information情報広場

Elizabeth Bowenの”The Demon Lover”  高本孝子_ (2009/4)

 Elizabeth Bowen(1899-1973)の短編小説に”The Demon Lover”(1945)というタイトルの作品がある。舞台は第2次世界大戦下のロンドン。疎開先から物を取りに久しぶりに我が家に戻ったDrover夫 人は、テーブルの上に1通の手紙が置いてあることに気づく。25年前の約束通り、迎えにくる、とあった。実はドローヴァー夫人には、今の夫と知り合う以 前、結婚を約束した恋人がいたのだった。彼は出征したまま行方知れずとなり、そのまま月日が過ぎてオールドミスになるすんでのところでドローヴァー氏に求 婚されたのである。手紙を見て恐怖に駆られた彼女は、急いで家を飛び出す。折も良くタクシーが近づいてきた。乗り込んだ彼女は運転手と顔を合わせ、金切り 声をあげる。悲鳴をあげ続ける夫人を乗せたまま、タクシーは無人の街路を疾走し、暗闇の彼方へと消える・・・
 この小説は 単なるホラーストーリーとしても読めるし、また、従来指摘されてきたように、ドローヴァー夫人が無意識の領域に押し込めていた性に対する恐怖と欲望とが描かれている小説としても読むことができる。その根拠を具体的に挙げるとすると、次の5点が考えられよう。(1)ドローヴァー夫人が妻として母として性的欲望を抑圧した形で家庭生活を送ってきたことが随所に暗示されていること、(2) 疎開先からわざわざ何を取りに来たのかが明示されていないこと、(3) 地下室から風が吹き上がって来たという描写により、風を夫人の無意識の領域からのメッセージを表すメタファーとして用いていると思われること、(4) 手紙の送り主のイニシャルがKで、ドローヴァー夫人のファーストネーム(Kathleen)のイニシャルと同じであること、(5) 最後の悲鳴をあげる場面で敢え て”freely”という、解放感を暗示する言葉が用いられていること。
 この小説を読む者は、もしタイトルが”The Demon Lover”でなかったならば、元の恋人が迎えに来たことに対し、戸惑いはするだろうが、怖がることはないだろうに、なぜドローヴァー夫人は恐怖のあまり家から逃げ出そうとしたのだろう、と思うだろう。だがご存知の通り、この”The Demon Lover”は代表的な伝承バラッドのタイトルでもあるのだ。こちらのあらすじは、行方知れずとなった恋人を待たずに別の男と結婚した女が、帰ってきた恋 人と駆け落ちをするものの、実はその恋人が悪魔だったのであり、彼女を地獄に連れて行く、というものである。
 つまりボウ エンは、このバラッドを下敷きにすることで、迎えに来た昔の恋人の正体を悪魔に重ね合わせ、彼女を破滅に導く案内人のイメージを読者の心に前もって植えつけるのだ。そのねらいは、人間の心の無意識の領域に潜むものは、得体の知れない、時には身を滅ぼすことになるほどの恐ろしい、理性を超えた力を持つものであることを示すことだったのではないかと考えられる。また、昔から民間に伝わって来たバラッドにこの物語を重ね合わせることにより、時代や場所は変わっても人間の心のあり方は不変なのだということを示唆しようとしたのかもしれない。
 いずれにせよ、ボウエンはこのような間テキスト性の技法により、数ページ足らずの短編に深みと広がりを与えたと言える。
 ちなみに、 筆者は北九州市立大学のイギリス文学概論の授業でこの短編を取り上げたが、その際、岩波文庫の『20世紀イギリス短篇選(上)』(小野寺健編訳)を用い、 また、インターネットのYou Tubeよりボブ・ディランのHouse Carpenter (The Demon Loverの別バージョン)の演奏を聴かせた。そして、この短編を足がかりとして、あと2、3代表的なバラッドを紹介した。学生の反応もわりと良かったし、何より教える側の自分が楽しめた授業であった。ボブ・ディランのギター演奏と歌はとてもインパクトがあり、いまだに耳にこびりついているほどだ。