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連載エッセイ “We shall overcome” (28)

爺さんになってもフォーク少年    須永 徹   2021-08-28

 最近、訳あって1960年代初頭のアメリカや日本のモダンフォークについて再学習することとなった。

 日本でのモダンフォーク元年は、1964年に原宿フーテナニーで大学生たちによるフォーク・コンサートが始まりとされていますが、この頃はまだ高校生になりたての私は、友人の帰省した大学生の兄貴から「東京ではフォークが流行ってるんだよ」という話を聞いてもまだ何のことやらで、むしろVANのアイビー・ファッションの方に関心が高く、聴いている音楽はビートルズや映画音楽のようなものでした。
 世の中がエレキ・ブームになっても、歌が聞こえてこないインストの音楽では腰が動くこともなく、やがてラジオで耳にしていたキングストン・トリオやブラザース・フォー、ピ-ター・ポール&マリーなどに興味が移り、やっと買ってもらったクラシック・ギターでPP&Mのコピーなんぞをやりだして、ファッションとともにフォーク・ミュージックへ少しずつ染まって行ったのでした。
 しかしカッコ良さで入った初心者ですから、その歌の背景までを理解していたわけではなく、ブームの下火化や新しいロック・ミュージック、日本語のフォーク(URCやベルウッドなどのレーベル)の台頭に耳を奪われて行きました。
 そんな頃、毎日のように通っていたレコード屋さんでフェアポート・コンベンションという英国のフォークロック・バンドを見つけ何気なく試聴して一発で虜になります。そしてその周辺としてスティールアイ・スパンやペンタングル、インクレディブル・ストリング・バンドなどへと広がり、都内に出た時はTOPICレーベルのレコードを買い始め、英国のみならずアイリッシュ系にまで興味は広がり、合わせてチャイルド・バラッドやアイルランドの妖精譚に関する本なども読んだものでした。
 そしてこの頃(1973~1974)、それまでアコースティックなフォークグループで活動していた友人たちと、フェアポート・コンベンションのコピー・バンドを結成し、マティ・グローブスやモリス・オンからの数曲、クレイジーマン・マイケルにヒントを得たオリジナルなどを演奏したのでしたが、今思うと、おそらくあの頃にフェアポートのコピー・バンドは国内にはなかったのではないでしょうか。技術的には、なんとも稚拙ではありましたが、勢いだけはあったかなと。(笑)
 さすがに解散後は、仕事や家庭などに忙殺される日々となり、自らギターを持って活動することはなくなりましたが、新しく出たフォーク系のレコードやCDは買って聴いていました。

 晴れてリタイアしてから、久しぶりにギターの錆びついた弦を張り替えて弾いてみると、ついつい出て来るのは指に馴染んでいたあの頃の音楽です。それからポロポロと、下手ながらもオープンマイクなどで歌う機会を頂き、そのうち昔の仲間とも再開して、なんとなくバンドらしい風体になり、オリジナルやアイリッシュの曲に勝手な詞をつけて楽しむということになり、週に一度の練習が待ち遠しいのであります。
 さて、こうして活動再開するうちに歌の背景などをあらためて知ることにつながり、1960年代初期のアメリカにおけるモダン・フォークとの関連や影響、英国でのトラディショナルの再評価への流れなど、まだまだ知らないことや新しい気づきまでさせてもらうことになりました。
 いい加減、爺いになってもギターを持って仲間と一緒に演奏すると、あの頃に戻れてしまう不思議を味わえるとは思いもよりませんでした。

 冒頭のモダン・フォークの件ですが、たまたま月1位で訪れているレコード屋さんが出しているCDのシリーズの一つにモダン・フォークのコンピレーションを出すことになり、9月末に第1弾として出すアルバムの選曲を依頼されてしまい改めて再学習し始めたという次第です(因みに、第2弾がグリニッジ・ビレッジ周辺で活動していたフォーク・ミュージシャンのコンピ、第3弾がブリティッシュ・フォークのコンピを予定しているそうです)。

(下の映像は、2021/08/21 に配信された”honky brothers の生配信ライブ フォークナイトseason3の12.5″から、主催者のコメントにある出演者名「御祭党Ⅱ」が筆者のバンドで、横の時間(2:20:30)をタッチすると出演箇所に飛ぶ。1曲目に”Fair and Tender Ladies”、5曲目に”初恋(Sally Garden)”。)

https://www.youtube.com/watch?v=E_uWUb5y6kU