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フランシス・キングと私 桝井幹生_(2012/7?)

 このたび『フランシス・キング短編傑作集』をお届けするにあたり、一言、「あにおとうと」を分担した桝井とフランシス・キングとのかかわりを説明させていただく。日本では一部の愛読者以外あまり知られていない作家のためでもある。  
 キングは、1923(大正12、亥年)年、両親が滞在中のスイスのホテルで生まれた。父親は当時英国植民地印度の警察官僚であった。キプリングと同様、幼いころ両親と離れ、単身英国で教育を受けた。シュリューズベリ校からオクスフォード大学ベリオール・コレッジに進み、大学では、最初は古典を専攻したが、良心的兵役拒否者として大戦時を経て復学してからは、英文学専攻に転向した。英国文化振興会(ブリティッシュ・カウンシル)に入り、イタリア、ギリシャ、フィンランドの職員をへて、1959(昭和34)年京都の同会支部長として来日した。当時36歳であった。私とは約一回り年上で、年の離れた兄と言うよりは、若い父親のような威厳があったように思う。私が彼と京都でつきあったのは、昭和35年から37年までの短い期間だけだが、その後、彼が2011(平成23)年7月3日に死ぬまで文通なり、会うなりで付き合いがあった。ブライトン時代に一回、ケンジントン時代には二回英国で会っている。また日本フランシス・キング協会設立以来何かとかかわりを持ってきた。  
 京都時代のキングが指導するキングス・コレッジで英語を教えてもらったころが一番懐かしい思い出である。おかげでブリティッシュ・カウンシルの奨学金で留学させてもらった。恥ずかしながら彼の膨大な文学作品のごく一部しか読んでいないので、あまり彼の文学を語る資格はない。このたびの『傑作集』では、京都時代が舞台となっている「あにおとうと」を選んだ。これぐらいしか選べなかったというのが正直なところである。先ほどわざわざ亥年生まれと書いたが、亥年と私の戌年とは性が合わない。イラチの怒りできかん気の坊っちゃんみたいなところがあった。しかし、表面はじっとこらえ、イギリス紳士たるところを堅持した感がある。「己を苛む義務感と責任感」からであろうか、とにかく来るものは拒まずで、とても親切だった。  
 本書の帯の言葉、「人間性を、イギリス人独特のユーモアと辛らつさ、透徹した目で描く」は言い得て妙である。主人公ティムは、キング自身と思われるが、自分のことでも呵責なき鋭いメスをふるって解剖しているのだ。   一旦こうと決めた生活習慣は決して変更しない。例えばティムは食前のブドウ酒は一杯と決めているという箇所(113)を読むと、いつか家内ともどもワイト島に案内してもらったときもそうで、私は名物のワイト産・白(ワイト)ブドウ酒をもう2~3杯飲みたかったのに、勧めてもらえずにがっかりしたことを思い出して面白かった。多くの日本からの友人が来て会いたいというのに、週末はいつも家族たちと過ごすことになっているから避けてくれと、臨機応変の四文字熟語は彼の字引にないのを痛感した。いつかロンドンのホテルから、やっと彼に連絡がついた時、いきなり電話口で、「どうしていたのだ!3回もかけたんだぞ!」と何度も繰り返して怒鳴る癇癪持ちである。
 北白川の借家ではよくオープン・ハウスとか言って学生たちを招いたものである。会話をリードするうまさは、さながらジョンソン博士であった。クリスマス・パーティーなどでは、悪ふざけというか、いささかエッチなゲームをやったりした。日本人ばかりではない、ふと会ったアメリカ人でも気軽に招待したそうだ。神戸外国語大学名誉教授のハワード・ウィルソンさんも(今年、平成25年5月亡くなった)そうした一人で、彼は当時高級品だったジョニー・ウォーカーの黒ラベルを手土産に出かけたそうで、そのあといろいろアルバイト探しでキングの世話になったことが、彼の半自伝的小説『現ナマを掴んで逃げろ』(Take the Cash and Run<ルバイヤートから>。2005 Trafford)に詳しい。
 京都時代のキングを知る人は他にも沢山いると思う。佛教大学の故島田美穂先生も、同志社女子大学の小田幸信先生もそうだ。落田亨氏、小野(石橋)昌子さんも同じ職場の中学校から早退の許可を得て、週2回の英語クラスに通った懐かしい仲間だ。  
 あの戦車のような黒いキャデラックは私も乗せてもらったことがある。四日市から京都までの長距離をである。桑名の酷い田舎道を走ったとき怒られた。「こんなことなら車で来なけりゃよかった。これは英国に帰る時売らなきゃならない。ネジがゆるんだら売り物にならないじゃないか!」と。噂によるとあの黒いキャデラックは、琵琶湖のどこかで水葬にしたらしい。まさか?  
 とにかく辛口文学で俗受けを狙ったものでなく、また人種偏見、女性蔑視のような発言が見られ、不快に思われる向きもいるのではないかと危惧する。しかしここには確かにキング的なものが溢れていると信じる。「ミモザの香り」はホラー小説で、これだけ、怪談を集めた選集に選ばれたこともある。ラフカディオ・ハーンにも関心があり、ペンギン文庫から選集も出ている。いろいろ実験的なことを試みた好奇心旺盛な文人だった。ご冥福を祈りたい。