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「フィールド」との対話:2020年スコットランド現地調査を振り返る
[山崎 遼 2021-01-31]
2020年2月3日から25日にかけて博士論文の更なる調査のためスコットランド北東部のアバディーンを訪れた。私は2017年9月にアバディーン大学エルフィンストーン研究所で修士課程を終えたのだが、今回はそれ以来初となる訪問であった。本調査の主な目的は(1)トラベラーを中心とした人々へのインタビュー、(2)研究協力者への成果報告、(3)トラベラーの著作に関する研究所での講義であった。トラベラーとは独自の文化や歴史を有するスコットランドの少数民族である。かつては徒歩で各地を移動しテントで暮らしていたが、現在多くは定住生活を送っている。
今回インタビューに応じてくれたのはトラベラーやその子孫の4名であった。トラベラーが自分たちで立ち上げた法人団体Heart of the Travellers(HOTT)の代表デイビッド・プラー、トラベラー作家スタンリー・ロバートソンの孫サイモン・ロバートソン、トラベラー作家ジェス・スミス、幼少期にトラベラーであるというだけで警察当局に強制的に「保護」され親と生き別れた経験を持つマーサ・スチュアートであった。ここでは主に今回のフィールドワークにおける私の体験や気付きを共有したい。民俗学の研究方法や民俗学者の視点に興味のある方、また今後フィールドワークをされる方の参考になれば幸いである。
2月9日の朝、アバディーン駅からバスでモントローズに向かって南下し、そこでデイビッド・プラーと落ち合った。彼の曽祖母は1979年にスコットランドのトラベラーとして初めて自伝(The Yellow on the Broom)を出版したベッツィ・ホワイトである。プラーはそれを子供用の絵本にして、Wee Bessieという題名で2019年秋に出版していた。今回は絵本の出版に至る経緯やHOTTの運営などについて詳しく話を聞くことが目的であった。
プラーは私を車に乗せるとそのまま街中のパブへ向かい、我々はそこでインタビューをすることとなった。HOTTのリーフレットによると当団体設立の趣旨は「トラベラー自身の物の見方を発信し、学者の研究成果を補うこと」らしかった。これについて私が詳しい説明を求めると、彼は「学者は私たちから取るだけ取って何も返してくれなかったし、私は学者をあまり信用していない」という旨の発言をした。リーフレットでは無難な言葉選びをしていたが、実はこちらが彼らの本音なのではないかと私は察した。
プラーの言葉は民俗学や文化人類学の「フィールド」において頻繁に耳にする意見である。フィールドに飛び込んで研究協力者を見つけ、信頼関係を築くことは労力を要する。しかし、それと同じかそれ以上に注意を払わねばならないのはフィールドを離れた後いかに彼らと関係を保ち、研究成果を還元しようとしている姿勢を見せるかである。トラベラーに限らず研究に協力した人は少なからず調査終了後の研究者の態度に不満を抱いている。研究者と研究協力者は独特の人間関係であるため、我々がいかに礼儀正しく敬意を持って接したとしても完全にわだかまりのない関係を築き維持することは難しい。プラーの言葉およびHOTT設立の趣旨は研究協力者たちの不満を代弁していると言っていい。
モントローズでインタビューを終えた後はそのまま電車でスコットランド中部にあるパースまで南下して、そこからバスでクリーフという小さな町まで行く予定であった。そこでは以前に面会したトラベラーのジェス・スミスと会い、彼女の自宅でインタビューを行う計画であった。しかし土壇場でスミスからメールが届き、嵐(Storm Ciara)の影響で明日駅まで迎えに行けそうにないと告げられた。さらにスミスはスケジュールが埋まっており後日に振り替えることもできないと言われた。はるばる日本から来ておきながら貴重なインタビューを行わずに帰ることはできないので、他にスケジュールの合う日があれば是非とも面会したい旨を告げ、数日後に再びパースで会う約束を取り付けた。こちらの都合で相手の生活にずけずけと踏み込んでおいてその上無理を聞いてもらうのは正直言って心苦しいものである。私はなるべく相手に迷惑をかけたくない性格なので、こうした行動は未だに抵抗を感じることが多い。だがフィールドワーク中は時に思い切った言動が求められることもある。
後日、スミスにパース駅まで迎えに来てもらい、ショッピングモールの駐車場の屋上でインタビューを行った。車のダッシュボードの上にマイクを置いて彼女の自伝小説3作について話を聞き、彼女のライフストーリーを共有してもらった。彼女は幼少期こそ移動生活をしていたものの、若い頃に定住してからは街での暮らしの方が長い。私は彼女にとって定住生活がどのようなものだったかを直接聞いてみたかった。
スミスの自伝でも定住時の葛藤については記述があったものの、インタビューで彼女の口から直接語られたエピソードはさらに生々しいものであった。定住社会に住む我々にとって、雨風をしのげて暖房の行き届いた家屋は安心と安全の象徴である。しかし自由を尊び広大な自然の中でテント暮らしをしてきた世代のトラベラーにとって、四方を壁に囲まれた家は“shelter”ではなく“prison”と感じられたのだった。定住してしばらくはスミスも家屋での生活がどうしても受け入れられず、かといって夫と子供がいたため出て行くことも出来ない状況に心が壊れそうだったと語った。そして家での生活に適応した今ですら「家どころか立派な城を与えられたとしても私は移動生活を選ぶ」と述べた。
私は後日エルフィンストーン研究所の大学院生にトラベラーの著作について講義をする予定だったので、その際定住にまつわるスミスのエピソードを学生に紹介しようと思いついた。アバディーンの宿に戻った私は、録音の一部を授業で流す許可を求めて彼女にメールで問い合わせた。するとスミスは承諾するどころか、私が彼女の述懐に耳を傾けたことに感謝の言葉まで述べてくれた。定住直後の彼女の苦しみはあまりに大きく、それを誰かに話すこともできないまま長い年月が経ってしまったが、今になって打ち明けることができてよかったと書かれていた。
突然だが私はフィールドワークをする際に「3つのR」を意識するよう気をつけている(某都知事の真似ではない)。それは信頼関係(rapport)、自省性(reflexivity)、互恵性(reciprocity)である。信頼関係はおそらく最も重要で、これなしにインタビューで有益な情報交換ができないことは言うまでもない。自省性とは研究者自身の存在や性質がフィールドに与える影響に意識的になることである。例えばトラベラーの研究をスコットランド人がする場合と日本人がする場合では見えるものや得られる情報が変わる場合があるし、研究者の経歴、性別、性格などによって協力者との関係や研究結果は変化する。そして互恵性は研究が研究者と協力者の互いの利益になることであり、昨今の民俗学で重要視されている要素の一つである。
スミスのメールはこの「3つのR」に関する大きな気づきを与えてくれた。一つは互恵性の観点からである。研究成果の還元方法に正解はないが、最低限すべきことは論文を配って読んでもらうことだと私は考えている。そのため今回の渡航でもかつての研究協力者と再会し、彼らの協力を得て書いた論文を渡して回った。論文など誰も読まないかもしれないし、実際大半は読まれないのだろうが、これは我々の誠実さや彼らと関わり続ける姿勢をアピールするための重要な行動なのである。しかしスミスのメールが私に気づかせてくれたのは、ただ「話を聞く」という行為そのものが互恵性の確保に結びつく可能性があるということであった。研究協力者が語れずにきた体験について私たちが話を聞く時、フィールドワーカーの注意深い傾聴はカウンセリングと同じような機能を持ちうるのかもしれない。
互恵性のみならず、スミスとのやり取りは自省性に関しても示唆に富んでいた。スミスはなぜこのような体験を長く心にしまい込んできたのか。それはトラベラーに向けられてきた興味は移動生活という特異な生活様式や豊かな口頭伝承に関するものがほとんどだったことに起因するのではないだろうか。残念ながら、定住後のトラベラーの生活に関心を払い、その苦悩や葛藤に耳を傾ける人はそう多くなかったと言わざるを得ないのである。また、定住社会で定住生活のつらさを訴えることの不毛さも彼女は感じていたのかもしれない。スコットランド社会に属さず直接の利害関係を持たない日本人の私は、トラベラーであるスミスが定住社会での苦悩を気兼ねなく吐露できる相手だったのであろう。
フィールドに及ぼしうる自分の影響を常に観察して記述し、相手の語りに心から耳を傾ける。この自省性と互恵性の追求を通して、より大きな信頼関係が築かれうるというのが今回最大の学びであった。フィールドワークを行うたび、実際に人と交流することでしか得られない貴重な学びがある。しかし距離的にもコロナの情勢的にも気軽に行ける場所ではないため、今後もSNSなどを駆使して遠隔のフィールドとコミュニケーションを図り続け、研究に協力してくれた方々と関わり続ける姿勢を貫いていきたい。 (立命館大学大学院博士後期課程)