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「英国バラッド詩アーカイブ」 中島久代_ (2013/3)

「英国バラッド詩アーカイブ」
http://literaryballadarchive.com

 2006年2月、私はGeorge IV BridgeにあるNational Library of Scotlandのリーディングルームで、見つかったバラッド詩に嬉々として付箋紙を貼っていた。今回のEdinburgh滞在は2週間、実質10日程しかない。PC用電源タップを挟んだ向かい側の男性の視線を感じてはいたが、その意味を考える余裕はなかった。中二階でコーヒーとチョコバーで休憩して戻ると、飛んで来た男性司書に私はこっぴどく叱られた。「あなたは利用ルールを読んだのか。本館所蔵の書籍に、破る、書き込む、付箋紙を貼る、などの損傷行為は一切許されない。」利用ルールは自明のことと読んでいなかったし、付箋が損傷行為になるとは思いもしなかった。迂闊だった。書籍の無神経な扱いを私は深く深く反省した。
 その時私は、バラッド研究会で構築するバラッド詩のデータベース「英国バラッド詩アーカイブ」(“The British Literary Ballads Archive”)の作品蒐集の詰めをしていた。バラッド研究会は、伝承バラッドとバラッド詩を研究する仲間が集って2000年に結成され、愛称はSBS、‘Slow but Steady’をモットーとした。SBSの目的のひとつはバラッド詩全集の刊行だった。バラッド詩研究を困難にしている一因は作品入手の困難さにある。伝承バラッドにはF. J. Child編纂のThe English and Scottish Popular Ballads (1882-98)というキャノンがあるが、バラッド詩のキャノンはなかった。バラッド詩研究の先駆者G. Malcolm LawsとA. B. Friedmanは幾多のバラッド詩に言及しているが、肝心の作品そのものが日本国内では簡単には読めなかった。バラッド詩のアンソロジーにしても、G. B. Smith編、Illustrated British Ballads, Old and New (1881)収録の117編とA. H. Ehrenpreis編、The Literary Ballad (1966)収録の41編が存在するのみであった。他方SBSには、LawsとFriedmanの言及作品に、リーダーを中心として、メンバーがそれぞれの研究の過程で知り得た作品群を加えた、約800編のバラッド詩のリストがすでに作られていた。
 バラッド詩全集の編纂作業は、作品蒐集と、統一書式による原稿作成の2つの作業があった。メンバーは各自毎月2つの作品をオリジナルテキストから統一書式原稿に作成して全員に事前に送り、全員が全員分のオリジナルと原稿の両方に目を通して月1回検討のために集合する。作成原稿の誤字誤植のチェックに加えて、オリジナルテキスト自体に不合理な箇所がないかを、ストーリー展開も考慮して慎重にチェックする。疑問が出れば、他の版を参照し、ディスカッションを経て、作成原稿では句読点まで納得される形とした。
 地味な作業だが、収穫は望外だった。ざっとにせよ、約800編を実際に読んだ経験は大きかった。Laws、Friedman、Yamanakaが指摘する18世紀以降のバラッド詩の傾向が納得され、同時に、バラッド詩に関する気付きがメンバーで共有された。19世紀の作品数はイングランド、スコットランド、アイルランドのどの国でも圧倒的に他の世紀を凌いでいる。センチメンタルなもの、自国の歴史や政治ネタのもの、ゴシック、抱腹絶倒のパロディも実に豊かに揃っている。皆で笑い転げたひとつにWilliam Maginn (1793-1842)の“The Rime of the Auncient Waggonere”がある。マージンに加えられたストーリーの要約まで周到に模倣され、Coleridgeを完璧に笑いのめしている。Lawsが「19世紀には人々は伝承バラッドをまだ知っており、バラッド詩の模倣を楽しむことができた」と述べたくだりが実感された。
 コンピューター検索が一般化する直前の時代の作品蒐集は、古書を漁り、web-cat検索で相互貸借した他、人海戦術に多くを負った。リーダーが1980年にエディンバラ大学スコットランド研究所を中心に蒐集した作品を土台に、メンバーが英国へ行く度に作品を探した。私が2002年に、2003年メンバーのひとりがダブリン大学トリニティカレッジ留学時に、2005年他のひとりがグラスゴー大学留学時に、本業の合間に蒐集するSBSリストを持参した。友人知人にも調査を依頼した。2006年は残り約40編の虱潰しの調査だった。
 1,000ページを超える全集刊行の見当もつかないまま、2000年当初は書籍での刊行を想定していたが、10年の間にはネット万能時代となった。書籍からネット上のデータベースに変更し、ベンチャービジネスや通信関連企業の門をたたき、軍資金を探して、最終的には最高のテクニカルアドヴァイザーに巡り合えた。試行段階を経て現URLの構築開始は2008年、2010年には一応の完成を見た。このわずか3年の間にもオープンソースCMS(コンテンツ管理システム)は飛躍的に進化し、メンバーによる高度な編集が自由自在となった。
 多くの人々と組織の協力と理解によって作品データが一応の完成を見た現在、若手メンバーの発案によって、作品の日本語訳に‘Very Slow but Steady’(VSBS)に取り組んでいる。
 [日本カレドニア学会News Letter No. 46より転載]