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“The Three Ravens” と “La Belle Dame sans Merci”-2

―鳥をめぐるバラッドの世界―(その2)   鎌田明子_(2011/10)

 Maureen N. McLaneはBalladeering, Minstrelsy, and the Making of British Romantic Poetry で伝承バラッドの ‘The Three Ravens’の系譜を示し、キーツの ‘La Belle Dame sans Merci’をこの系譜に加えている。マックレーンの考えに沿って「つれなき美女」を「三羽のカラス」の系譜に加えるに際してここではパロディについて考察してみたい。
 ‘The Three Ravens’には異版の ‘The Twa Corbies’が存在する。マザーウェルはこの「二羽のカラス」のほうを「三羽のカラス」の元歌としており、チャイルドは「二羽のカラス」を「三羽のカラス」のパロディと位置付けている。ここではチャイルドにならって「二羽のカラス」を「三羽のカラス」のパロディと考えてみたい。
 「三羽のカラス」で描かれるのは「変わらぬ忠誠心」である。騎士が死んでしまっても、彼の猟犬と鷹は主人のなきがらを守り、恋人は鹿に姿を変えて騎士の元にやってくる。一方「二羽のカラス」では「心変わり」が描かれる。騎士の猟犬と鷹はえさを探しにかつての主人のもとを去り、かつての恋人も新たな恋人をみつける。「二羽のカラス」が「三羽のカラス」のパロディとなりうるのは、聴衆の中に「三羽のカラス」で描かれるような変わらぬ忠誠心に憧れる一方で、実際には人の心は容易に変化してしまうものだという現実認識があるためであろう。「二羽のカラス」を聞く聴衆は、人間の移ろいやすさから目を背け、ゆるぎない忠誠心に憧れる自らの姿に気づかされてふと笑いを漏らすのではないだろうか。
 キーツが「つれなき美女」の閉じられた円環の中で描いているのは、変化することのない世界をさまよう「死なない騎士」である。「三羽のカラス」と「二羽のカラス」の背後に民衆の不変の忠誠心に対する願望と、人の心の移ろいやすさに対する現実認識があるならば、キーツの描く「死なない騎士」はその現実の中で願望を実現させる理想とも言えるだろう。なぜならば、騎士が死ぬことがなく、変化することがないならば、彼を取り巻くものの忠誠心もまた変わることがなく、永遠に続くことが期待できるからだ。
 ところがキーツの「死なない騎士」は生きるとも死ぬともつかない状況で、あの世ともこの世とも妖精の世界ともいえない場所をさまよっている。変化しない騎士はかえって不安定で、孤独感と寂寥感が強調されている。伝承バラッドの聴衆の理想の騎士は、キーツの描く騎士の姿とはかけ離れたものだろう。「つれなき美女」を「三羽のカラス」のパロディと考える時、キーツがパロディ化しているのは作品の表に表れている事柄ではなく、「三羽のカラス」と「二羽のカラス」の背後に存在する変化への恐怖ではないか。
 さらにキーツの「つれなき美女」にもパロディとも考えられる詩が存在する。Edwin Muirは “The Enchanted Knight”(1937)と題する作品の中で、時が止まったように倒れる騎士の姿を描いている。騎士を取り巻く風景は、騎士にはお構いなく時間とともに変化し、鋤を操る農夫が騎士の周りを耕している。キーツの作品中で肉体から乖離しひたすら思い出の中で遊んでいた騎士の精神は、再び己の肉体を認識する。しかし時が止まっていたのは騎士の精神世界だけのことで、肉体の方は時の経過によって冷たくこわばり、着ていた鎧も錆びて、騎士は起き上がることもできない。ミュアの騎士は、キーツの「死なない騎士」から「死にそうな騎士」に変化し、再び流れ出した時間の重さの元にただただ倒れ付す無力な姿をさらしている。ここでミュアがパロディ化しているのはキーツの作品に描かれる騎士の姿だけではない。キーツの作品の持つ時間の進まない円環構造や、内へ内へと向かうキーツの精神世界そのものをパロディ化している。
 “The Three Ravens”, “Twa Corbies”, “La Belle Dame sans Merci”, “The Enchanted Knight”を「鳥」を軸とした一連のパロディの流れとして捕らえるとどの様なことがいえるだろうか。ある作品をパロディ化するという行為は作品そのものだけではなくその背後にある聴衆の心理や願望、作者の世界観を読み解いてその裏をかいてみせることである。「三羽のカラス」の「二羽のカラス」におけるパロディは不変の忠誠心に対する聴衆の願望の裏をかいた世界を演出している。さらにキーツは、この二つの伝承バラッドの背後にある民衆の変化への恐れを敏感に察知してこの恐れに対するある種の理想ともいえる「死なない騎士」を描く。結果として生まれたのは現実に逆らって変化しないことによって生み出される不安感という皮肉である。さらにミュアは伝承バラッドからキーツへの変化やキーツ作品全体が持つ構造を引き受けて「死なない騎士」の滑稽さを描いてみせる。この鎖のようなパロディ化の流れの中に作品全体を取り込んで新たな世界を読みこんでいく人々のバイタリティと、そもそも様々な要素を含みうるだけの作品の柔軟性が引き継がれているといえる。