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“The Water Is Wide” はスコットランド民謡か(4)
[櫻井雅人_ (2015/12)]
“O Waly, Waly” (= “The Water Is Wide”) はシャープが別系統の歌を人工的に組み合わせて歌詞を編集し、ピアノ伴奏を付けて歌曲風に作り変えたもので、異種の生き物どうしの頭部と胴体を繋ぎ合わせたスフィンクスみたいな歌である。さらに彼は『サマセット民謡集・第3集』の注(p. 76)で「サマセットの歌詞はスコットランドの “Waly Waly” という有名なバラッドと深い関連があるので同じタイトルの下で出版することにした」(下線部は問題点)と述べたが、不適切な命名であった。以下のシャープ編曲版が原典である。
O Waly Waly – Joanna Henwood(歌詞は一部省略)
https://www.youtube.com/watch?v=dgorQGH3stQ
もちろん民衆が歌い継いできたヴァージョンではなく、長らく彼の歌集以外には載っていなかった。1936年にシャープ(1859 – 1924)の娘が著作権を引き継いだが、ピート・シーガー以降の多くの歌手・レコード会社・出版社はシャープの書き変え歌詞も伝承版とみなし、さらに手を加えてさまざまなフォーク・ヴァージョンを生み出した。歌の成立事情が伝えられなかったためにアメリカ民謡説・アイルランド民謡説・スコットランド民謡説などが出現した。スコットランドのフォーク・シーンで歌われるようになったのは1960-1970年代になってからのことで(Ailie Munro, The Democratic Muse: Folk Music Revival in Scotland, [1984], 1996, p. 46)、元はシャープ版である。軍楽調のバグパイプ曲もシャープ版から編曲され、“When the Pipers Play” という歌詞で歌われる。
その一方でブリテンは「シャープのサマセット版」と付記して編曲(1946)した6。スコットランド人のケネス・マッケラーもサマセット民謡として歌ったし7 、BBC放送もイングランド民謡として紹介した8 。サラ・ブライトマンの『夏の最後のバラ ~ フォーク・アルバム』でも「ああ、ああ (サマセットから — セシル・シャープ)」として収録された9 。賛美歌曲(『日本聖公会聖歌集』2006, nos. 240, 287 など)のO WALY WALY(これは旋律名で1972年にHal Hopson が編曲・出版)も English traditional とされている。
イングランド民謡が通説であったにもかかわらず、特に日本のネット上ではスコットランド民謡説が氾濫した。情報不足と誤認のために流言飛語並みの「説」が実効支配したのである。スコットランド民謡には「懐かしさを感じさせる歌」というかなり不正確なイメージがあって、そこに当てはまったからかもしれない。「仰げば尊し」や「マイ・ボニー」(いずれもアメリカ曲)などもスコットランド民謡とされたことがある。
明治時代に日本に伝えられたとの論拠は不明であるが、TVドラマの『花子とアン』や『マッサン』に後押しされたのであろうか。『サマセット民謡集・第3集』は1906年(明治39年)に出版されたので明治末期にはありうる話かもしれない。しかしイングランドの一地方の民謡集までが持ち込まれたという記録や状況証拠はないだろう。また、半分がフィクションのドラマであるとしても、挿入されたのはシャープの書き直し版で、『マッサン』のエリーとか『花子とアン』のスコット先生はこの歌集(または C.J. Sharp and R. Vaughan Williams, A Selection of Collected Folk-Songs, vol. 1, 1908, pp. 48-49)からしか、しかもサマセット民謡としてしか覚えることができなかった(ともかくも、スコットランドで歌い継がれたことはない)。もっとも、ドラマや劇映画は時代考証よりも演出効果を優先させることが多い。それはそれとして、「140年前」(1875年?)に存在さえしていない歌を「輸入」10 できるわけがないし、音楽取調掛(1879-87)の関係者がこの歌を知る由もない(スコットランド版 “Waly, Waly” が載っている楽譜付き歌集2点を音楽取調掛が他から借用した記録はある)。日本渡来は1960年代以降かもしれない。
「350年前」あるいは「340年前」に誕生とは史実であるかのように見せかけているが、これは牽強付会である。いずれも歌の誕生年ではなくて「元歌」と憶測された “Jamie Douglas” の主人公バーバラ・アースキン夫人の結婚・離別の年(1670, 1681)であり、歌詞内容から見ても “Jamie Douglas” はかなり後に作られた(F.J. Child, The English and Scottish Popular Ballads, vol. 4, 1890, pp. 90-105; 初出1776年)。版によってはバーバラが主人公であるのか判然としないし、“Waly, Waly” のほうが “Jamie Douglas” よりも古いと考えられる(つまり、“Waly, Waly” なる既存の歌が後にバーバラの物語と融合した)。しかも、どちらの歌から時代を下ってきても “The Water Is Wide” には結びつかない(以下も参照)。
J. Johnston Abraham, “On the Antrim Version of “Waly, Waly”” (Ulster Journal of Archaeology, vol. 3, 1897), pp. 144-48.
https://archive.org/stream/ulsterjournalar07unkngoog#page/n160/mode/2up
Bertrand Harris Bronson, The Traditional Tunes of the Child Ballads, vol. 3 (1966), pp. 258-61.
そもそも “Jamie Douglas” は曲(初出1725年)がまったく違うし歌詞もほとんど似ていない。
Martin Simpson – Jamie Douglas
https://www.youtube.com/watch?v=QEQL8EoRhME
チャイルド(p. 93)によると1620年頃に “Hey trollie lollie, love is jolly / A quyll quill it is new; / Qhen it is old, it grows full cold,: / Woe worth the love untrew!”(quyll = while; qhen = when; untrew = untrue; hey trollie lollie はburden の文句)という記録があるが、曲や歌の内容はさらに異なる11。17世紀頃の歌謡とはこの程度(下線部の1-2行)の類似しかなく “Waly, Waly” の先祖であるのかも疑わしい。
注:
(6) O Waly, Waly: The Comprehensive Britten Song Database
http://www.brittensongdatabase.com/browse/by-ability-level/moderately-easy/o-waly-waly.html
(7) The Very Best of Kenneth McKellar(一部試聴可)
https://itunes.apple.com/gb/album/very-best-kenneth-mckellar/id313898745
(8) Sir Benjamin Britten’s O Waly, Waly (BBC News, 10 November 2013)
http://www.bbc.com/news/entertainment-arts-24888900
(9) O Waly, Waly – Sarah Brightman
https://www.youtube.com/watch?v=bcJlrvpe8Ac
(10) 「《The Water Is Wide》が明治時代に日本に輸入されて以来140年の眠りから覚めるべき時期が、2014年だったのでしょう。」(八木『広い河の岸辺』p. 14)
(11) Cantus, Songs and Fancies, 2nd ed. (1666) の最後の “Cantus. Three Voices”(歌詞初行:Trip and go, hey: How should I go?)を参照。
http://imslp.org/wiki/Cantus,_Songs_and_Fancies_(Various)