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「オディヴィア夫人」 二つの誓いをめぐって (1)
作者不詳
「オディヴィア夫人」二つの誓いをめぐって 入江和子
1 成立事情
5000年以上もの長い歴史を有するオークニー諸島には民間伝承が豊富に残されている。当地出身の詩人であり小説家のジョージ・マッカイ・ブラウン(George Mackay Brown1921-1996)は、その重要性を熟知し伝統の担い手として積極的に自身の作品に活用した。その中に周辺に生息するアザラシを材にした民話がある。地元の人々はアザラシ(seal)をセルキー(selkie)と呼ぶが、特にハイイロアザラシのような大アザラシには皮を脱いで人間に変身する力があるとされ、見事に美しい男女になるという。このアザラシ伝説は、アラン・ブルフォード(Alan Bruford 1937-1995)によるとケルト世界に起源を持つという。ブラウン自身初となる1969年出版のエッセイ集『オークニー・タペストリー』(An Orkney Tapestry)1 所収の「5 詩人たち バラッドシンガー」(‘5.Poets:The Ballad Singer’)には、このように雄アザラシが魅力的な凛々しい男性に変身するアザラシ人間(Selkie Folk)が登場するバラッドが挿入されている。「オディヴィア夫人」(The Lady Odivere)である。物語ではストーリーが進行するにつれオディヴィア夫人を巡って夫オディヴィアとアザラシ人間との三角関係が次第に顕わにされ、緊張を孕んだ展開が繰り広げられる。夫人の運命は「誓い」に翻弄されるが、最後に落ち行く先はどこであろうか。本稿では、先ずこの伝承バラッドの成立事情を説明し、次に物語を要約、物語展開の大きな鍵となる二つの「誓い」に注目して最後に翻訳を披露したいと思う。
このバラッドの大元は、19世紀半ばShetlandで Captain Thomas, R. N.が教養の高い女性から聴いたバラッドを書き留めたことに始まる。それは7スタンザの『スール・スケリー島の大アザラシ』(The Great Silkie of Sule Skerry, The Proceedings of the Scottish Antiquarian Society 1 86-9, 1852)であった。ちなみに、Child版では113番である。後に、それを目にしたオークニーの民俗学者で古物収集家のデニソン(Walter Traill Dennison,1825-1894)が、以後40年にわたってオークニー各地の古老たちから、長い年月をかけ伝承され辛うじて残っていたこのバラッドの断片を収集、欠けている言葉や文章は自ら補填し完成させた。それが本バラッドの『オディヴィア夫人の劇』(The Play o’De Lathie Odivere, The Scottish Antiquary or Northern Notes and Queries Vol. Ⅶ, 1894) である。2 残念ながらデニソンがどの部分に手を加えたかは不明であるが、言葉については最も適切で最も古いオークニーの方言を補足したという。その当時のオークニーでは『オークニー諸島の人々のサガ』の時代以降数世紀にわたって政治的経済的動乱が続き、スコットランドから流入する人々によりそれまで続いていた北欧(Norse)文化は著しく衰退し、人々が使用する言語は北欧語からオークニー・スコッツ(Orkney-Scots)に取って代わられていた。
その後、同じく同郷でブラウンに大きな影響を与えた作家で民間伝承学者のアーネスト・マーウイック(Ernest Walker Marwick, 1915–1977)が『オークニー詩選集』(An Anthology of Orkney Verse, 1949) を編纂、その中でブラウンの詩が初めて発表されるとともに、本バラッドも紹介される。そこで初めてそれを目にしたブラウンが「知られざる素晴らしいこのバラッドを何とか蘇らせようと思った」と上述のエッセイ集序文の謝辞に記すように、「5 詩人たち バラッドシンガー」中に劇中劇として復活させたのである。
その形式は弱強3歩格か4歩格でa/b/a/b、あるいはa/b/c/bと韻を踏む5幕から成り、各スタンザは4行で、1幕は11スタンザ、2幕―21、3幕-24、4幕-25、5幕-12の計93スタンザである。バラッドに特徴的なリフレインは挿入されていないが、語や句の繰り返しが頻繁に使用され物語はテンポよくドラマティックに進行する。語り手の独白と会話で構成され、物語はノルウェーに始まるが舞台はオークニーや聖地にまで広がり、話の転回は迅速でバラッド特有の出来事、例えば娘と騎士、つまりオディヴィアとの結婚前に夫人とアザラシとが恋仲になった具体的な背景についての詳細は一切語られない。内容的には、大アザラシが人間に姿を変える不思議なアザラシ伝説をモチーフに、愛、裏切り、別れ、死という普遍的テーマが織り込まれ、オーディン神3 への誓いを核とした求愛の成功と失敗、十字軍遠征、アザラシ人間との不貞、子供の誕生と死、火あぶりの刑宣告、鯨の大集合などバラッドならではの物語世界が展開される。
ブラウンは本バラッドに粉飾を加えず「5 詩人たち バラッドシンガー」にそのままを転写しているが、現代の読者になじみやすいよう意図したのであろうか、語彙についてはオークニー・スコッツを英語に、また句読点の省略や加筆を試みるなどの修正を施している。4
注
1. このエッセイ集(Victor Gollancz, London, 1969 Reprinted, 1972)は、ブラウンが生地オークニーを形作ってきた長い歴史上の出来事や人々、風景、伝説などの多様な主題 (1. Island and People 2. Racwick 3. Vikings 4. Lore 5. Poets 6. The Watcher, a play)を詩人の立場で想像力豊かに織り込んだ散文と詩による独創的なハイブリッド形式である。同郷のSylvia Wishart(1936-2008)による美しいイラストが添えられ、ある意味オークニーの‘profile’(Interrogation of Silence, John Murray, London, 2004,120)とも言えるオークニーを賛美した作品となっている。出版後は厳しい評価も出たが、2週間で売り上げが3000冊を突破するほどであったという(Linden Bicket and Kirsteen McCue, 2021, ⅹⅶ) 。「5 詩人たち バラッドシンガー」は、内容についての詳細は別の機会に譲るが、縦糸として劇中劇の「オディヴィア夫人」と、横糸として幕間に語り手(つまり詩人)が語るバラッドの内容や伯たち各登場人物の様子や心の内を見事に捉えた様が巧妙に織りなされた一篇である。
2. デニソンの説明(Orkney Folklore & Sea Legends, Tom Muir comp., ‘The Play o’ De Lathie Odivere’ p.88, The Orkney Press)によると、昔、バラッドは吟唱詩人(menye-singers)と呼ばれるプロの人々によってドラマのように演じられ、歌われ、朗読されるなど宴会の余興として楽しまれたので「劇」(Play)という言葉をつけたという。幕を表すfitsには本来別の言葉が使われていたようである。
3. オークニーでのオーディンは、Howie Firthによればケルト神話の光、太陽、才能の神、あらゆる芸術の創造者であるLughという(Orkney Folklore & Sea LegendsのIntroduction)。北欧神話で言う最高神(永遠の樹ユグドラシルに9日9晩吊るされて死を味わい、魔法のルーン文字を読み取る知力を増大させて知恵の神、魔法の神と言われる)(「北欧神話の神々事典」『北欧神話物語』)を指すのではない。
4. 例を挙げる。細かい加筆個所が多いため、各幕の1連目を提示、同じ修正は一回に留める。
1幕(1-4)はlathie→lady、 bed→bade、bonnie→bonny、gare→gear、hid→it、wus→was、an’ →and、Shü→She、2幕(45-48)は Ae→At、e’enen→e’enin、de→the、o’d→o’t、1行末(,)を加筆、2行末(;)を(.)に修正、3行末(,)を削除、3幕(129-132)は1行末(;)を(,)に修正、teuk→took、apo’→apo、3行末(,)を削除、4幕(225-228)はSae→So、heem→home、agen→again、1行末(,)を削除、warly→wardly、2行末(;)を(,)に修正、3行末(,)を削除、helliedays→holidays、bülies→bulies、5幕(325-328)は Dat→that、s’ud→’sud、ta’en→taen、3行末(,)を削除。但し2か所(1幕30行beと3幕201行will)は明らかに夫々heとhe’llの誤植と考えられる。
PDF: The Lady Odivere
PDF: オディヴィア夫人