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連載エッセイ “We shall overcome” (11)

田隈プロヴァンス   中島 久代 2020-11-26

 Walter Scottは Minstrelsy of the Scottish Border (1802)の“Introduction”で、ボーダー地方の王位継承、宗教、人々の気質など、彼の地の一大解説を試みており、水の精霊ShellycoatやKelpy、山の精霊Barguestについても「この種の精霊たちは土地に棲みつき、人に取り憑くのではない。その地をどの家系が所有していたかに関わりなく、岩、川、城跡などに棲みついている。固有のクランや名を馳せた家系の守護神であるハイランドの精霊たちとは異なる」と言う。ボーダー地方への愛着に溢れたこの文を初めて読んだ時、私はまだ見ぬ風景を自動的に故郷の風景に翻訳し、スコットの心情に近づこうとした。山も森もビルもない見渡す限りの水田地帯。5月、水の満ちた田に緑色の早苗たちがずらりと居並ぶ。くるぶしほどの深さの泥水の中を小鮒やダボハゼが泳ぎ回る。梅雨最中、大きくなった鮒は水路の網にかかって郷土料理の鮒の昆布巻きに変身する。盛夏、稲の緑を深め株を太くした田の水は、村に天然クーラーの風を送る。10月、稲は殻の中にむっちりと米を蓄え、重みでうなだれる株同士はお互いを支え合い、黄金色に誇らし気な波を打つ。ご近所の大農家の兄妹アキラちゃんチズルちゃんは、学校の帰りに田でランドセルを降ろし、家の刈り入れに加わった。11月の今頃は、整列した稲の刈り株に霜が降り、一個師団ほどものスズメたちが喧しく落穂を拾う。巡って春、群生した蓮花草はもりもりと盛り上がり、遊びの基地になる。基地から探検で目指すのは、整備されていない瓢箪の形の田の奥、クリークの岸につくねんと立つ柳。ぬかるみの中を逞ましく張った根の上でしゃがむと、亀、アメンボ、メダカたちが、小さく生命の歌をうたう。
 自然信仰のようなことではない。田も水も稲も鮒も、家族や村の皆も護ってくれる「神さん」が無数にいて、生命体は生きる場を持ち、護られ、故に繋がっているという捉え方は、事実として継承されたのだと思う。祖母は煤けた素焼きや汚れた石の神さんたちをガラスケース一杯に集め、漏斗造りの天井を這う太い梁の高さに祀り、朝には貝殻のお皿に白ご飯をちょっぴり入れて手を合わせた。ごくたまに神さんのことを聞くと、祖母は実にすらすらと、彼らの名前と役割を語った。「お籠り」というささやかな遠足は、普段のおかずを重箱に詰めて隣村の大きなお堂へ行く。家族連れがそこここに座ってお重を広げている。土地の神さんの祀りだと祖母は言った。スコットの言う‘local spirits’も、生きる場の生命を護り繋ぐ存在なのだろう。精霊の住む地を継承する人の地道な営みまではスコットは記していない。が、私の故郷の風景の中では、田を中腰で這い草を抜く老人たち、農薬を機械散布し「レイホウ」の品質管理を徹底する専業農家、村中の水路にモーターで汲み上げる水を日没前に電源を下ろして回る(場所によっては蛇がでる)水道当番など、人のたくさんの名前もない労働と気遣いは、生命体が護られる風景の一部だった。
福岡市の西の郊外に住み始めたある時、この場所を慈しみたい気持ちに夫婦して取り憑かれ、実際の田隈より広い、生活動線で繋がる地域を「田隈プロヴァンス」とネーミングした。大学時代の友人たちと続けていた読書会で読んだ『南仏プロヴァンスの12カ月』(1989年:池央耿訳、河出文庫、1996年)に触発されたのだ。著者Peter Mayleがプロヴァンスの美しさ豊かさに惚れ込んで移住し紡がれたエッセイは、土地への祝福、人への敬意、生きていることの充足感に満ちていた。忘れていた大事なものが突然キッチンの流しの下から見つかった気がした。忙しさにかまけ、それぞれ車で自宅と勤務先を往復し、住んでいる田隈の意味は要らなかった。土地の歴史も人も自然も何も知らない、ただの現住所。『南仏プロヴァンス』に出会い、この地の地霊に申し訳ない気持ちが蘇った。
 友人デイヴのご両親が来られ「田隈プロヴァンス」構想にはずみがついた。マーガレットは日本初体験、ピーターは東京・京都は経験済み、太宰府か阿蘇にお連れするかと考えた。古い友人ジェフとベヴ夫妻が阿蘇を故郷スコットランドのようだと言ったからだ。しかし、せっかく日本は福岡の遥か西まで来られるのだ、この場所こそを見ていただくべきだろう。古墳・遺跡という看板がやたらとあることは気づいていたので古墳群の探索から開始した。家から車でたった10分、圃場整備中に発掘され埋め戻されて、当時はただの空き地だった吉武遺跡は、卑弥呼の里「吉野ヶ里」に匹敵する弥生時代の国だった可能性が看板に書かれていた。さらに山手へ5分行けば、里山の入口の「金武遺跡」看板の奥に、小さな墳墓が暴かれてぽっかり口を開けていた。ライターの火をかざして3畳ほどの空っぽの岩室に入ると、炎は揺れて、この地の霊がにわか探検家を歓迎してくれた。
その頃いたラブラドールのノーリードの散歩場所を発見して「田隈プロヴァンス」はますます魅力的になった。吉武遺跡から車で10分、飯盛山麓に広がる市営霊園の隣、野球グラウンド、溜池、遊歩道を備えた野趣に富んだ公園は、朝に夕に大型犬を連れた犬仲間が集まっていた。ラブラドール、ゴールデンレトリバー、ハスキー、ミックス犬たちはグランドから遊歩道へと自由の限り暴れ回り、水路を流れる山水で腹を冷やした。ここでも人が風景の継承にそっと手を貸していた。柴犬ホシのおじさんはいつもシャベルやはさみを手にしている。水路の奥に分け入って、山水がせき止められないように砂を掻き出し、歩きやすいように遊歩道の左右に伸びたアオモジの枝をぱちんぱちん切りながら歩く。蛍の餌のカワニナを撒く人もいて、知られざる蛍の名所は維持されていた。

 福岡シティガイドYOKANAVI より

 ラブラドールがトイプードルに代替わりした頃、ただの空き地の吉武遺跡は一面の草地の一角に甕棺のレプリカを展示した「やよいの風公園」に整備された。コロナ禍で在宅勤務が増えた頃、平日の夕方に散歩に行けば、公園では人と犬と鳥と草がそれぞれの守護霊たちと大合唱していた。頭上には群青色の絵具を水に溶いた色の、日没間近の空がある。飯盛山の山の端には、紺色の帯と落日の朱色の帯が二重に巻かれている。揚げ雲雀がピーと鋭く鳴きながら、高く高く、群青色の中へ溶ける。雲雀が見える見えないとたわい無い雑談をする人たちと瞳をキラキラさせた犬たちの影は、茂るシロツメクサの上を長く長く伸びる。コウモリたちが人には聞き取れない高音で呼び交わす。守護霊に護られた生命体の繋がりが見える。すべての授業を、情報の教員以外使ったことのない学習支援システムで遠隔で行うことになり、スキルの習得、非常勤の先生方への対応、スキルが追いつかない年配同僚たちへのサポート、山と飛び交う学生とのメールで、小さな職場全体が疲労困憊に呻いていた頃、やよいの風公園の精霊と生命は、明日のたった一日に立ち向かう平常心を与えてくれた。コロナという見えないものに怯やかされてはいても、見えない精霊たちがこの地と生命を護ってくれる。この地の継承に差し出す手が私にもありはしないか。もしかしたら、スコットのバラッド改作は彼の地の継承のため自ずと差し出した手ではなかったか。

“We Shall Overcome”の題材を考え考え歩いていた10月31日万聖節の前夜は、予報どおりの名月だった。直前に小雨も降ったので人っ子一人いない闇の中、私と犬だけで浴するにはもったいないほどの光が降っている。思いついてスマホでSteeleye Spanの“Tam Lin”を大きく鳴らしてみた。マディ・プライアがうたう“Oh, in Carterhaugh, in Carterhauch”のリフレインが田隈プロヴァンスに流れ、妖精の一団がやよいの風公園を馬で駆けた。