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ラフカディオ・ハーンと「日本の時代精神」— ひとつの覚え書き
(山中光義 2015-04-16)
日本美術研究家エドワード・ストレンジ (Edward Strange, 1862-1929)は、1895年、ロンドンの日本協会 (The Japan Society)で講演を行い、日本美術における細部を犠牲にした発想や装飾的要素などを高く評価し、ロートレックその他の西洋の画家に及ぼした日本画法の影響などを指摘した。「日本美術に描かれた顔について」(‘About Faces in Japanese Art’ , 1896)という浮世絵論の中でハーンはこの講演に触れ、その場に列席していた「日本の公使閣下」が示した態度について、珍しく感情を露にしている。浮世絵に出て来るような婦人はこの世にいるはずがないと断言する英国人同席者の冷ややかな反応などに対して「当夜のもっとも驚くべき事件が持ち上がった」と書いて、ハーンは「事件」を暴露する。彼らの反応はもっともだと迎合した公使は、問題の版画は『日本でも平凡なものとしか思われていない』と弁明したというのである。名前の挙がった絵師は、北斎、豊国、広重、国芳、国貞の面々である。ハーンは続ける。「公使閣下はこの問題を、論ずるにも足らぬと思われたらしい。彼はふとした機会を捉えると会場の注意を戦勝の話題の方へさらってしまったのである。愛国の情は情として、お門違いも甚だしいといわねばならぬ。こういう彼の態度には日本の時代精神(ツァイトガイスト)が忠実に反映している。現在の日本は自国の美術が外国人の賞讃を博してもほとんど聴く耳を持たないのだから。」(註)
ここに言う「戦勝」とは日清戦争 (1894-95)を指しているだろう。1895年4月17日に山口県の赤間関市(現、下関市)の春帆楼において日清講和条約が締結された。春帆楼は現在の赤間神宮敷地内にあり、玄関脇には、日清講和記念館が建っている。この地は廃仏毀釈によって廃寺となった阿弥陀寺の方丈跡で、安徳天皇御陵と平家一門の墓がある。ここを舞台にした「耳なし芳一」を書いたハーンの胸中には、「時代精神」に対する上記の熱い思いが秘められていたのではないか。
西欧文化崇拝の時代風潮の中で見捨てられていた日本美術を高く評価し、広く紹介した点はフェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa, 1853 – 1908)もまた同じであった。ハーンが東京帝国大学講師を勤めた18年前の1878年に来日したフェノロサは、それから8年間、大学で政治学や哲学などを教える傍ら、各地の美術品を破壊から護ることに全力を挙げた。そのフェノロサの蒐集活動の助手を務めたのが、受講生の中にいた岡倉覚三であった。覚三は、後に日本美術院を創設し、ボストン美術館中国・日本美術部長を務めたりしたが、彼の弟に岡倉由三郎(1868 – 1936)なる英語学者がいた。研究社の「英文学叢書」の主幹をつとめた人物である。由三郎こそ、日本で最初の英国伝承バラッドを編纂した人であった。OLD ENGLISH BALLADS (研究社英文学叢書106、1923年)がそれである。1887年に帝国大学文科大学選科へ進学しているが、ハーンが着任した1896年には東京高等師範学校教授となっていることから、ハーンのバラッド講義を受けてはいなかったし、生涯一度も面会していないことは、この叢書の前書きに記している通りである。そこで由三郎は、「殆ど世棄人の様な、俗界と没交渉な脱俗隠遁の日常を行ひすまして、感情と想念の別天地に安住してをられた氏の様子も、風のたよりに自分は耳にしたばかりである」と書いているが、この印象は冒頭の感情を露にしたハーンとは随分違うように思われる。
バラッドを論じた東大講義の中でハーンは、伝承バラッド「うたびとトマス」(Child 37C: スコット版)から、トマスが妖精の女王に連れられて「血の川」 (‘the River of Blood’)を渡る場面を引用し、これが重要なケルト的フォークロアであると説明している箇所がある。
O they rode on, and farther on,
And they waded through rivers above the knee,
And they saw neither sun nor moon,
But they heard the roaring of the sea.
It was mirk mirk night, and there was no stern light,
And they wade through red blood up to the knee;
For all the blood that is shed upon earth
Runs through the springs of that country.
「緑の園」(=妖精の国)に辿り着いたトマスは女王からリンゴの実を渡され、これを食べれば嘘をつかない舌を持つことになる、と言われる。それに反発するトマスの場面を引用しよう。
‘My tongue is mine ain,’ True Thomas said;
‘A gudely gift ye wad gie to me!
I neither dought to buy nor sell,
At fair or tryst where I may be.
‘I dought neither speak to prince or peer,
Nor ask of grace from fair ladye:’
‘Now hold thy peace,’ the lady said,
‘For as I say, so must it be.’ (sts. 18-19)
スコット版の面目躍如たる場面であるが、ハーンはこの「ユーモア」あるやり取りを日本の学生に実に優しく解説するのである。俺の舌なんか放っといてくれ、と言ってトマスが訴えていることは、「その実を食べて二度と嘘をつけないとしたら、市場で人を騙して物を売ることも買うことも出来ないし、美しい女性に心にも無い甘い言葉で言い寄ることも出来なくなるということである」と、原文を噛み砕いて説明する。更に、「評釈者の中には、トマスは彼の時代の不道徳性を表していると言うものもいるが、世の中は15世紀と比べてそんなに良くなっているでしょうか。昔も恐らくそうだったでしょうが、今の世の中、あらゆる場合に本当のことを言うのは危険ではないでしょうか。」と付け加える。この最後の言葉は、作品の文脈をまったく離れており、随分と微妙なことを言っていないだろうか。加速度的に軍国主義化するこの国を見事に予言した詩人の、いや、ジャーナリストの、鋭い嗅覚だったと言うべきか。
ハーンが発表した数々の「再話」には、身を置いた国の「時代精神」に対する鬱々とした気分を内に秘めて、見捨てられようとする日本の伝承文化を守ろうとする並々ならない情熱があったと考えるのは、果たしてうがち過ぎであろうか。
(註)仙北谷晃一訳より(平川祐弘編『日本の心』講談社学術文庫収録)。下線部は、ハーンの心情を読み取った見事な日本語訳となっていると思うので、比較のために原文を引用しよう: “[His excellency] took occasion to call away the attention of the meeting, irrelevantly as patriotically, to the triumphs of the war. In this he reflected faithfully the Japanese Zeitgeist, which can scarcely now endure the foreign praise of Japanese art.”(下線部、筆者)