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連載エッセイ “We shall overcome” (22)
現代科学と古都の祈り 木村多美子 2021-05-22
奈良に越してきて7年になります。聖徳太子が日本に仏教を取り入れたころから奈良時代までの初期の寺は、唐で成立し発展した学問所のようなもので、奈良には南都六宗と呼ばれる6つの宗派があります。こうした寺では、葬式を執り行わないのが特徴です。
新型コロナウイルスが国内に入ってきたころ、これらの古い寺々では、疫病退散の祈祷が行われているというニュースが流れてきました。東大寺では2020年4月から、同じく鎮護国家の社である春日大社でも2020年1月から、新型コロナウイルスの早期収束を願って、毎日、祈りがささげられているそうです。
国の大きな災難を祈りの力で取り除くことを、今も自らの存在理由としているかのようなこうした寺社の鎮護国家的なふるまいは、自然で伝統的なもので、ウイルスに対して祈りは効果的でないという、現代の科学に対して何の説明も必要ないということに驚きました。
疫病に対してなすすべがなかった時代とは異なり、現代では感染予防の知識もあり、効果の高いワクチンもあります。こうした科学によって、ウイルスに早く打ち克つことができるはずですが、実際には、人や社会は複雑で、そう合理的にはいかないものですね。
この歴史的な大きなうねりの中で、自分ではどうしようもないことも多くあります。私も気が付けば、今回の災いが家族に降りかかることなくやりすごせるように、社会に早く平穏が訪れるように、近くの古寺を訪れるたびに、昔の人と同じように手を合わせて祈っているのでした。
さて、どのような困難も自分だけが初めて経験することではなく、先人が乗り越えてきたことである、とローマの哲学者、アウレリウスも言っているように、私も、昔の人がどのようにパンデミックの中を生きてきたのか知りたいと思い、この2年間、疫病について関連する本などを紐解いていました。その中で映画をひとつ紹介したいと思います。
1957年製作のスウェーデンの名画、『第7の封印』は、ペストに見舞われた中世の人々を物語色強く描いた作品です。死神や魔女狩り、死の舞踏など抽象化されたキーワードを、それぞれ、病原菌やウイルス、元凶へのうっぷん晴らし (欧米でのアジア人ヘイト)、クラスターなど、現在の事象に置き換えながら観るととてもリアルです。今も昔も、自然の災いの前には人間は無力な存在であるけれども、希望もまたある、ということを教えてくれます。
動画:https://www.nicovideo.jp/watch/sm23153039