わらせている。このような出版の経緯や出版時に書かれたものを読むと『ボーダー集』は地理的にも時間的にも「ボーダー」に特化したバラッド集として出版されたと言える。
 これは論文ではないので論拠を並べたてることは控えるが、『ボーダー集』を出版年ごとに形容すると、出版の意図に沿って書かれた1802年版、好評だったことに気をよくしてちょっと調子にのってしまった1803年版、見直してほぼ現在の形になった1806年版、となるであろうか。その後1810年、12年、21年と改訂され、死後出版された「大全集」版には2編の論文が加えられた。10年版以降は追加されたバラッドこそ少ないが(計6篇)、手を入れ改訂し続けたことがわかる。調子に乗ってしまった1803年版と、歴史的バラッドとロマンス的バラッド間の大移動があった1806年版については別の機会に詳述したいが、スコットの『ボーダー集』の特徴は何といってもバラッド1篇1篇につけられた解説である。抗争を歌ったバラッドであれば、年代、人物、抗争があった地名や地形にいたるまで詳述している。祖先であるハーデンのウォットなどが登場するバラッドやバックルーの支配地が舞台となると尚更、スコットの筆が走るのである。
 周知のようにスコットは長編詩や小説でも人気を博し著名になった。スコットランド文学界において権威となり中心人物となったスコットだが、1825年にはボーダー地方のアボッツフォード(スコットが地名を改名)に完成させた屋敷に移り住み生涯をそこで暮らした。屋敷周辺には詩人トマスが妖精の女王と出会ったとされる場所やメルローズの戦場などがあり、これらの土地をスコットは金を工面して少しずつ購入し自分の土地にしたと言う。スコットのボーダーバラッドの地への愛着を窺い知ることができよう。
 その後、1826年に負債を抱え1830年には病に倒れと、晩年は幸せだったとは言い難い。彼の最後の小説『危険な城』(Castle Dangerous, 1831)はイングランドの青年(実は変装した女性)が国境を越えてスコットランドへやって来る話である。伴にミンストレルを従えており、ミンストレルがダグラス城へ乗り込んで言い伝えなどを調べて回る。自分でペンを握ることもできず、口述筆記で完成させた作品である。スコットは国境を越えるストーリーで初期の小説群の勢いを借りようとしたのだろうか。あるいはミンストレルの姿に自分自身を投影させたのだろうか。いずれにせよ最後まで、スコットはボーダーバラッドの地に魅了された国境の吟遊詩人だったわけだ。

スメイルホルムから見たエイルドンヒル(筆者撮影)

 今、私のZOOMの待ち受け画面はスメイルホルムから見たエイルドン・ヒルの写真である。昨夏初めて訪れたボーダー地方はひたすらのどかだった(思い描いていた国境地帯はジョン・マーティンの「吟遊詩人」だったのだが)。写真で見ると、アボッツフォードは無機質で寒々しい感じがしたが、実際にはスコットらしい要素がギュっとつまって温かくて居心地が良い場所だった。人柄に触れたようでホッとしたものだ。まだまだ行きたい場所がある。スコットの眠るドライバラ・アビーや、ライジングバラッドに登場するハーミテージ城。エディンバラからカーライルまでバスで南下もしたい。タイムテーブルのバス停にはバラッドで親しんだ地名がずらりと並んでいる。いつ行けるのかまったく先が見えないが、どうかまたボーダーの地を訪れる日が来ますようにと祈る日々である。

*1  1603年の同君連合までイングランドとスコットランドの境は国境であり、バラッドにはクラン同士の抗争やイングランドへの襲撃が多く歌われた。スコットはスコット一門史を書いた歌人の後継者という意味でこのように名乗ったと思われる。