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「オディヴィア夫人」 二つの誓いをめぐって (2)
「オディヴィア夫人」 二つの誓いをめぐって (2) 入江和子
2 各幕の要約
先ず1幕目、ストーリーの始まりはバラッド特有の様式化された出だしで、語り手により淡々と語られる(sts.1-24)。ノルウェーの美貌の誉れ高い娘が幾多の求婚を拒絶の末に、本人には知る由もないがオーディンに誓い(Odin’s oath)を立てたオディヴィアと結婚に至り幸せそのもの。ところが場面は急展。夫は十字軍遠征に出立し(sts. 25-28)、その帰途ビザンティウムで長期間放蕩三昧の生活、片や美しく着飾って帰りを待ちわびる夫人(sts. 35-44)は孤独感を募らせる(sts. 41-44)。
2幕では、夫の留守中に訪れた立派な騎士(A stately knight)が語る話から、夫人は夫オディヴィアの乱行振り(sts. 89-96)を知ることになる。騎士が夫の便りを伝えに来たと言って差し出した黄金の指輪(a gowd ring)は、かつて夫人が月光のもとで永遠の愛を誓って騎士に渡した指輪であった(sts. 101-104)。夫人の結婚以来ずっと孤独を味わっていたと嘆く騎士(sts. 109-112)であるが、オーディンへの誓いにより別たれた二人の愛の炎は再び燃え上がる(sts. 117-120)。ここで語り手の「私(‘I’)」は二人の密通に思わず顔を出してしまうが。そして騎士は夜が明けきらぬうちに密かに去っていく。
3幕冒頭は、夫人の子守唄場面で始まる。夫人が知らぬ騎士との不義(sin)を嘆く様子が「知らない」を繰り返しながら一心に口ずさむ文言に込められる(sts. 137-144)。すると突然現れた薄気味悪い姿をしたもの(st. 145)が我が子の父親であると話しかけ、自らスール・スケリー島を住処とするセルキー族の王サン・イムラヴォ(San Imravoe)であると名乗りを上げる(sts. 165-176)。夫人はこの時アザラシのイムラヴォが我が子の父親であり、かつての恋人でかつ夫の遠征中に一夜を共にした騎士であると知るのである。それにしても指輪を交わした時に身を明かさなかったという点はいかにもバラッド的である。
6か月後、イムラヴォが保育料の金貨銀貨と引き換えに子を海へ連れ帰るが、その時夫人に対する呼称が2幕の愛おしむ「あなた」(‘Ye’, sts. 105-109)から「おまえ」(‘Thou’, sts. 214-220)へと変化する場面や、夫人が子の所有格を「私の(me)」から「あなたの (thee, sts. 177-8)」との間で揺れ動く場面はそれぞれ微妙な心の移ろいを表していよう。また夫人がオディヴィアの行状から息子の生命の危険を予見するような言葉(sts. 195-196)を発するのは、物語の流れから興味をそそられるひと言である。次第に気持ちがイムラヴォに傾いていく夫人(sts. 215-216)に対し、イムラヴォの返事「夫人よ、私が望んだときおまえにその気がなく、今お前が乗り気なとき私が拒む。おまえが失ったあの日は決して取り戻せない。遅すぎる、後悔先に立たず。」(sts. 217-220)は非難であろうか、きっぱり拒絶するのである。
4幕は、唐突にオディヴィア帰還から一気に一頭の子供アザラシ殺害へと動く。金の首輪(a gowden chain)を掛けた不思議な獲物を巡り、夫人とオディヴィアが激しく言い争う夫婦喧嘩の場面(sts. 261-316)になる。夫人が形見として息子の首に掛けた金の首輪が、悲しいかな不義の証明となり、悲劇へ導く糸口になってしまうとは皮肉である。夫人が髪をかきむしって嘆く傍らでオディヴィアは夫人の背信行為に怒りを爆発させるが、心の内を吐露する言葉に彼の心の闇が明かされる(sts. 289-292)。夫人も負けてはおらず、「私が雌鶏なら、あなたは雄鶏 / 女たちの尻を追いかけ、/ 美しい娘と見れば / 言葉巧みに口説いた自慢話を聞きたいわ。」(sts. 293-296)では、顕著な/c/音で怒りの激しさが強調される。ついに縁切り(sts. 313-316)を申し渡された夫人は悲しみと怒りに任せ、金の鎖を夫の脳天に振り下ろし、高い塔に幽閉されてしまう。
最終章5幕冒頭では、夫人に火刑が宣告され、非情な仕打ちに夫人が絶望に苦しみ喘ぐ様が前面に押し出される(sts. 329-332)。そこへ突然のイムラヴォの呼びかけ(sts. 343-344)により、火あぶりの刑の前日、鯨が大集合という超自然的現象が起こる。オディヴィアと家臣たちは大急ぎで船を駆って海に繰り出し、捕鯨の大騒動を繰り広げるが、一頭も獲れず夕暮れとともに引き上げる。館に帰り着くと、夫人の姿は見事に消え失せその足取りは杳として知れず(sts. 363-364)、二度と目にすることはない。その後の夫人がどのようになったかなどは歌われず、独りきりになったオディヴィアは、オーディン神の誓いを悔いるばかりで侘しく辛い日々を送るようになる(sts. 365-368)。オーディン神に誓いを立てると最初は調子よく事は進むが、最後には悲劇になるとの教訓であろう。最終連で、吟遊詩人たちの活動が、宴など私たちの暮らしに如何に欠くことのできない貴重なものであるか、感謝の気持ちを高らかに歌い上げてバラッドは結ばれる(sts. 369-372)。
本バラッドが40年以上に亘って採集され、補填されたという特異な経過を辿ったことは先に述べた通りである。舞台がノルウェーに始まり、オディヴィアやイムラヴォという登場人物の名前から北欧的色彩が強く感じられるが、これはオークニー固有の民話である。背景にキリスト教と異教の神オーディンとが絡んでいる点は実に興味深いが、オークニーにキリスト教が伝来したのは10世紀と言われているので、バラッドの中にキリスト教的要素が含まれるのは当然であると考えられよう。全体的に時と場所の設定が漠然としており、登場人物には「孤独」の影が漂っているように思われる。夫人と騎士の孤独感、さらに結果的にオディヴィアの孤独感もが浮き彫りにされるが、それ以上に恨みや怒りなどの三者三様の生々しい感情が顕わに表現される点は非常に面白い。また最初から最後までイムラヴォとオディヴィアが面と向かって対立することはないが、イムラヴォが十字軍遠征に向かったオディヴィアの行状を事細かに夫人に報告するとはオーディンへの報復のため密かに行動を共にしていたのであろうか、それとも超自然力のなせる業であったのであろうか。夫人の人生は自ら愛を誓った騎士、すなわちアザラシではなく人間の姿をしたアザラシ男との「誓い」と、オディヴィアによるオーディンという異教の神への「誓い」という二つの「誓い」に翻弄された。「名誉欲や物欲・色欲のような世俗的目的のために異教の神に誓ったオディヴィアは願い事が成就するも最後には見放されてしまうが、夫人とイムラヴォとの純な愛ある「誓い」は最後には異教神の「誓い」に勝ったと言えよう。夫人の行く末は決して語られることはないが、金の指輪をはめサン・イムラヴォのそばで暮らしたいとの夫人の願いは結局叶えられ、海の世界で幸せに暮らしているであろうと聴き手は想像を膨らませることができる。このように吟唱詩人たちによるバラッド詠唱は、当時の人々を現実と非現実を結びつける豊かな想像の世界へと誘ってくれたであろう。
PDF: ‘The Lady Odivere’ |
PDF: 「オディヴィア夫人」 |