information情報広場

12月には・・・  宮原牧子_ (2012/2)

 忠臣蔵の世界とバラッドの世界は似ている。

十二月の寒い季節
雪の舞い散る道すがら
四十と七人の浪士たちは
心浮き立たせておりました

こんなバラッド、いかにもありそうだ。

 12月にクリスマスイブまでの日々を指折り数えるなど言語道断。日本人なら忠臣蔵。新暦旧暦の話はさて置いて、12月14日には毎年一人映画観賞会をする。これまで一番多く繰り返して観てきたのは、1959年に大スターたちが勢揃いした東映映画『忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻』。大石内蔵助には「山の御大」片岡千恵蔵、脇坂淡路守には「町の御大」市川歌右衛門、岡野金右衛門には紅顔の大川橋蔵、堀部安兵衛には武骨な感じがぴったりな大友柳太朗、岡島八 十右衛門には美しすぎる東千代之介、浅野内匠頭には本当にあほっぽい(演技の)中村錦之助、徳川綱吉にはこれまたあほっぽい(演技の)里見浩太郎、大石主税には有無を言わせぬ美少年北大路欣也、吉田忠左衛門には大御所大河内傳次郎、その他にも、吉良上野介に進藤英太郎、赤埴源蔵に徳大寺伸、不破数右衛門に 山形勲、多門伝八郎に小沢栄太郎、千坂兵部に山村聡、そば屋の大将に堺駿二、上杉綱吉に中村喜津雄・・・。何と豪華な・・・。GHQの規制がなくなり、堰を切ったかのように松竹、大映、東映、東宝が毎年代わる代わる忠臣蔵映画を製作していた時代である。東映では、市川歌右衛門や大河内傳次郎や進藤英太郎や中村(萬屋)錦之助もまた大石内蔵助を演じている。阿吽の呼吸とでも言うべきか、役者たちの立ち居振る舞いのひとつひとつが忠臣蔵の「空気」を纏ってい る。「あたたたたたたたあたたたた・・・。」片岡千恵蔵、何を言っているのか解らない。録音技術の問題か?はたまた滑舌の問題か?不思議なことに、セリフ が何も聞き取れなくても泣けて泣けて仕方ない。セリフが聞こえないことなど小さな問題。感動の理由は、演じる役者たちが纏った空気に拠るところが大きいのだろう。そして観る側もまた勝手知ったる忠臣蔵。何を言っているかは察しがつく。『ロミオとジュリエット』の観客がちょっとやそっとセリフを聴き逃したとしても、誰も主役の二人が親たちを殺す相談をしているなどとは思いもしない。
 平成に入ってからいくつかの忠臣蔵映画・ドラマが制作されたが、そのセリフはとにかくくどい。「大高源吾(←フルネーム)、そなた俳諧の(←わざわ ざ)宝井其角先生の下に弟子入りしておるのだったな(←何を今さら)」・・・。大高源吾と宝井其角と言えば「年の瀬や水の流れと人の世は 明日待たるるその宝船」で有名なエピソードがある。其角は上野介お気に入りの歌人であった。吉良邸に出入りが許されていた其角に、大高が弟子となって近づいた。「年の瀬 や・・・」は二人が謡ったとされる有名な歌であるが、その上の句と下の句をどちらが詠んだのかについては映画やドラマによって異なっている。討ち入りの前日、両国橋の上で其角が「年の瀬や水の流れと人の世は」と詠んだのに返して、大高が翌日の決行を仄めかして下の句を「明日待たるるその宝船」と詠んだという演出が主流ではあるが、中には反対に大高の真意を見抜いていた其角が、大高の詠んだ上の句に返して、上野介の在宅を仄めかすために下の句を詠んだという演出もある。重要なのは上の句下の句を誰が詠んだのかではなく、歌に込められた浪士とそれを見守る人の心意気なのである。演出如何に拘わらず、仇討に命を賭した武士道の世界に雅な彩りが添えられる名場面である。忠臣蔵は歴史的事実を基にしながらも事実でない。この土台のあやふやさは、当然話のバリエーショ ンを増やす。忠臣蔵というドラマの懐の深さを感じずにはいられない。だのに・・・それを「大高源吾、そなた・・・」などと説明くさいセリフで紹介するなん て・・・だあああああ~。
 勿論、くどくど説明せずに映画やドラマが成り立つのは、作る側と観る側の共通の認識があったればこそ。伝承バラッドの世界も然り。突然話が始まることも、場面が唐突に変わることも、可能であるのはバラッドをうたう人々が共通の土台を持っていればこそ。ひとつのストーリーが様々なバリエーションを生むのは、共有できる感情があったればこそ。ロビン・フッド・バラッドをうたう人々には解っている。ロビン・フッドならばここでこう言うはず、タック和尚ならばここでこう出るはず、リトル・ジョンならばここでこう切り返すはず、と。お馴染みのキャラクターたちが縦横無尽に動き回る。なんとも愉快で、なんとも爽快である。以前、山田風太郎の忍法帳の面白さについて批評家の誰かが、風太郎の忍法帳が面白いのは、誰もが知っている歴史上実在の人物が自由に活躍するからだ、というようなことを書いていた。言葉に頼らぬ共有の世界観、共通の認識といったものの上に成り立つ物語に出会う時、人は安心してその世界に浸ること ができるのだ。
 最近忠臣蔵映画・ドラマがめっきり少なくなってきたな・・・と思っていたら、昨年12月には、ユニバーサル・ピクチャーズが『Ronin 47』という映画をキアヌ・リーブス主演で製作するという発表があった。どうやら脚本家クリス・モーガンは、「『ロード・オブ・ザ・リング』のようなファ ンタジー性と『グラディエーター』並みのバトルシーンを併せ持った映画を目指して」いるらしい。嗚呼、何がなんだか・・・。さらに今年11月には、池宮彰 一郎原作の『最後の忠臣蔵』を役所広司主演で、ワーナー・ブラザーズが映画化すると発表があった。嗚呼、もう何がなんだか・・・。そういえば、随分前にド イツ版忠臣蔵映画を観て絶句したことがある。日本で久しく撮られることのなかった忠臣蔵がハリウッドの興味をひいている事実を歓迎すべきことなのかもしれ ない。しかし、それが忠臣蔵の勝手知ったる日本人の観賞に耐えられるかどうか、それが問題だ。