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P. B. ShelleyのWandering Jew像とゴシシズム  伊藤真紀_(2008/12)

 P. B. Shelleyの多くの作品の中で、いわゆるゴシック的作品とバラッド詩は1816年以前に集中している。そのバラッド詩は大きく2つに分類できる。自身のゴシック小説に挿入されているものと中世伝説Wandering Jewに関連するものである。18世紀後半になってゴシック的雰囲気を持つ小説、劇、詩が流行したが、その大きな流れの一つに中世伝説‘Wandering Jew’の影響があり、他の作家達と同様シェリーも魅了されて作品を残した。Allottは “Shelley’s interest in the Gothic and in the Wandering Jew went hand in hand with each other.” [Miriam Allot, Essays on Shelley (Liverpool UP, 1982) 40]と言っている。今回はシェリーのWandering Jewに関するバラッド詩を基の伝説やロマン派詩人のものと比較し、Wandering Jewを通してシェリーのゴシシズムの一端を示したい。
 まず基のWandering Jew伝 説を確認しておく。ある男が十字架を運ぶキリストに「速く行け」と罵声を浴びせ、その罰として永遠にさまようことになった。途中、自らの罪を悔い改めるがその旅が終わることはないのである。このキリストに赦しを請うという伝説に忠実であり、ロマン派詩人たちの詩作を促した作品がThomas PercyのReliques of Ancient English Poetry(1765)に収められている“The Wandering Jew”と考えられる。ここではパースィの“The Wandering Jew”と他のロマン派詩人の作品として S. T. Coleridgeの“The Rime of the Ancient Mariner”、最終的にShelleyの“The Wandering Jew’s Soliloquy”とを比較する。
 パースィの“The Wandering Jew”で、休もうとするキリストに“Awaye, thou king of Jewes, / Thou shalt not rest thee here;” (st. 4)と罵った靴屋は “I sure will rest, but thou shalt walke, / And have no journey stayed.”(st. 5)とキリストから言われ、終わることのない旅が始まる。その放浪の様子は次のようである。
         No resting could he finde at all,
              No ease, nor hearts content;
         No house, nor home, nor biding place;
              But wandring forth he went
         From towne to towne in foreigne landes,
              With grieved conscience still,
          Repenting for the heinous guilt
              Of his fore-passed ill.      (st. 7)
(Reliques of Ancient English Poetry. Vol. 2. 1765. Ed. Henry B. Wheatley. New York, 1988.)

第7スタンザでは“no”と“nor”のたたみかけにより放浪の苦しみが強調され、下線部 “Repenting for the heinous guilt /Of his fore-passed ill.”でキリストに暴言を吐いた靴屋は “repent”と後悔している。さらに自分の罪のことを “heinous”という形容詞を用いることで、自分の犯したことが間違っていたと認め、深い反省を表している。更に15スタンザでは “if he heare any one blaspheme, / Or take God’s name in vaine, / He telles them that they crucifie / Their Saviour Christe againe.”と自らの罪を悔い改めるのみならず、「神を冒涜するものへ注意を促す」Jewの姿がみられる。
 次にパースィのReliquesから影響を受け、‘Wandering Jew’をモチーフに創ったコールリッジの“The Rime of the Ancient Mariner” [The Complete Poems: Samuel Taylor Coleridge, ed. William Keach (London: Penguin Books, 1997)]では老水夫はアルバトロスを殺した罪のため、罰を受けて海を放浪するが、祈りを奉げることで赦される。しかしその罰として、永久に自らの話を語り伝えなければならない。その罪に対する態度は “‘O shrieve me, shrieve me, holy Man!” (A.M. l. 607) と贖いの気持ちが示されており、“With a woeful agony,” (A.M. l. 612)という苦しみを伴って “Which forc’d me to begin my tale” (A.M. l. 613)というように自らの罪と罰の物語を話さざるを得ない。更に神への呼びかけは下線のように“holy Man”となっており、パースィにおける“Saviour Christe”と同じく神への畏敬の念が表れている。このようにコールリッジの作品は伝説の‘The Wandering Jew’、つまりパースィが編集した“The Wandering Jew”に忠実な形をとっていることがわかる。一方でシェリーの‘Wandering Jew’は神に対して冒涜的言葉を吐き、反逆的異端者という共通した特徴を持っている。その一つ神への憎しみを独白する“The Wandering Jew’s Soliloquy” は全部で29行という短い詩だが、シェリーのWandering Jew像がはっきり示されていると言える。
Is it the Eternal Triune, is it He
Who dares arrest the wheels of destiny
And plunge me in the lowest Hell of Hells?
…….
Tyrant of Earth! Pale misery’s jackal thou!
Are there no stores of vengeful violent fate
Within the magazines of thy fierce hate?
…….
Yes! I would court a ruin such as this,
Almighty Tyrant! And give thanks to Thee
Drink deeply — drain the cup of hate — remit this I may die.
                     (ll. 1-3, 11-13, 27-29)
[The Complete Poetical Works of Percy Bysshe Shelley, ed. Thomas Hutchinson (London: Oxford UP, 1952)]

まず、神に対する呼びかけは最初が “the Eternal Triune”、次に“Tyrant of Earth”そして最終的には“Almighty Tyrant”と書かれている。これはパースィにおける“Saviour Christe”やコールリッジの“holy Man”と大きく違うことがわかる。またこの詩の中では“Hell of Hells” (l. 3)という言葉や“Destruction” (l. 6)、 “Annihilation’s pyre” (l. 10)、“vengeful violent fate” (l. 12)などの激しい憎しみに満ちた表現が多用されており、Jewは伝説のように神に対して罪の反省や赦しを請うことはなく、神への恨みや冒涜する言葉で呼びかけている。そして最終的には、その神の罰である呪いに対して、下線部 “give thanks to Thee”とあるように後悔や反省の言葉ではなく、罰を罰とも思っていないような反抗的態度を示す。シェリーのWandering Jewは神に対して反抗的、挑戦的という特徴があり、これがシェリーのゴシシズムの一要素といえる。このJewはAhasuerusという名でQueen Mab (1813)やHellas (1822)にも反キリスト教的立場で登場している。