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県人会にみる文化の伝承:アメリカの戦前と戦後

[島崎寛子_(2018/4)]

 北米への日本人移住が開始された19世紀末から、各出身県による県人会が結成された。異郷での県人会は同郷人と親睦を図り、相互扶助的な役割を果たし、ネットワーキングとコミュニティの重要な機関となった。県人会は教育や文化活動の面でも大きな役割を果たした。ラジオやテレビがない時代に新年会、祭りや盆踊りを行い、日本人としてのアイデンティティを確認し、詩吟、民謡や踊りなどの文化継承の役割を担った。県人会は、日米関係の悪化による太平洋戦争勃発で活動が中止された。戦後活動が再開されたが、 二世や三世などが増加し、かつての日系コミュニティが衰退する中で、文化継承が課題となっている。しかし、歌謡大会、盆踊り大会などは、形を変えることにより、世代間での触れ合い交流も増え、新しい展開を遂げている。移民の子弟県費留学制度などで、若い日系人たちには日本滞在の機会が増え、アイデンティティを考え、文化継承について模索する良い機会となっている。トークでは、このような祭り、盆踊り、詩吟、 民謡などが継承されてきた一部を紹介した。

 1. 太平洋戦争前:県人会と日本文化の関わり
 県人会は社会的活動だけでなく、新年会やピクニックの時に、母国の歌、盆踊りなどの披露で、日本文化活動の場ともなった。カリフォルニアの福島県人の懇談会で「最後に盆踊りを輪になって踊り抜き、その夜11時過ぎ『万歳!万歳!万歳!』の声で皆心楽しく引き上げて終わった。」とある。(『南加福島県人会創立百周年記念誌』p. 69)和歌山県人会の集まりでは、余興に詩吟や落語が行なわれていた記録がある。また、食事は、寿司が振舞われた。(『和歌山県移民史』pp. 547-48)

 2. 太平洋戦争中:県人会と日本文化の関わり
 戦争が始まると、集会は禁止され、公の活動はされなくなった。県人会のリーダーも摘発され、県人会としての活動は停止された。しかし、強制収容所では、囲碁、将棋、俳句、版画、盆踊り、餅つきなどの活動の記録がある。

 3. 戦後の県人会による文化伝承の試み
 戦後、活動が再開されると、県人会の人々は新年会やピクニックで、演芸、歌、踊りを披露した。1997年のカリフォルニアの福岡県人会のピクニックでは、公園で、郷土民謡の「博多どんたく」や「炭坑節」が披露された。(『南加福岡県人会創立90周年記念』pp. 38-39)
 また、カリフォルニア州の県人会が集まり、県人会協議会を発足し、1976年からは、育英奨学金制度で日本文化を学ぶ学生に日本文化の継承を奨励している。毎年の奨学金受賞者種目には、書道、日本舞踊、剣道、琉球舞踊、琴、日本語、茶道などが含まれ、日本語が話せない三世や四世などに日本文化を学ぶことを支援することによって、日本語を学ぶ機会を提供している。(『南加県人会協議会創立三十五周年記念』pp.50-73)
 日本側からは、山口県や福岡県などは、交換留学制度を実施し、日系の子弟に先祖の母国を訪れてもらい、文化に触れてもらうことで、彼らにアイデンティティを模索する機会を提供している。(『海外福岡県人世界大会報告書』pp. 49-54, 『やまぐち国際化ハンドブック』pp.2-1 — 2-8)

結び:
 文化の継承には、色々な形があるが、相互扶助組織として生まれた県人会も、文化継承に貢献したのではないだろうか。時代の変化と、世代交代で、県人会の必要性も薄れているようだが、県人会行事では、日本文化を学ぶために、日本語を学ぶという現象が、今日の三世や四世に見られるようになったのも時代の流れなのだろうか。

引用文献:
海外福岡県人会世界大会実行委員会編『海外福岡県人世界大会報告書 第8回:ルーツは福岡 夢は世界へ:未来につなごう 福岡の絆』第8回海外福岡県人会世界大会実行委員会, 2014年.

南加県人会協議会[編]『南加県人会協議会創立三十五周年記念』南加県人会協議会, アメリカ国カリフォルニア州, 1999年.

南加福岡県人会編『南加福岡県人会創立90周年記念』, 1998年.

和歌山県編『和歌山県移民史』和歌山県, 1957年.

山口県地域振興部国際課編『やまぐち国際化ハンドブック』, 2017年.
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cmsdata/2/c/8/2c8005aa896742bc5a07cf409f2bfbbb.pdf

Koyama, Shinkichi[編]『南加福島県人会創立百周年記念誌』南加福島県人会,Los Angeles, 2008年.