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リレーミニレクチャー概要 [日本バラッド協会第16回(2025)会合]

2025.04.20研究ノート

【リレーミニレクチャー概要】[日本バラッド協会第16回(2025)会合 「Balladの世界 vol.1」]

1. 伝承バラッドの音楽と挿絵の展開 中島久代
 バラッドとは民衆の言葉と音楽と挿絵の要素が変化しつつも現在まで継承されている総合芸術である。
 バラッドの言葉は「型の文学」という個性を持っている。“Lord Randal”(Child 12A)では、‘Abrupt Opening’(突然の始まり)、‘repetition’と‘refrain’、ダイアローグのみによる物語展開などのバラッド特有の型によって、母の問いに応えて、瀕死の息子ロード・ランダルは森で恋人に毒をもられたことを告白し、家族には財産を、恋人には地獄の業火を残すと語る、呪いの物語が展開する。バラッドの言葉の型はバラッド詩の系譜を誕生させた。T. Percy編纂のReliques of Ancient English Poetry (1765)は職業詩人たちに民衆詩の魅力を知らしめ、18世紀以降現代まで多くの詩人たちが伝承バラッドを模倣したバラッド詩を書き残している。バラッド詩の全体像は「英国バラッド詩アーカイブ」(Web)でたどるができる。
 伝承バラッドの物語は音楽に乗せてうたわれた。F. J. Child編纂The English and Scottish Popular Ballads (1882-98)の全305篇の旋律はB. H. BronsonによってThe Traditional Tunes of Child Ballad (1962)に著されたが、伝統的旋律の肉声はEwan MacCollなどの現代のバラッドシンガーたちの歌で聞くことができる。マコールは1960年代フォーク・リバイバルの牽引者でもあったが、フォーク・ソングが世界中で一大ブームとなる中で、伝承バラッドの旋律も装いを変化させた。Bob Dylanは“Lord Randal”の言葉の型を模倣した “A Hard Rains’ A-Gonna Fall”を創作した。それは社会の恐怖 (A Hard Rain) へプロテストというディランのメッセージを表現したバラッド詩であり、そこにフォークロックの旋律を載せて、音楽でもバラッドを現代に継承した。
 挿絵もバラッド文化発展に大きな役割を果たした。廉価な大判紙「ブロードシート」に印刷されたブロードサイド・バラッドは一大流行を見て、18世紀の終わりまでにはバラッドは通りや市場で売られるブロードサイド・バラッドを指すようになった。ブロードサイド・バラッドには挿絵という「文字テキストの飾り」が登場した。19世紀は挿絵の黄金時代であり、バラッド編纂集の挿絵とテクストとのコラボレーションの円熟期が出現した。バラッドの挿絵はS. C. HallやA. Rackhamの後、陣内敦氏によってチャイルド編纂集305篇全ての挿絵制作という偉業が成し遂げられたところである。
 
2.  挿絵制作から垣間見た主題の淵 陣内敦 
(1) 挿絵を描くことになったきっかけ
高校の同級生である中島久代氏と再会の折、過去にシェークスピア劇のポスター挿絵を描いたという昔話から、マザーグースの挿絵の依頼へとつながった。次第にマザーグースのかわいらしい音楽の世界に引き込まれていった。
(2) バラッドの挿し絵の依頼
その後、山中光義氏との出会いがあり、両氏が専門とされるバラッドの挿絵の依頼を受けることになった。チャイルドバラッドの和訳本を頂戴し読み始め、そこにマザーグースやシェークスピアの源流があることを知り、バラッドのビギナー地点に立った。
(3) 最初の10枚
バラッド文学の印象、それは西欧の石の建物に落ちる黒い影、だった。この印象を保つために黒のインクでだけで描くことを決めた。マザーグースとは違い、色を求めない、光と影の世界だと思った。
(4) 320点の作画への踏込
山中氏がある時「全部描けたらギネスものだね」といたずらっぽく言われた。私はその言葉が文学の世界からの誘惑のように感じた。黒い影は、甘い香りも伝えていた。
(5) しっかり物語をとらえたい思い
服飾の歴史、武器の図版、建築図版、帆船の図鑑、ありったけの資料を揃えた。また2か月に1度、30点程度の下絵を、両氏に見ていただき、時代考証をお願いした。
(6) 挿し絵画家になったつもり
一つ一つの物語が頭の中で、あたかも映画のように動き始めた。映画のセットの中で、カメラを持ち込み、どの場面のどの位置でシャッターを切るべきかを決めた。
(7) 怪しいお絵かきおじさんの毎日
ファミレスで「お上手ですね」とウエートレスさんから褒められ、子どものように嬉しかったこと。飛行機の中で、隣のスーツ姿の男性の視線が作画をする私の手元に集中していたこと。図書館の自習室で受験勉強に励んでいる高校生にとっては、文学の淵を見つめているおじさんは勉強の邪魔だった。
(8) 頭の中に何かが棲みついた
私の頭の中に棲みついたもの、歴史の勇者、抗争と騎士、自由奔放なアウトロー、悲しくむごい刑罰、愛を貫く乙女、きょうだいの憎悪と悲愛、母性の光と闇、情事が呼び込む惨劇、滑稽と笑い、妖精と悪魔、魔法使いの闇、魔物の恐怖と誘惑、亡霊のせつなさ、キリスト教の変容、異国の誘惑、大航海時代。
(9) バラッドのスター・ロビンフッドの登場
ロビンフッド、この不思議に満ちたヒーロー性、人々にとって何を象徴するものだったのか。
 
3.  バラッドの英雄、ロビンフッド 宮原牧子
 本レクチャーでは、古いバラッドの中にうたわれた緑衣の義賊ロビン・フッドのイメージが現在も映画やドラマの中に描かれ続けていることを映像とともに紹介した。
 ロビン・フッドの活躍をうたう古いバラッドによって定着したモチーフやエピソードは、何百年の時を超えて全く異なる媒体である映像作品の中でも繰り返し描かれ続けている。例えば、ロビンといえば弓の達人であるが、その腕前はケビン・コスナー主演の『ロビン・フッド』(1991年、監督:ケヴィン・レイノルズ)やラッセル・クロウ主演の『ロビン・フッド』(2010年、監督リドリー・スコット)やタロン・エジャトン主演の『フッド: ザ・ビギニング』(2018年、監督:オットー・バサースト)など、どんな映像作品でも披露される。また、「ロビン・フッドの死」や「ロビン・フッドの武勲」といったバラッドにうたわれる、ロビンが女性修道院長による瀉血で命を落とすエピソードは、ショーン・コネリーとオードリー・ヘップバーンが出演した映画『ロビンとマリアン』(1976年、監督:リチャード・レスター)の中でも映像化されている。さらに、橋の上で出会ったロビンとその相棒リトル・ジョンが闘い、負けたロビンが川に落ちるというエピソードも、前出の『ロビン・フッド』(1991年)やケイリー・エルウィス主演の『ロビン・フッド/キング・オブ・タイツ』(1993年、メル・ブルックス監督)など、何度も映像化されてきた。
 このような滑稽な要素は、特に16世紀以降のブロードサイド・バラッドで見られるようになった。ロビン・フッド・バラッドは残酷さをそぎ落とし上品になっていく一方で、よりコミカルなうたわれかたをするようになった。例えば、変装は中世のころからロビンが得意としていた技であったが、ブロードサイド・バラッドのロビンは女装までして敵の目を欺こうとする。しかし、そんな滑稽さはロビンの魅力を損なうものではなかった。その証拠に、後の映像作品の中でもコミカルな要素は、ありのまま受け継がれていったからである。前出の『ロビン・フッド/キング・オブ・タイツ』やディズニー・アニメ『ロビン・フッド』(1973年、ウォルフガング・ライザーマン監督)の中には、嬉々として女装するロビンの姿が描かれている。
 勇ましく頼りがいがあり、けれどどこかコミカルで人間的。さまざまなイメージを内包しつつ、ロビン・フッドは現代でも変わらず愛され続けているのである。