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キプリングの第一次世界大戦の戦争詩
My Boy Jack 鑑賞 桝井 幹生_ (2017/7)
(1) 原詩
My Boy Jack (1914-18)
“Have you news of my boy Jack? ”
Not this tide.
“When d’ you think that he ’ll come back?”
Not with this wind blowing, and this tide.
“Has any one else had word of him?” 5
Not this tide.
For what is sunk will hardly swim,
Not with this wind blowing, and this tide.
“Oh, dear, what comfort can I find?”
None this tide, 10
Nor any tide,
Except he did not shame his kind—
Not even with that wind blowing, and that tide.
Then hold your head up all the more,
This tide, 15
And every tide;
Because he was the son you bore,
And gave to that wind blowing and that tide!
(2) 映画『マイ・ボーイ・ジャック』(2007)字幕の邦訳(訳者不明)
「ジャックからの知らせは?」
この潮にはない
「いつ帰ってくる?
この風と潮は連れてこない
「何かしらないか?」
この潮は知らない
沈んでしまったら
浮かび上がらないから
「何てことだ」
「慰めはないのか」
この潮にも どの潮にもない
あの子は恥などしなかった
風と潮にのまれても
あなたも頭を上げ
風と潮に立ち向かいなさい
あの子を育てたのも―
風と潮にやったのも
あなたなのだから
(3) 桝井仮訳
倅ジャック(1914-18)(仮訳)
「倅のジャックの消息をご存知ないでしょうか」
目下の所皆無
「いつ帰隊するかわからないでしょうか」
さあねえ風に乗ってくるとも 浪に乗ってくるとも
「どなたか帰隊した戦友で倅のことを知っている人は」
目下無し
水底(みなそこ)に沈んだ者 浮上する者とて無し
この風では この潮では
「どうしたら 慰められるのでしょうか」
慰めようがないね この浪では
いやどんな浪でもね
内地の者に卑怯未練な奴と罵られるような様(ざま)をしなければ別だが
それでもこの風 この浪ではねえ
だからちゃんと頭を上げているのだ
こんなご時世じゃ
あんたが為せる 醜の御盾なんだから
あんな強風に あんな激流に送り出したんだから
(4)注
タイトルについて:
キプリングの詩は、副題が( )内に記載されることがよくあるが、1904-18という第一次世界大戦の始まりと終結の年号だけというのは珍しい。この詩の初出は、タイムズ、デイリー・テレグラフ、ニュヨーク・タイムズで、1916年10月19日である。出版は詩集『歳月』メッシュアン社(1919年)となっている。そのときはこんな副題はなかった。
またキプリングの長子はJohnであるが、Jackという普遍的な名前にし、自分の息子のためというより、若くして死んでいったイギリスの若者全体に対する鎮魂の詩としたかったためであろうか?windとかtideには海のイメージが思い浮かぶ。水兵はJack Tarという言い方があるが、これから思いついた名という説もある。対ドイツ戦は陸上だけでなく海上でも戦われた。キプリングには海戦に因む詩もある。
2行目 tide 潮流 のことだがもちろんtiding 知らせにもかけている。
Time and tide wait for no man. 歳月人を待たず。という諺もある。
いろんな意味に重層した言葉である。
4行目 windも重層された意味合いがありそうである。
wind and rain 風に雨 古来バラッドに頻出するフレーズ
cf. Child #10 Twa Sisters e.g. O The Wind And Rain (Peggy Seeger)
映画でJohn少尉が戦死した日もどしゃぶりであった。
7行目 swim=To rise and float on the surface (OED) ついでながらカナダの Margaret Atwoodの小説にSurfacing
というのがあるが、Surface=To rise to the surface of the water (OED)
17行目 bore=brought forth fruit or offspring (OED)=gave birth to 産んだ 為した
(5) 本詩と関連する同世代の人物など
Rudyard Kipling (1865.12.30 – 1936.1.18)
George V (1865.6.3 – 1936.1.20)
John Kipling (1897.8.17 – 1815.9.27)
Edmond Blunden (1896.11.1 – 1974.1.27) John より一歳年長に過ぎず、やや遅れてフランスに従軍
Undertones of Warを書く。研究社 昭和11年
(6) 音声・映像資料
https://www.youtube.com/watch?v=1Db8zOE8jCE
映画のラストでキプリング役のデヴィッド・ヘイグが同じく末子を幼くして病気で亡くしたジョージ五世に同情するかのように低音でつぶやくように朗読する。
http://www.firstworldwar.com/audio/myboyjack.htm
一番左の小さな三角形のスタートボタンを押す。故桜井先生から頂いた、The Great WarというPearl社の輸入CDの15トラックと同じものと思われる。同じCDの12ト ラックにはA.E.Housman (1859 – 1936)のIn Summertime on Bredonも聞ける。この詩は山中光義先生がすでに英国バラッド詩アーカイブにアップされている。ハウスマンもキプリングとほぼ同世代で、兵士は背嚢にその詩集を忍ばせて戦地に赴いたそうである。
(7)映画のシーンから
① キプリングとジョージ五世とは親友のようだが、英国王室へも自由に入れる特権はどのようにして得られたのだろうか。冒頭カーマニアのキプリングは東サセックスの自宅からウィンザーまで愛車ロールスロイスを運転していく。3時間を切ったと喜んでいるが、やはりまだ道路状態はよくなかったようだ。曲がりくねった田舎道で羊の群れといつ遭遇するかわからない状況では納得できる。「自動車のバラッド」という詩もある。
② キプリングは子供たちにお話しをするのが大すきだった。キプリング中尉がフランスへ出征する前の賜暇で帰宅するが、そのときキプリングは童話集『なぜなの物語』の「なぜサイの皮は固いの?」をコスチューム姿でやっているところだった。
③ 映画では18歳の誕生日を迎えてすぐ戦死するようになっている。しかしジョンの戦死はもっとあとである。その後キプリング夫妻は息子の戦死の詳報を得るためフランスに行っている。Loosというところで亡くなったそうだが、この激戦地の地図はブランデンの本の付録地図で見ることができる。この本の訳注では/lɔs/ロスのように読むように書かれている。
戦争詩人はほかにも一杯いる。Strange Meetingという詩を書いたWilfred Owen (1893 – 1918)もそうで、ブリテンが『戦争レクイエム』という音楽に作曲している。第一次世界大戦は第二次世界大戦より大変な衝撃を英国に与えたようである。英国現代小説家パット・ バーカーは第一次大戦のことを得意とし、次々に小説を発表しているようだ。